天皇皇后両陛下 パラオご訪問時のおことば

パラオご訪問ご出発に当たって

平成27年4月8日(水)
パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)

本年は戦後70年に当たります。先の戦争では,太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ,数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々のことが深く(しの)ばれます。

私どもはこの節目の年に当たり,戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ,パラオ共和国を訪問いたします。

パラオ共和国は,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国と共に,第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが,戦後,ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により,我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ,我が国から多くの人々が移住し,昭和10年頃には,島民の数より多い5万人を超える人々が,これらの島々に住むようになりました。

終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。

この度のパラオ共和国訪問が,両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の,更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは,この機会に,この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。

この訪問に際し,ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり,パラオ国大統領御夫妻と共に,ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。

終わりに,この訪問の実現に向け,関係者の尽力を得たことに対し,深く感謝の意を表します。

パラオ

平成27年4月8日(水)
パラオ国主催晩餐会における天皇陛下のご答辞(ガラマヨン文化センター)

戦後70年に当たる本年,皇后と共に,パラオ共和国を訪問できましたことは,誠に感慨深く,ここにレメンゲサウ大統領閣下のこの度の御招待に対し,深く感謝の意を表します。今夕は,私どものために晩餐会を催してくださり,大統領閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き,ありがとうございました。また,この訪問に合わせ,モリ ミクロネシア連邦大統領御夫妻,ロヤック マーシャル諸島共和国大統領御夫妻がここパラオ国を御訪問になり,今日,明日と続き,私どもと行動を共にしてくださることも誠にうれしく,心より感謝いたします。

なお,この度の訪問を前にして,ミクロネシア連邦を襲った台風の被害を耳にいたしました。ここに犠牲になられた方々を悼み,御遺族へのお悔やみをお伝えするとともに,被害を受けた大勢の方々に心よりお見舞い申し上げます。地域の復興の一日も早いことを念願しております。

ミクロネシア地域は第一次世界大戦後,国際連盟の下で,日本の委任統治領になりました。パラオには,南洋庁が設置され,多くの日本人が移住してきました。移住した日本人はパラオの人々と交流を深め,協力して地域の発展に力を尽くしたと聞いております。クニオ・ナカムラ元大統領始め,今日貴国で活躍しておられる方々に日本語の名を持つ方が多いことも,長く深い交流の歴史を思い起こさせるものであり,私どもに親しみを感じさせます。

しかしながら,先の戦争においては,貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ,多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に,安全な場所への疎開を勧める等,貴国民の安全に配慮したと言われておりますが,空襲や食糧難,疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において,私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し,その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。

また,私どもは,この機会に,この地域の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に慰霊碑や墓地の管理,清掃,遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。

ミクロネシア三国と日本との外交関係が樹立されてから20年以上がたちました。今日,日本とこの地域との間では漁業や観光の分野を中心として関係が深まってきていることは誠に喜ばしいことです。今後それぞれの国との間で一層交流が盛んになることを願ってやみません。

ここに杯を挙げて,パラオ共和国大統領閣下,令夫人,ミクロネシア連邦大統領閣下,令夫人,及び,マーシャル諸島共和国大統領閣下,令夫人の御健勝とそれぞれの国の国民の幸せを祈ります。