会見年月日:平成9年2月14日
会見場所:東宮御所
つい昨日,36歳の誕生日を迎えたかと思ったら,もう37歳の誕生日を迎えることになりまして,この1年,非常に速く過ぎたというのが率直な印象です。これから先の1年も,日々を大切に毎日を過ごしていきたいと思っております。それからまた,今後,どのような仕事が自分に与えられるか分かりませんが,その一つ一つに真剣に,そして着実に取り組んでいきたいというふうに思っております。また,常日ごろ考えていることですが,その時々に日本の国民あるいは社会にとって大切と思われる事柄にも関心を寄せ,携わっていきたいと思っています。常に,自分に何ができるかを考えながら日々を過ごしていきたいというふうに思っております。
初めてというふうにいいましても,単独での会見が初めてということでしたので,ある程度は記者会見には慣れてきていると思っておりました。率直に言って,自分の考えを率直に述べて,いい会見だったというふうに思っております。会見の中では,例えば国内の旅行,あるいは海外の旅行,あるいは災害の被災地を訪れた際に感じたこと,あるいは新たに学んだことの話などは,私としても大変に参考になることが多くありました。それからまた,マスコミの関係ですけれども,とかく型にはまったイメージで見られがちで,とかくある特定の部分が強調されるきらいがあるということは,私もかねがねちょっと気にかかっているところであります。また,キャリアであることで皇室に入ってどうのこうのというそういう議論もあるように聞いておりますけれども,私から見ております限り,今までの経験は皇室に入ってからも非常に役立っていると思っております。記者会見が終わって帰ってきましたときには,「お疲れさま」というふうに言ったように記憶しております。
このことの重要性並びに国民の皆さんの関心の程はよく認識しております。それ以上のことについては差し控えさせていただきたいと思います。
私が,おぼろげながらですけれどもこの日本というものを認識したのは,私が4歳の時の東京オリンピックの時だったと思います。日本にいろいろ世界の各国からいろんな選手が来て,そして大きな大会が開かれるということで,おぼろげではありますけれども世界の中の日本というものを認識したことを記憶しております。その後,大阪の万国博覧会であるとか,それから札幌の冬季オリンピックなどを経て,世界の中の日本というものを認識するようになったと記憶しております。現在の日本は国民のたゆまぬ努力と,それから,戦後世界から差し伸べられた温かい支援により,国際社会でも注目される存在となってきていると思います。そのような中で,国際社会の中で日本が世界の各国と友好を深めて,世界の様々な問題を共に手を携えて考えていくことが必要ではないかと思います。日本が過去をしっかりと見据えて,そして歴史に学びながら明るい未来を築いていくということが必要ではないかと思います。それから,今の日本は,とかく均一化というものを重要視するあまりに,個性であるとか,それから個というものを尊重する気持ちが失われがちではないかと思います。自分の個性というものを大切にしながら,他の個性というものも尊重することが大切ではないかと思っております。そういう意味でも,殊に次の世代を担っていく子供たちの教育が非常に大切なのではないかと思います。大人の世界も含めての話ですけれども,他人や,それから他の命を推し量っていくことが出来るような,そういう教育をすることが非常に大切なのではないかと思っております。いずれにしましても,日本が国際社会の中で,他国から謙虚に学ぶ姿勢を持ちながら,世界の各国と友好を深めていくこと,それから次の世代を担っていく子供達の教育,これが非常に大切なのではないかと思っております。
現在,私は引き続き日本の中世の海上交通の問題,それからイギリスの近代の運河,それから川の交通の問題について研究を続けております。日本の交通の研究に関しては,現在は,海の交通のこともやっておりますけれども,河川の交通,特に川でもって,いわゆる関税を徴収する関所というものが中世にたくさん設置されましたけれども,関所と言いましても一種の税関みたいなものと考えていただければと思いますけれども,そういうその関所のことについて今現在,研究を進めております。それと併せてイギリスの方については,今までテムズ川の河川の交通の研究をしておりましたが,今はその運河の交通,特にテムズ川と関係の深い運河の交通の研究,それと将来的にはそのテムズ川の流れている地域の,今度は陸上交通の問題を研究して,陸上とそれから水上交通が産業革命の時代にどう相互に補完関係にあったかということを研究していきたいというふうに思っております。いずれにしましても,私の研究は小さいころの「道」ということから今の関心が起こってきたわけでありまして,そういう意味でも日本の各地,あるいは世界での旅行先,あるいは登山の折などでも道というものの過去から現在に至るまで果たしてきた役割について学んだり,あるいは,考えたりする楽しみを今味わっております。
確かに,おっしゃっるように,宮内記者の皆さんの部屋も含めてですけれども,確かに本庁の中を見るという機会はそれほど多くはなかったというふうに思っています。ただ,侍従職の部屋をちょっと見せていただいたということもありますし,こちらの職員の部屋でも部分的には見たところもあります。昨年もこの会見でもお話ししましたけれども,曽我さんの机の上を知っているというのも,これも実際に行ったということであります。そうですね,一番最近訪れたのはいつでしょうか。比較的最近でも行っておりますけれども。
確かに私も個人的にパソコンをある程度やっておりますので,今現在,宮内庁の中でどのようにそういったものが使われているか,そういうのは確かに大変興味はあります。