天皇皇后両陛下ヨーロッパ諸国ご訪問時のおことば

イタリア

平成5年9月6日(月)
イタリア大統領主催晩餐会(大統領官邸)における天皇陛下のおことば

スカルファロ大統領閣下,並びに御列席の皆様

ただ今の大統領閣下の懇篤なお言葉に対し,厚く御礼を申し上げます。

貴大統領閣下には一月ほど前ボードワン・ベルギー国王陛下の御葬儀という悲しみの席で初めてお目にかかりましたが,この度は御招待により,貴国においてお目にかかることができたことをうれしく思います。

私が英国女王陛下の戴冠式に参列の後,欧州諸国を歴訪した時,貴国を訪れ,エイナウディ大統領,デ・ガスペリ首相を始め,貴国関係者の温かいおもてなしを受けてから40年の歳月が流れました。当時訪れた各地の印象は今日なお,懐かしく思い起こされます。

現在,貴国は貴大統領の御指導の下,新たな時代に向け,たゆみない努力をしていると聞いております。今回の訪問においては,多くの人々に接し,友好関係の増進に努めるとともに,世界に誇る伝統と文化を背景に,活力ある欧州の建設に重要な役割を果たしている貴国の姿に理解を深めたいと思います。

日本は13世紀末,マルコ・ポーロの東方見聞録によって欧州に知られるようになりましたが,日本と欧州の人々がお互いにそれぞれの土地を踏むようになったのは16世紀以降のことであり,日本からローマを訪れた使節としては天正少年使節と支倉常長があります。このような関係は我が国の鎖国により,一時途絶えますが,日本が欧州諸国と国交を結んだ19世紀の半ば以降,再び交流が始まりました。

我が国はこの欧州との交流を通じ,世界に伍していけるよう欧州の文物を学び懸命の努力を払ってきました。ローマの歴史やルネサンスには深い関心が示され,多くの人々が貴国で美術や音楽を学びました。昨日訪れたシエナのキージ音楽学院もすぐれた日本人の音楽家が育てられた所です。古くから文化の栄えた貴国は,常に新たな文化を産み出してきました。その新しい文化は,古い文化と共に,我が国の様々の分野に影響を与え,我が国民の間に貴国への敬意と親しみを抱かせております。

今日,両国国民は,多年にわたる努力の賜物として平和のうちに繁栄を享受しています。

今日の繁栄のために先人が築き上げてきた業績を大切にし,また,過去の教訓をいかし,その上に新たな文化,文明を創造していくことが求められていると思います。この度の貴国訪問が,両国国民の交流と友好を深め,お互いに新しい未来に向かって歩む上で一つの契機になれば,幸いであります。

2日間を過ごしたフィレンツェ,ピストイア,シエナの美しい思い出を振り返り,これから過ごすローマ及びミラノの滞在に思いを馳せ,ここに,貴大統領の益々の御健勝と貴国民の幸せを祈って,杯を挙げたいと思います。


ベルギー

平成5年9月9日(木)
ベルギー国王王妃両陛下主催晩餐会(ブラッセル王宮)における天皇陛下のおことば

アルベール二世国王陛下,パオラ王妃陛下,並びに御列席の皆様,

ただ今の国王陛下の懇篤なお言葉に対し,厚く御礼を申し上げます。

つい一月ほど前,私どもは,このブラッセル王宮で思いもかけない悲しみの中,ボードワン国王陛下の御遺体に拝礼し,国王,王妃両陛下並びにファビオラ王妃陛下にお目にかかりました。そしておひつぎに従って歩み,各国から集まられた大勢の方々と御葬儀に参列いたしました。故国王陛下には40年前,ベルギーを訪問しお目にかかって以来,ファビオラ王妃陛下と共に,私ども二人に常にお心をお寄せ下さいました。今は亡き国王陛下と共に過ごした数々の思い出が懐かしく,また,悲しく思い起こされます。

アルベール二世国王陛下に初めてお目にかかりましたのは40年前,英国女王陛下の戴冠式に参列した時のことであり,国王陛下も私も共にまだ十代の年齢でありました。その後,国王陛下にはベルギーの経済使節団を率いるなど,たびたび日本においでになり,日白の経済関係の交流に意を用いていらっしゃいました。本年4月にも御来日になり,楽しく一夜を過ごしましたが,その時は,先月,再びあのような機会にお目にかかるとは夢にも思いませんでした。お悲しみの中,国王,王妃両陛下には,ファビオラ王妃のお心も体し,御招待をいただきましたことを,深く感謝しております。

故ボードワン国王陛下には,異なる文化を持つ人々が協力しながら調和のとれた社会を築き上げようとする貴国国民の努力を支えるよう常に努めていらっしゃいました。私は故国王陛下の御葬儀に参列し,多数の国民の故国王陛下への敬愛の気持の中に,貴国国民のこの願いがこめられていることを強く感じました。

アルベール二世国王陛下は,先日の即位に当たって,貴国国民に協調,善意,寛容及び連邦市民としての精神をもって,新しい連邦国家を築くことを求め,個人的及び集団的利己主義の脅威に対抗するための解決策は,連帯以外になく,この連帯をすべての面で実行しようというお言葉を,国会でお述べになったと聞いております。これは,我が国を含め,平和と繁栄を願うすべての国,すべての者が耳を傾けるべき重要なことです。貴国は現在,欧州共同体議長国として欧州の統合という歴史的事業を推進していますが,このような信念を抱く貴国と我が国が,様々の交流の場を通じて相互理解を更に深めることは,二国間の関係を超えた重要な意味を持つものと確信いたします。この度の訪問が両国国民の相互理解に資するならば,誠に幸いと思います。

私どもは,この度の貴国訪問に当たり,ここブラッセルと共に,ワロン地域のモンス,フラマン地域のアントワープを訪れることになっております。それぞれの地域が育んだ多様な文化に触れ,これらを包含してきたこの国の豊かさを改めて感じることと思います。

ここに国王陛下並びに王妃陛下の益々の御健勝とベルギー国民の幸せを祈り,杯を挙げたいと思います。

ドイツ

平成5年9月13日(月)
ドイツ大統領夫妻主催晩餐会(アウグストゥスブルク宮殿)における天皇陛下のおことば

フォン・ヴァイツゼッカー大統領閣下,令夫人,並びに御列席の皆様

ただ今の大統領閣下の懇篤なお言葉に対し厚く御礼を申し上げます。

大統領閣下には,昭和天皇の大喪の礼においでいただき,また,私の即位の礼には令夫人と共に御出席いただき,深く感謝しております。また,一月ほど前にはボードワン・ベルギー国王陛下の御葬儀に当たり,おひつぎに従って歩み,悲しみを共にいたしました。この度,御招待により統一ドイツを訪問し,再びお目にかかる機会を得ることができましたことを大変うれしく思います。

貴国をこの前訪れたのは,40年前のことになります。それは,英国女王陛下の戴冠式に参列の後で欧州諸国を訪れた時のことであります。貴国ではホイス大統領閣下,アデナウアー連邦首相閣下を始め,関係者の温かいおもてなしをいただきました。当時,戦後の荒廃と共に,舗装された道路も少なく,住宅事情も悪い日本から来たまだ十代の私にとりまして,貴国の森やその間を走る道路,家々のたたずまいを始め,貴国の美しさと豊かさは印象深いものがありました。

我が国が今日の日本を築くまでには非常な努力がありましたが,その陰には,前世紀の半ばに開国して以来,欧米の人々が我が国の人々に教え,協力してくれたことを忘れることはできません。そしてこの協力は多くの場合,自国のためというのではなく,国境を越えて日本や日本人のためを思ってのものでありました。貴国から学んだものも,自然科学の分野を始めとして様々な分野に及んでおります。先日,20世紀の初頭まで30年近く日本に滞在し,東京大学で医学を教えたベルツ博士の日本絵画コレクションが初めて日本で展覧されたのを見てまいりましたが,博士は我が祖父大正天皇の,皇太子時代の健康に関し深く携わったばかりでなく,多くの日本人と交わり,日本の発展を心から願った人でありました。この機会に,両国の先人の間に交わされたこのような友情に思いを致し,今後の両国間の友好関係が一層増進することを願うものであります。

多くの命が失われた先の大戦後も世界は冷戦という現実の中を生きて参りました。しかし,冷戦の終結を象徴するベルリンの壁の崩壊により,貴国はついに統一されました。私どもは,貴国国民が一時の苦労を越え,この統一という偉業を達成されたことに心から祝意を表したいと思います。

現在,欧州統合という歴史的動きが始まっております。過去幾多の戦争を経験したこの地域に,貴国が欧州各国と共に,世界に貢献する欧州を建設することに努力していることに深く敬意を表したいと思います。

冷戦の終結は世界の平和の訪れを期待させるものであります。これをさらに良い方向に発展させ,世界の環境をよく保ち,世界の人々が幸せな生活が送れるようにするためには,今後一層の努力が願われます。我々は,過去の教訓をいかすとともに,未来に向けて確たる責任を自覚し,日々歩み続けることが真に重要であります。共に民主主義国家に属する貴国と我が国は,国際社会でこのような努力を人一倍重ねていくことができるものと信じます。

今回,私どもは,「首都ベルリン」及び新5州の一部を含む貴国の各地を訪問する予定でありますが,この訪問を通じて統一された貴国国民と接し,お互いの理解を深め,友好の増進に努めたいと思っております。

ここに,大統領閣下並びに令夫人の益々の御健勝と貴国国民の幸せを祈り杯を挙げたいと思います。

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