天皇皇后両陛下 ポーランド・ハンガリーご訪問(チェコ・オーストリアお立ち寄り)時のおことば・ご感想

チェコ

平成14年7月8日(月)
チェコ大統領夫妻主催午餐会(王宮庭園)における天皇陛下のご答辞

大統領閣下,令夫人

この度,お招きにより,皇后と共に初めて貴国を訪れる機会を得ましたことを,誠に喜ばしく思います。ただ今は大統領閣下から丁重なお言葉を頂き,深く感謝しております。

大統領閣下には,1992年,国賓として我が国をご訪問になり,皇后と共に親しくお目にかかりました。3年後,第二次大戦終結50周年を記念した国際会議「希望の未来」の基調演説をなさるため,再び我が国にいらっしゃいました。人類が初めて経験した放射能を持つ爆弾の投下により,多くの人命が失われた広島において,人類が持ち続けるべき希望の意義を説かれたこの演説は,多くの人々に深い感銘を与えました。

令夫人には,1999年に我が国で行われたチェコ共和国芸術祭に,チェコ側名誉総裁として令嬢とご一緒に訪日され,私どもも日本側名誉総裁の清子内親王と共に御所で初めてお会いいたしました。この芸術祭は,我が国の人々が貴国の文化への理解を深める上で意義深いものであったと聞いております。

一昨日貴国の土を踏んで以来,私どもは,ヴァーツラフ広場やスメタナ・ホールなどを訪れ,貴国の苦難に満ちながらも栄光ある歴史に思いを致しつつ過ごしてまいりました。

貴国は,第一次世界大戦後,トマーシュ・ガリク・マサリク大統領の下に民主的な憲法を作り,安定した国として発展し始めましたが,その後の国際情勢の変化と共に様々な苦難を経,第二次世界大戦の戦禍も蒙りました。戦後も,「プラハの春」自由化運動の挫折などに見られるように,私どもの計り知ることのできない厳しい道を歩んできたことと思います。

1989年,貴国は,ビロード革命を通して今日の民主化と自由化への第一歩を踏み出しました。これは,厳しい状況下,信念を曲げることなく困難な道のりを進んでこられた大統領閣下のご努力に負うところが大きかったことと思います。大統領閣下は,その後の改革を進める上で,政治機構や経済体制そのものよりも,むしろそれらを支える人間を重視され,人間の道義性と向上への能力に深い信頼を置いていらっしゃいました。このような大統領閣下のお考えと,これを支持する貴国民により,貴国の今日の発展がもたらされたものと思います。

貴国で育まれた豊かな文化は,スメタナやドヴォルザークの音楽,あるいはボヘミアガラスなど,我が国においても親しまれ,貴国をより近く感じさせる大きな役割を果たしてきました。両国の間の交流が,今後ますます広い分野で進み,両国民が,相互の理解を一層深め,世界の平和と繁栄のために力を合わせていくことを,心から願っております。

ヴルタヴァ川に沿って広がる美しいプラハの光景は行く先々で示された人々の心暖まる歓迎とともに,永く私どもの心に残ることと思います。

ここに杯を挙げて,大統領閣下並びに令夫人のご健勝と,チェコ共和国国民の幸せを祈ります。

ポーランド

平成14年7月9日(火)
ポーランド大統領夫妻主催晩餐会(大統領官邸)における天皇陛下のご答辞

大統領閣下,令夫人

今夕は,私どものために晩餐会を催してくださり,また,ただ今は大統領閣下から懇篤なお言葉を頂き,厚く御礼申し上げます。

この度大統領閣下のご招待により,皇后と共に初めて貴国を訪問することをうれしく思います。大統領閣下には,長野で開催されたオリンピック冬季競技大会の機会に我が国をご訪問になりましたので,4年振りの再会になります。この度,ワルシャワにおいて再びお目にかかる機会を得たことを,誠に喜ばしく思います。

ポーランドは,18世紀以降,一度ならず国土を分割され,あるいは他国の占領下に置かれ,また大きな戦禍を蒙りました。しかし,貴国の人々は自由と独立を目指し,多くの犠牲も伴った様々な困難を乗り越え,今日のポーランドを築いてきました。その精神的なよりどころとして貴国の文化が果たした役割には,少なからぬものがあったと思われます。美しい楽曲や著作により世界の人々に親しまれているショパンもシェンキエヴィッチも共に失われた祖国への思いを込めた作品を作っており,それらはポーランド人の志を常に鼓舞し続けてきました。しかしショパンもシェンキエヴィッチも自身で祖国の独立を見ることはありませんでした。ショパンの開いた最後の演奏会は亡命ポーランド人のためのものであったと聞いております。

貴国は,また,芸術文化のみならず,科学の分野でも世界の歴史に残る人材を輩出してきました。地動説を提唱したコペルニクスや,物理,化学の二分野でノーベル賞を受賞したキュリー夫人が思い起こされます。我が国には科学技術の進歩に大きく寄与し,もっとも人類の繁栄と平和に貢献した人に贈られる日本国際賞があり,私どもも毎年その授賞式に出席していますが,今年の受賞者の一人は貴国のワルシャワ大学動物学研究所長のアンジェイ・タルコフスキー博士でありました。

貴国と我が国の人々との間には,様々な交流の歴史があります。貴国においては,80年以上にわたる関係者の努力によって,ワルシャワ大学を中心とする日本研究と日本語教育が,コタンスキ教授の「古事記」の研究を始め,極めて高い水準に達していると聞いております。また,アンジェイ・ワイダ氏を中心に,両国の多くの人々の協力によって,古都クラクフに「日本美術・技術センター」が設立され,浮世絵を中心としたヤシェンスキ・コレクションも保管,展示されることになりました。今後とも,両国の文化交流の一つの中心として発展していくことを望んでおります。

貴国と我が国の交流の歴史の中で,1931年から数年にわたって,我が国の長崎で人々のために力を尽くされたコルベ神父を忘れることはできません。その生涯は,コルベ神父に従って我が国を訪れ,その後50年以上にわたって,終生を我が国の戦災孤児の救済などに捧げたゼノ修道士の一生とともに,今も,折に触れ,日本の人々に思い起こされております。人生の最後の瞬間まで博愛の精神を貫いたコルベ神父や,当時の筆舌に尽くし難い苦難の中で命を失った数知れない人々に思いを致す時,あのような悲劇が,人類によって,二度と再び引き起こされてはならないとの切なる思いを新たにいたします。

1989年の円卓会議以来,貴国は,民主化と市場経済化に向けて着実な成果を挙げ,それに伴い,両国の間の交流が様々な分野で一層深まってきております。両国民が相互の理解を一層深め,世界の平和と繁栄のために力を合わせていくことを,心から願っております。

ここに杯を挙げて,大統領閣下並びに令夫人の御健勝と,ポーランド国民の幸せを祈ります。

オーストリア

平成14年7月15日(月)
オーストリア大統領夫妻主催午餐会(王宮)における天皇陛下のご答辞

大統領閣下,令夫人

この度,お招きにより,皇后と共に初めて貴国を訪れる機会を得ましたことを,誠に喜ばしく思います。ただ今の大統領閣下の丁重なお言葉に,深く感謝いたします。

大統領閣下には,両国の修好130周年を迎えた1999年,国賓として,令夫人とご一緒に我が国をご訪問になり,皇后と共に親しくお会いしたことが懐かしく思い起こされます。キュッヒル・クァルテットの演奏や,ウィーン・フォルクス・オペラによる「こうもり」の上演にもご招待いただきました。

オーストリアは,神聖ローマ帝国の中心として,多くの民族を包容するヨーロッパの歴史の中で,長く,大きな役割を果たしてきました。時を経て,今日,ヨーロッパは,かつてない広がりと深みを持った統合に向かって,大きな流れの中にありますが,この流れの源となった汎ヨーロッパ運動を提唱したのは,オーストリアの外交官と日本人の夫人との間に生まれた,リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵でありました。私は,1953年,英国女王の戴冠式に出席の機会に欧州諸国を回り,スイスでカレルギー伯爵にお会いし,日本語訳の著書を頂きました。戦後日も浅く,貴国との国交もまだ回復していない時でありました。以来50年近くを経て,世界が大きく変貌したことをしみじみと感じております。

二国間の国交が開かれた1869年以来,我が国の人々は様々なことを貴国から学んできました。スキーもその一つですが,特に誰もが想起するものに音楽があろうと思います。貴国は古くから音楽と音楽家を育て,他国の音楽家に活動の場を与えてきました。オーストリアの生んだ音楽は,我が国民に親しまれ,多くの留学生がこの国で学びました。近年では,両国の音楽家の交流も盛んに行われていることを喜ばしく思っております。

今日,日本とオーストリアの間には30を超える姉妹都市が誕生しており,人々の行き来により両国を結ぶ交流の架け橋となっております。今後とも,両国民の間の友好関係が深まり,両国が,共に世界の平和と発展のために貢献していくことを,心から念願いたします。

週末に貴国の地を踏んでから三日がたち,明朝ウィーンを離れます。私どもは,その間,大統領閣下並びに令夫人を始め,貴国の人々の心のこもったおもてなしにより,有意義な,また楽しい日々を過ごして参りました。ご案内いただいたシェーンブルン宮殿などで,貴国の歴史に触れ,また,音楽や絵画など貴国の豊かな文化と,森の自然にも親しむことができ,オーストリアは,私どもの心に近い国となりました。

おもてなしに深く感謝しつつ,ここに杯を挙げて,大統領閣下並びに令夫人のご健勝と,オーストリア国民の幸せを祈ります。

ハンガリー

平成14年7月16日(火)
ハンガリー大統領夫妻主催晩餐会(国会議事堂)における天皇陛下のご答辞

大統領閣下,令夫人

今夕は,私どものために晩餐会を催してくださり,また,ただ今は大統領閣下から懇篤なお言葉を頂き,厚く御礼申し上げます。

大統領閣下には,11年前,当時のアンタル首相と共に我が国をご訪問になり,皇居の午餐会でお会いいたしましたが,この度,お招きにより,皇后と共に初めて貴国を訪れ,ブダペストにおいて再びお目にかかる機会を得ましたことを,誠に喜ばしく思います。

我が国にゲンツ前大統領が国賓としてご訪問になったのは,貴国の初代国王聖イシュトヴァーン一世の戴冠千年という記念すべき年でありました。この千年の間には,貴国が,外国からの侵入や,外国による国の分割という厳しい状況に置かれた時期もありました。しかしこのような時代においても,貴国の人々は不屈の精神を持ってハンガリーの文化を保ち,独立への努力を続けてきました。

第二次世界大戦後も,貴国は,多くの犠牲者を生んだハンガリー動乱に示されるように,誠に厳しい状況下にありましたが,貴国の人々の強い意志により,自由化は徐々に進んでいきました。1989年,ハンガリーを経て西ドイツに渡ろうとする東ドイツの人々に対し,その出国を認めた貴国の勇気ある決断は,ベルリンの壁の崩壊と,それに続く冷戦の終結という大きな歴史の流れを生み出しました。以来,貴国は,新たな国際情勢の下で,民主化と市場経済化を進め,今日に至っております。

初めて我が国を訪れたハンガリー人は,我が国が鎖国政策をとっていた1770年に来日し,長崎のオランダ商館に滞在したイェルキ・アンドラーシュであったと言われております。その翌年には,ハンガリー生まれの冒険家であったベニョフスキー・モーリツが,我が国に来航しました。この時,ベニョフスキーがオランダ商館に送った,帝政ロシアの南下政策について警告する書簡は,永年外国の攻撃を受けたことのなかった我が国において,海防の意識を高めることに寄与しました。

オーストリア・ハンガリー帝国が成立した1867年は,私の曾祖父明治天皇がその父孝明天皇を継いだ年であり,二百年以上続いた徳川将軍を長とする幕府が廃された年でもあります。我が国が,諸外国との交流を深め,国の独立を守り,近代化を進めるための非常な努力を始めた時でありました。オーストリア・ハンガリー帝国と我が国との間に国交が開かれたのは,その翌々年になります。1886年には,ハンガリーのヴァイオリニスト,レメーニ・エデが日本を訪れ,明治天皇,昭憲皇太后の前でヴァイオリンの演奏をしております。曲目については明記されていませんが,当時の記録から5曲が演奏されたことが分かっております。今日,日本の人々は,リスト,バルトーク,コダーイなど,貴国の美しい楽曲に親しみ,音楽を通して両国の間に様々な交流が生まれておりますが,この折の演奏会は,そうした音楽分野における交流の先駆けであったと言えるかもしれません。

また,ハンガリー語と日本語が共にウラル・アルタイ語族に属しているということから,20世紀初頭,語学研究のため,ハンガリーに滞在した白鳥庫吉(しらとりくらきち)のような東洋史学者もおりました。言語における共通性は,互いの国をより近く感じさせるものでありますが,私も昔そのような説を聞き,ハンガリーに親しみを感じたことを覚えております。

貴国の自由化が進んだこの十年余りの間に,両国の関係は格段に深まり,経済,文化,学術など,多くの分野で大きく進展しております。両国民が,今後とも,さらに相互理解を深め,協力しあって,世界の平和と繁栄のために貢献していくことを,心から念願いたします。

ここに杯を挙げて,大統領閣下並びに令夫人のご健勝と,ハンガリー国民の幸せを祈ります。