天皇皇后両陛下 インドご訪問時のおことば

インド

平成25年12月2日(火)
インド大統領閣下主催晩餐会における天皇陛下のご答辞(大統領官邸)

日印国交樹立60周年を迎えた機会に,大統領閣下の御招待により,皇后と共に貴国を訪問できましたことを,誠に喜ばしく思います。今夕は私どものために晩餐会を催してくださり,また,ただ今は大統領閣下から丁重な歓迎の言葉を頂き,深く感謝いたします。

私は,53年前,昭和天皇の名代として,プラサド大統領の我が国御訪問に対する答訪として皇太子妃と共に初めて貴国を訪問いたしました。プラサド大統領,ラダクリシュナン副大統領,ネルー首相より手厚いおもてなしを頂き,またネルー首相により開かれたレッド・フォートにおけるデリー市民の大会を始めとして,訪れた各地において人々から温かく迎えられたことが懐かしく思い起こされます。皇后はかつて学生時代にネルー首相の「父が子に語る世界歴史」に出会っており,この旅でネルー首相と度々席を共にしたことは,今も忘れ難い思い出となっていることと思います。

貴国と我が国とは地理的に離れ,古い時代には両国の間で人々の交流はほとんどなかったように考えられます。しかし,貴国で成立した仏教は6世紀には朝鮮半島の百済から我が国に伝えられ,8世紀には奈良の都には幾つもの寺院が建立され,仏教に対する信仰は盛んになりました。8世紀には,はるばるインドから日本を訪れた僧菩提(ぼだい)僊那(せんな)が,孝謙天皇,聖武上皇,光明皇太后の見守る中で,奈良の大仏の開眼供養に開眼導師を務めたことが知られています。この時に大仏のお目を入れるために使われた筆は今なお正倉院の宝物の中に伝えられています。

古代におけるこのような例を除き,次に貴国の人々と我が国の人々との間で交流が盛んに行われるようになるのは,我が国が200年以上続けてきた鎖国政策を改め,諸外国と国交を開くことにした19世紀半ば以降のことです。第二次世界大戦前,我が国を訪れた貴国の詩人タゴールは,我が国の人々に深い敬意をもって迎えられました。私どもは先の訪問で,コルカタのタゴールハウスを訪問しましたが,タゴールが作詞作曲したインドの国歌がインドの楽器の伴奏で美しく歌われるのを聞いたことを,記憶にとどめています。

前回の貴国訪問の旅はこのコルカタ訪問に始まり,ムンバイ,デリー,アグラ,ブタガヤ,パトナ等,かなり広い地域にわたりました。私どもは二人ともまだ20代半ばの若さであり,この国の深さを十分に知るには程遠くありましたが,この旅で当時のプラサド大統領始め,独立当時からの国の指導者たちと接し,この国の来し方を学ぶとともに,この方々の民主主義,国際主義,さらには非暴力を旨としたガンジーの思想の流れをくむ平和主義を理想とする国造りへの高い志に触れたことは,今日もなお私どもの中に強い印象として刻まれています。

この度の旅行では,前回行くことのかなわなかったインド南部のチェンナイを訪れます。インドの多様性を知る上で,更なる経験を持つこの機会を楽しみにしています。

終わりになりましたが,貴国議会が年ごとの8月,我が国の原爆犠牲者に対し追悼の意を表してくださることに対し,国を代表し,とりわけ犠牲者の遺族の心を酌み,心から感謝の意を表します。

この度の私どもの訪問が,両国国民の相互理解を更に深め,信頼と友情の(きずな)を一層強める一助となることを願いつつ,ここに大統領閣下並びに令嬢の末永い御健勝と,貴国国民の幸せを祈り,杯を挙げたいと思います。

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