皇太子殿下 ブラジルご訪問時のおことば

ブラジル

平成20年6月18日 (水)
ブラジル大統領主催記念式典における皇太子殿下おことば(大統領官邸(プラナルト宮))

ルーラ大統領閣下
アルベス上院議長
アモリン外務大
ご列席の皆様

ただ今大統領閣下より,日本人ブラジル移住100周年に寄せて温かい祝福のお言葉を頂き誠にありがとうございます。大統領閣下を始めブラジル政府関係者の皆様,そしてブラジル国民の皆様により,移住100周年と日伯交流年がブラジルにおいてこのように盛大に歓迎されていることを大変うれしく思います。また,そのように日伯関係の歴史において記念すべき年に,貴大統領閣下のご招待によりブラジルを訪問できたことは私のこの上ない喜びであります。

顧みれば,26年前に初めて私がブラジルを訪問した際に,当時のフィゲレード大統領閣下を始めブラジルの皆様に温かく迎えていただいたことをよく覚えております。この度も,貴大統領閣下を始め政府関係者及び日系社会を含むブラジルの皆様により温かく迎えていただいておりますことに深く感謝いたします。

今からちょうど100年前の本日6月18日,最初の日本人移住者を乗せた笠戸丸がサントス港に到着しました。しかし,移住環境が十分に把握されていなかった状況の中で入植された初期の移住者の方々は,異なる生活環境や文化,言語という壁を乗り越えねばなりませんでした。そうした中で農業に従事された人々のご苦労はいかばかりであったかと思います。そのような厳しい状況の中でも,夢と希望を失うことなく努力を重ねられた移住者は,徐々に地域に溶け込み,人々から信頼されるようになりました。その陰には,日本人移住者を温かく迎え入れてきたブラジル政府及びブラジル社会のご厚意があったことを忘れることはできません。本日,この100周年を記念して発行される記念切手及び記念硬貨,また,功労者への表彰はこうしたブラジル政府とブラジル社会のご厚意を象徴するものと思います。

ブラジルの日系社会は150万人を超え,多くの日系人の方々が各界において確固たる地位を得,活躍されていることは大変頼もしいことです。また,今や30万人以上の日系ブラジル人を中心とするブラジル人の皆さんが日本に来て生活するようになり,様々な分野で活躍されています。このような双方向の交流,そして2008年日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住百周年に行われる様々な行事が,両国国民の相互理解及び関係の増進と強化につながることを心より期待しております。

終わりに,ルーラ大統領閣下,本日ご臨席の皆様,ブラジル国民の皆様のご健勝と日本とブラジル両国の末永い繁栄を祈念し,本式典に寄せる言葉といたします。

平成20年6月18日 (水)
ブラジル連邦議会主催記念式典における皇太子殿下おことば(ブラジル連邦議会下院本会議場)

キナリア下院議長
ご列席の皆様

本日,ブラジル連邦議会における日本人ブラジル移住100周年記念式典の開催に当たり,ご挨拶できることを大変うれしく思います。ブラジルの下院議員及び上院議員の皆様,政府関係者の皆様,そしてブラジルの日系社会の皆様がこのように私を温かく迎えていただいたことに深く感謝いたします。

去る4月24日には,天皇皇后両陛下ご臨席の下,ブラジル政府代表としてジルマ・ロウセフ大統領府文官長を始めとしたブラジル各界の代表や,様々な分野で活躍されているブラジルの日系人の代表の方々を東京にお迎えして,日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住100周年記念式典が行われました。また,4月28日には,ちょうど100年前,笠戸丸が初めての移住者を乗せて出航した神戸においても記念式典が行われました。

私も,日本ブラジル交流年の名誉総裁としてこの両式典に参加し,日本ブラジル双方の多くの関係者の皆様と共にこの記念すべき年をお祝いすることができました。そのおよそ2か月後に,こうしてブラジル政府からのご招待により,1982年に初めてブラジルを訪れて以来26年振りにブラジルを訪れ,移住100周年を皆様と共にお祝いできることをとてもうれしく思っております。

26年前,まだ赤土が多く見られるブラジリアを初めて訪問した際には,当時のフィゲレード大統領やゲレイロ外務大臣にお会いするとともに,多くの日本人移住者や日系人の皆さんと懇談し,躍動するブラジルを理解する上で貴重な機会となりました。また,セラード農業研究所,ソウザ・リマ農場,バルゼン・ボニータ地区日系農場を訪問し,日本人及び日系人の皆さんがこの地に根差し大きな存在として社会に貢献している姿を目の当たりにし,大変感銘を受けました。昨日ブラジリアに降り立ち,ブラジリアの街を見たときに,そのときのことが懐かしく思い出されました。

初期の移住者の皆様は,異なる生活環境や文化,言語という壁を乗り越えながら,夢と希望を失うことなく努力を重ね,地域に溶け込み,ブラジル国民から信頼されるようになりましたが,そのような日本人移住者を温かく迎え入れてきたブラジル政府及びブラジル社会のご厚意も忘れることはできません。笠戸丸が地球の反対側に位置する日本の神戸港を出発し,サントス港に到着してから100年たった今日,ブラジルの日系社会は150万人を超え,多くの日系人の方々がブラジル各界において確固たる地位を築き,ブラジル社会の発展に貢献されていることは大変喜ばしいことです。この連邦議会においても日系人議員の方々がブラジル社会の発展のため,また,日本ブラジル友好の増進のために日々活躍されていることを知って心強く思います。

日本とブラジルの関係は,100年の月日を経てますます強固なものとなり,両国国民の間の交流も活発になっています。日本では,今や30万人以上の日系ブラジル人を中心とするブラジル人の皆さんが様々な分野で活躍されています。このような双方向の交流により,今後,日本とブラジルとの絆(きずな)は更に強まることと思います。この100周年を礎に,日本人移住者及び日系人の皆様が次の100年に向け「日本ブラジルの懸け橋」としてますます活躍され,両国関係が更に発展することを希望しています。

最後になりましたが,キナリア下院議長を始めとする議会関係者の皆様,そしてブラジル国民の皆様のご健康とご多幸,さらにはブラジル連邦共和国の一層の繁栄をお祈りしまして,本記念式典に寄せる言葉といたします。

平成20年6月21日 (土)
ブラジル日本移民百周年記念式祭典における皇太子殿下おことば(アニェンビ・サンバ会場)

日本人のブラジル移住100周年に当たり,ブラジル政府のご招待により,日本ブラジル交流年名誉総裁として,この度ブラジル国に2度目の訪問をすることができました。本日は,ブラジル日本移民百周年記念式祭典を,ジルベルト・カサビ サンパウロ市長を始め,多くの関係者の皆さんと共にお祝いできることを大変うれしく思います。

雅子もブラジル政府からのご招待をとても有り難く思っており,私たち夫妻での訪問を願っておられたブラジルの方々,そして日系人の方々に心よりお祝いの気持ちをお伝えしたいと申しておりました。

日本人のブラジル移住100周年に当たる本年は,日本でも各種行事が開催されております。4月24日には,天皇皇后両陛下ご臨席の下,東京で開催された日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住100周年記念式典に,日本ブラジル交流年名誉総裁の立場で出席をしました。また,最初のブラジル移民船,笠戸丸の神戸港出港からちょうど100年目にあたる4月28日には,神戸で開催された日伯交流年・ブラジル移住100周年記念式典にも出席をいたしました。

神戸では,ちょうど100年前の笠戸丸の出航時刻である午後5時55分に合わせ,移住者の皆さんが出発前の日々を送った,海外移住センターの屋上で採火された「友情の灯」を,神戸港に停泊しているすべての船舶の霧笛と共に,サントス港へと送り出しました。1908年当時に思いをはせ,とても感慨深いものがありました。

笠戸丸から100年後の今日,ブラジルの日系社会は150万人を超えるに至り,6世も誕生していると伺っています。また,日本とブラジルの関係も100年前には想像もできなかったほど緊密になり,現在では,30万人以上の日系人の皆さんが日本で生活するようにもなりました。日本とブラジルの両国は,それぞれが発展をし,今や国際社会の中で大きな役割を果たすようになりました。

日本とブラジル両国は,この記念すべき日本人のブラジル移住100周年を日本ブラジル交流年としても祝い,100年以上にわたる両国関係をより幅広くし,より深く掘り下げ,共に未来を見つめようとしています。日系人の皆さんの長年にわたるブラジルでの地道な努力への敬意と日本人移住者を温かく受け入れてきたブラジル政府及びブラジル国民への感謝を忘れずに,両国が将来にわたって関係を発展させていくことを希望します。私の訪問が,両国の友好親善関係の更なる発展に少しでも貢献できるのであれば幸いです。本日の式典に参加された皆さんが,これからも両国の友好交流の懸け橋として大いに活躍されることを心から願い,式典に寄せる言葉といたします。

ムイント オブリガード(どうもありがとう)。

平成20年6月22日 (日)
パラナ州日本人ブラジル移住百周年記念式典における皇太子殿下お言葉(ローランジア市日本移民センター)

日本人のブラジル移住100周年に当たり,ブラジル国政府のご招待により,日本ブラジル交流年名誉総裁として,この度ブラジルに2度目の訪問をすることができました。本日は,パラナ州日本人ブラジル移住100周年記念式典をアレンカール副大統領,レキオン・パラナ州知事閣下,モウラ・ローランジア市長を始め,多くの関係者の皆さんと共にお祝いできますことを大変うれしく思います。

日本人のブラジル移住100周年に当たる本年は,日本でも各種行事が開催されております。4月24日には東京で,天皇皇后両陛下ご臨席の下,日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住100周年記念式典が開催されました。また,最初のブラジル移民船,笠戸丸の神戸港出港からちょうど100年目に当たる4月28日には,神戸で日伯交流年・ブラジル移住100周年記念式典が開催されました。

今回のブラジル訪問では既にブラジリア,サンパウロを訪れ,そして先ほどロンドリーナ市に到着してこのローランジア市に至るまでの道中,移住者・日系人の方々のみならず,ブラジルの人々から大変温かい歓迎を受けました。そして同時に,前回4半世紀前の訪問時に比べましても今日のブラジルが,ますますの発展を遂げている姿を目の当たりにしました。

このパラナ州にはサンパウロ州に次いで大きな日系社会がありますが,この地に住む日本人移住者とその子孫の方々がブラジル社会に溶け込み,そして各方面で活躍されている様子を今回改めて肌で感じました。

日本とブラジル両国は,この記念すべき日本人のブラジル移住100周年を日本ブラジル交流年としても祝い,100年以上にわたる両国関係をより幅広くし,より深く掘り下げ,共に未来を見つめようとしています。日系人の皆さんの長年にわたるブラジルでの地道な努力への敬意と日本人移住者を温かく受け入れてきたブラジル政府及びブラジル国民への感謝を忘れずに,両国が将来にわたって関係を発展させていくことを希望いたします。私の訪問が,両国の友好親善関係の更なる発展に少しでも貢献できるのであれば幸いです。

本日の式典に参加された皆さんが,これからも両国の友好交流の懸け橋として大いに活躍されることを心から願い,式典に寄せる言葉といたします。

ムイント オブリガード(どうもありがとう)。