第2回国連水と災害に関する特別会合における皇太子殿下基調講演

平成27年11月18日
アメリカ・ニューヨーク
国連

人と水とのより良い関わりを求めて

潘基文(パン・ギムン)国連事務総長
モーエンス・リュッケトフト国連総会議長
韓昇洙(ハン・スンス)国連水と防災に関する事務総長特使・国連水と災害ハイレベルパネル議長
ご列席の皆様

1. はじめに

ここニューヨークの国連本部で開催される第2回「国連水と災害に関する特別会合」で基調講演を行う機会を与えていただきましたことを大変うれしく思います。

世界の災害の現状を見ると,最近5年間だけでも,2011年の東日本大震災や東アフリカの大干ばつ,2012年のハリケーンサンディ,2013年フィリピンのハイヤン台風や欧州中部での大水害,2014年のインドやパキスタンでの大水害,2015年の豪州や米西海岸での干ばつ,コロンビアでの土石流災害,ネパールでの地震災害,チリの津波,先々月の日本の鬼怒川や,先月の米国の南北カロライナ州での水害,毎年のように発生する小島嶼国でのハリケーン災害など,各地で多くの災害が発生しています。ここに改めて,こうした世界各地の災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし,被災された方々に心からお見舞いを申し上げますとともに,被災された地域に一日も早く,より良い復興がなされることをお祈り申し上げます。

水は,人類共通の課題であり,私たちの未来にとって極めて重要なものです。今週は,この国連水と災害に関する特別会合を含め,私が名誉総裁を務める国連水と衛生に関する諮問委員会の最終会合など,様々な水に関する会合が開催される,「水に関する国連ハイレベル週間」であると伺っています。この週間を機会に,水と災害の問題を含めて,人と水との関わりの歴史やその教訓を振り返りながら,現在と未来の,人と水とのより良い関わりについて考えてみたいと思います。

2.人々の水に対する想い-日本と世界の文学から-

人と水との関わりを考えるにあたり,まず私たち自身の水に関する想いがどのようなものであるかを振り返ってみたいと思います。ここでは,私たちが出来事や想いを社会に伝える手段としての文学を取り上げます。

2.1 和歌における水と災害

水は人々の暮らしにかけがえのないものであるだけに,世界でも多くの詩や物語に水が登場します。日本には和歌や俳句などといった短いセンテンスで自然の情景や人々の心情を表現する独特の詩がありますが,これらに見られる人々の水への想いを紹介していきたいと思います。

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木 (朝,だんだんと明るくなってくる頃,宇治川に立ち込めた川霧がとぎれとぎれに晴れていき,その霧の間から,しだいに現れてくるあちらこちらの川瀬に仕掛けた網代木よ。)1

この和歌は,13世紀の前半ごろに,藤原定家が百人の優れた歌人の和歌を一首ずつ選んで編纂した「小倉百人一首」に収められた藤原定頼の句で,京都のそばを流れる宇治川の早朝を詠んだものです(図-1)。人々が生業とする魚網をかける杭が次第に姿を表す,幽玄とした朝の風景を描いた詩で,日本における水と人との関係を美しく描写しています。

一方,ひとたび豪雨が降れば,水は洪水となり,人々に襲いかかります。
「時により 過ぐれば民の 嘆きなり 八大竜王 雨やめたまへ」
(時によって,度を越すと民の嘆きとなります。八大竜王よ,雨をお止めください。) 2

鎌倉幕府三代将軍源実朝の歌集である『金槐和歌集』に見えるこの一首には,「建暦元年(1211年)7月,洪水となるような大雨が降り,民の嘆きを思い,ひとり本尊に向かい奉って,微力ながらも祈念して,歌を詠んだ」という詞書(ことばがき)がついています。洪水が人々に大きな嘆きをもたらすため,八大竜王すなわち水の神に訴えて雨が降るのをとめてくれと懇願しているのです(図-2)

洪水とともに渇水は人々に大きな災厄をもたらします。歌人大伴家持は,万葉集の中でこう嘆きます(図-3)
「雨降らず 日の(かさ)なれば 植ゑし田も ()きし畠も (あさ)ごとに(しぼ)み 枯れ行く そを見れば 心を痛み 緑子(みどりご)の 乳乞(ちこ)ふごとく (あま)つ水 (あふ)ぎてそ 待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる (あま)白雲(しらくも) 海神(わたつみ)の 沖つ宮辺(みやへ)に 立ち渡り との(ぐも)り合ひて 雨も賜はね」
(雨の降らない日が重なると、稲を植えた田も、種子を蒔いた畑も、日一日と凋み枯れてゆく。それを見ると心が痛く、赤子が乳を乞うように、天なる恵みの水を仰ぎ待つことだ。あしひきの山の窪みに見える天の白雲よ、海神の沖の宮殿あたりまで立ち渡って、雲一面を曇らせて、雨を与えてほしい。) 3

このように,水は人々の暮らしに直結するだけに,日本でも人々の水への想いは,歴史を通じ,大変強いものがありました。ましてや,人々の命を奪う洪水や干ばつなどの自然現象は,人知を超えた「竜王の所作」であったのでしょう。

2.2 世界の文学における水と災害

洪水に対する人々の強い想いは,世界でも共通のようです。この写真は,有名な「洪水の粘土板」です(図-4)。これは,1872年にジョージ・スミスによって見いだされ,解読された,現在のイラクにあたる地域で出土した縦6インチ(15.2センチ),横5.25インチ(13.3センチ)ほどの粘土板ですが,その一節にはこうあります。「家を壊して船を作れ。富を捨てて生き延びよ。財産は捨てて,命を助けよ。あらゆる生き物の種をもって船に乗り込め。これから作る舟は,すべての辺が均等になるようにせよ。長さも幅も同じにするのだ。下に海が広がるように,船の上を屋根で覆え。そのあと,大量の雨がもたらされるであろう。」4 このように「洪水の粘土板」は,聖書にあるノアの大洪水と極めて類似した物語が,聖書のはるか昔,紀元前7世紀のメソポタミアで既に記録されていたことを示しています。

現在ではこうした大洪水の物語が,さらに1,000年前の版にも記されていることが分かっており,ギルガメッシュ抒情詩の土台ともなった大洪水の逸話が,いかに人々の心にインパクトを与え,その後の記録や文学,あるいは宗教にまでも大きな影響を与えていったことがわかります。洪水とは人知を超えた超自然の営みであり,世界の姿を塗り替える影響力を持った「大いなる出来事」であったわけです。

3.想いから行動へ-中世・近世の日本における人と水との関わりの発展-

今まで見てきたように,古来人々は水に強い関心と想いを寄せ,また水に関する現象は,人々の暮らしだけでなく,人々の喜怒哀楽などの感情に直接影響する重要な要素でした。

それゆえに,経済や社会が発展するにつれ,人々は水を含めた自然を制御する知識や技術を蓄えていきます。人々の水への強い想いは,水をよりよく使い,水の恵みを得ようとする試みにつながっていったわけです。その一例として,中世から近世にかけての日本において,人々が水とどのように関わり,その結果,どのように発展していったかを見ていきたいと思います。

3.1 中世における人と水との関わり-紀伊国田荘を訪ねて-

中世の日本においては,「荘園」と呼ばれる寺社や貴族による土地私有制度が発展しました。私は,この夏に和歌山県(当時の紀伊国)を訪れた際,当時を示す資料や用水路(一ノ井)などの施設を視察し(図-5),人と水との関わりを調べました。

ここにお示しする絵図は,12世紀後半,紀伊国(現在の和歌山県北部)に成立した田荘かせだのしょうの絵図です(図-6)。中央に紀の川が東西に流れ,画面上部には,静川(現在の穴伏川)が東から西へ,角度を変えて南に流れて紀の川に合流しています。画面中央に井桁で示されているのが水田,右上に寺社,左側や街道沿いに集落が描かれています。

次の絵図は,17世紀中頃の田荘を描いたものです(図-7)。12世紀後半の荘園成立当時の土地台帳と17世紀初めの土地台帳を比較すると,田地域の田地がほぼ倍増しています。この田地の拡張は,どのようにして成し遂げられたのでしょうか。その鍵はこの絵図の中にあります。

12世紀後半の田荘成立当初は,山間部に散在する溜池によって田に必要な水を確保していた(池水灌漑)ものと思われます。一方,17世紀のこの図では静川に3つの大きな堰が設けられ,これらの堰から左岸(南側)に向けて用水路が引かれています。溜池の水が不足するようになると,おそらく,当時の技術では,本流である紀の川から取水することが困難だったこともあり,人々は,支流である静川から水を引くことを考えたのでしょう。静川から取水する用水路を築いて段階的に延長し,支川や溜池も流路として利用し,分水枡によって用水路を分岐させながら,広範囲にわたって田を灌漑していったと考えられます。これらの用水路,支川,溜池などをつなぐ一ノ井が全体として完成するのは,15世紀から16世紀ごろにかけてであったと言われています(図-8)

このように中世以来の社会の発展には水路ネットワークの発達が深くかかわっており,私も長い時代にわたる,人々の水をめぐる営みや知恵により,水への想いが現実のものとなっていったことに深い感慨を覚えました。

3.2 紀州流と関東流

さて,この田荘についての話は,いわば日本の一地方における事例としてお示ししたわけですが,この地域で培われた水を治める知識と技術が,やがて日本の姿を大きく変えていくことになります。

時代が下って江戸時代(18世紀初頭),紀伊国は紀州藩の統治下にありました。紀州藩は,紀の川中流から田地域を経て33kmにおよぶ,小田井と呼ばれる新たな用水路を築き,約1,000haの水田を潤すことが可能となりました。この大工事が,中央政府の目に留まることになります。私は,2009年に利根川中流域を訪れ,工事を指揮した紀州藩の井沢弥惣兵衛が,将軍徳川吉宗の命により江戸に赴き,見沼代用水の建設を指揮したことを知りました。井沢は,機械を使った測量やサイフォンなど,小田井の技術と経験を用い,利根川から取水して幹線延長約60kmに及ぶ用水路を建設し,小田井の15倍にあたる約15,000haの水田を潤しました(図-9)。さらに,この経験・技術は首都圏一円に広まり,江戸時代の農業経済の発展を支えることになっていきます。

こうした知識と技術は,古来利根川一円で使われた技法(「関東流」)との対比で「紀州流」と呼ばれるに至り,日本の治水と新田開拓の主流となっていきます(図-10)。関東流は低い堤防を築き,毎年の洪水時期には背後地に洪水を越水させることを前提としています。これに対して紀州流は,高い堤防を連続して構築し,洪水の流れを越水させることなく下流に導きます。これにより,より広い背後地を農地として確保し,また出水期の湛水範囲を小さくすることで,高い農業生産が望めることになります。

中世の田荘において,溜池の利用から始まり,やがて用水路を開削して田地を潤した人々の営みは,紀州藩による小田井の開削へと続き,さらに舞台を江戸に移して紀州流による大規模な新田開拓などを通じ,農業生産を飛躍的に発展させました。このような技術の進歩もあいまって,この図(図-11)にあるように,耕地面積とともに全国の人口は大きく伸び,現在の日本社会の基礎を形作っていくことになります。このように時代を越え,地域を越えて,人々の水をめぐる知恵や技術が進歩し,引き継がれ,やがて国の姿を変えていったことに,深い感銘を覚えます。

4.想いを形にする新たな力‐21世紀の科学技術の発展と災害対策-

4.1 水と人と科学技術

ここまで,歴史上の人と水との関わりを見てきました。人々の水災害を防ごうという想いが技術や制度を通じて具体化する,この流れは現代においても変わりません。一方,20世紀から今世紀にかけては科学技術,特に最近では情報に関する技術が飛躍的に発展した時代であり,今後の人と水との関係にあっても,そうした科学技術の発展や応用なしには語ることができません。水防災分野においても,地域の歴史や経験に立脚した上で,大胆に科学技術を取り入れる,様々な取組が進められています。

まず,行政と人々が一体となって,災害予報や早期警戒により,災害から人々の命を守ることは極めて重要なことです。この中で,最近飛躍的に進歩している衛星情報通信技術を活用した防災対策は注目されます。この図にある,全球地球観測システム(GEOSS(ジオス))は,世界各国が連携し,人工衛星観測および現場観測(地上観測)を統合した複数の観測システムからなる包括的な地球観測のシステムを構築したものです(図-12)

これら水,大気,大地,海流などの膨大な情報はデータ統合解析システム(DIAS)を通じ,防災をはじめとして環境,気候,農業など様々な分野に世界各地で活用されています(図-13-113-2)。例えば,ヒマラヤ周辺の大気温上昇が,東アジアの気象擾乱をもたらすメカニズムなど,地球や地域規模での気候変動の解明にもつながってきています。また,開発途上国で,十分に地上で雨量などの観測ができなかった地域でも衛星から雨量を観測し,地域の人たちに洪水警報を伝えることも可能になってきます(図-14)

伝えられた災害情報を人々が正しく理解し,早めの避難など適切な行動を取ることも極めて重要です。この画像は今年の夏期,豪雨を起こした積乱雲が日本上空で次々と発達する様子を衛星から捉えたものですが(図-15),こうした映像によって人々は,災害の発生メカニズムを人々が感覚的に理解することができるようになります。

次には,災害に対し強靭な社会を構築することです。例えば,国土の26%が水面下にあるオランダでは,気候変動を踏まえて今後起こりうる水災害に対処するための国家計画である新デルタプランを策定し,百年の大計に基づいた水災害対策に着手したと伺っています(図-16-116-2)。この計画では,気候変動によりオランダ沿岸の海水面が2100年までに約0.65メートルから1.3メートル上昇すると試算し,これまで1万年に1回起こる洪水に対処できるようにしてきた計画を,10万年に1回起きる洪水に対しても市民が安全であるように堤防の強化などを行っていく計画に改定したと伺っています。

米国では,2005年のハリケーンカトリナの経験に基づき災害対策が向上し,2012年のハリケーンアイザックやハリケーンサンディでは大幅に被害が減少したと伺いました(図-17)。マレーシアでは,道路交通と洪水排水の二つの目的を兼ねたトンネルが建設され,都市交通の円滑化と洪水の軽減に効果を発揮していると伺っています(図-18)。フランスでは,OECDと共同し,セーヌ川での洪水がパリ首都圏に及ぼす影響と包括的な対策が検討されていると伺いました(図-19)

日本においても,洪水や水環境の改善を図る様々な取組が行われています。この写真は,私が最近訪れた東京に新たに建設された複合都市施設です(図-20)。このビルの下には広大な下水道処理施設が広がっており,雨水の一時貯留を行いながら,下水道から生み出された再生水とエネルギーをこの高層ビルで再利用し,資源の再利用と空間の高度利用を同時に図っています(図-21)。また,国家レベルでは気候変動適応策が取りまとめられ,水災害に関してもハードとソフトを組み合わせた様々な対策が行われています。

干ばつへの対処は,貧困と災害の問題に取り組むうえでも極めて大きな意味があります(図-22)。近年20年間の干ばつの発生数は全災害の5%に過ぎませんが,その被災者数は全被災者数の25%で合計11億人に上ります。干ばつの約41%がアフリカで,25%が南北アメリカで,24%がアジアで発生しています。

干ばつ被害は,長期間の気象現象と環境・社会的要因などが複雑に関係しており,そのリスク軽減にはガバナンス,早期警戒,教育,備えの向上など多面的な対策が必要です。この中で,近年の情報技術の発展により,早期警戒の面で大きな進展が見られています。例えば,新たに打ち上げられた衛星により水資源の情報だけでなく,土壌水分などを広範囲に分析することによって,干ばつの進捗状況を詳細にモニターすることが可能になってきています。また,エルニーニョやダイポール現象など海洋現象が地域の気象に及ぼす影響に関する研究も進んできており,干ばつの早期警戒への貢献が期待されています。

このように,最新の科学技術を活かし,世界各地で水災害を軽減する取組が行われ,その効果は一歩ずつ着実に表れてきています。貧困に苦しむ人々を念頭に,地域全体を災害から守るため,国際社会が協力して科学技術の恩恵が速やかに届けられることを強く期待します。

5.人と水とのより良い関わりを求めて

今まで見てきたように,各国,各地域で自然や社会と絡まりあいながら,人々の水への想いや,時には怖れは,地域の事情に則した水と人の具体的な関係に発展してきました。こうした私たちの,あるいは「人類の」といってよいかもしれませんが,水との関係の歴史を踏まえて,今後私たちはどのように水と向き合い,また付き合っていけばよいのでしょうか。

大事なことの一つは,私たちの水への想いは,日頃自分達が意識している以上に深く,かつ世代をつないだ歴史を踏まえているということです。水問題を考えるうえで,水に関する効率や物理的側面を捉えるだけではなく,問題を抱える地域の人と水との歴史を俯瞰し,人々の水に対する想いを汲み取ることは大変重要なことに思えます。

また,今回,紀伊国田荘や紀州流の事例でみたように,優れた水への処し方が他の地域にも適用できる場合があり,時に国の姿を変えるような大きな発展への流れをもたらすこともあり得ます。その意味で,他地域の過去の経験や優れた事例から学ぶことは,水問題解決の近道に思えます。今回の特別会合などの国連会合や世界水フォーラム,あるいは地域の水サミットなど,水に関しては近年,多くの情報共有と話合いの場が提供されるようになってきました。多くの人々が,こうした様々な話合いの場を他の歴史や経験から学ぶ場として有効に活用し,水問題解決が促進されることは大変意義のあることだと考えています。

さて,改善がなされつつあるとはいえ,世界には今なお多くの水問題が存在しています。今なお6億6,300万人が改善された水にアクセスできず,24億人が改善された衛生にアクセスできずにいます。また,水災害による経済被害は世界的に増大してきています。越境河川における協力の推進も大きな課題の一つです。今世紀は科学技術の時代です。水や防災の分野において,急速に進歩する科学技術の恩恵が,世界の,特に貧困に苦しむ人々に隅々までいきわたるよう,国際社会の一層の連携協働を期待します。

本年9月の国連サミットで,水に関する単独の目標を含む,持続可能な開発に関する目標が合意され,今後そのフォローアップが図られることになっています。また,12月には気候変動枠組条約締約国会議がパリで開催されます。こうした機会などを通じて,世界の水問題の解決が図られ,人と水とのより良い関わりが構築されることを期待しています。

終わりに,私の好きな前田普羅による俳句を読んで,この講演を締めくくりたいと思います(図-23)

「立山の かぶさる町や 水を打つ」

立山が覆い被さるようにそびえる富山の町で,人々が夏の暑さをやわらげるために通りに水を打ち,涼をとっている情景が目に浮かびます。山から流れ出る水は飲み水として,あるいは農業のために私たちに多くの恵みをもたらします。しかし,水は時に不足したり多すぎたりし,人々に大きなダメージを与えます。この句にあるように,人々がどこでも水とともに平和にゆったりと過ごせる世界を実現できるよう,私も今後とも取り組んでいきたいと思います。

ありがとうございました。

1 現代語訳は,公益財団法人小倉百人一首文化財団 による。
2 現代語訳は,「千年の百冊」 鈴木健一 編集 小学館 による。
3 原文と現代語訳は,「万葉集 全訳注原文付(四)」 中西進 訳注 講談社文庫 による。
4 日本語訳は,「100のモノが語る世界の歴史1 文明の誕生」 ニール・マクレガー 著 東郷えりか 翻訳 筑摩書房 による。