主な式典におけるおことば(平成23年)

天皇陛下のおことば

第177回国会開会式
平成23年1月24日(月)(国会議事堂)

本日,第177回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託に応えることを切に希望します。

全日本中学校長会総会に出席する中学校長 拝謁
平成23年5月18日(水)(宮殿)

全日本中学校長会総会が東京で開かれるに当たり,出席者の代表の皆さんとお会いすることをうれしく思います。

今回は東日本大震災から日を経ずに行われた総会であり,この度の災害について様々な面から話し合われたことと思います。今日被災地における中学校の校長始め教職員,生徒の直面している苦労はいかばかりかと察しています。皆が支え助け合って,この苦難の時を乗り越えられるよう願っています。被災地,非被災地を問わず,全ての教育機関において,今回のこの災害が語り継がれ,また,日本が今後常に向き合わなければならない自然災害に対する安全の教育が十分に行われていくことを期待しています。

どうか皆さんには,今後とも,将来を担う生徒が心身ともに健全に育つよう,教育に,また学校の運営に,元気に努めていかれるよう願っています。

社会福祉法人恩賜財団済生会創立100周年記念式典
平成23年5月30日(月)(明治神宮会館)

済生会が創立されて100年,ここに皆さんと共に,その記念式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。

済生会は明治44年,「無告ノキユウ(キユウ)民ニシテ()(ヤク)給セス,天(ジユ)ヲ終フルコト(アタ)ハサルハ,朕カ(モツトモ)(シン)念シテ()カサル所ナリ,(スナハ)チ施(ヤク)救療,(モツ)(サイ)生ノ道ヲ(ヒロ)メムトス」という明治天皇の勅語を体して創立されました。当時の我が国は国勢こそ盛んになっていましたが,国民の中には,生活に困窮して,医療が受けられない人も多く,深刻な状態にありました。以後,済生会は長年にわたり,この「生命を救う道」を広めるという目的の下,たゆみない努力を続け,各地域における医療と福祉の向上に多大な貢献をなしてきました。ここに今日に至る済生会の歴史の中で,その活動を支えてきた多くの人々の努力に深く敬意を表します。

先の東日本大震災においては,済生会の各地の病院からもいち早く医療関係者が被災地に赴き,現在も引き続き支援が行われていることを誠に心強く思っています。大津波による壊滅的被害が広範囲に及んだこの度の災害では,救援活動を行う環境が厳しく,その苦労は計り知れないものであったと察しています。私どもは幾つかの地域で被災者を見舞う機会を持ちましたが,その折少なからぬ被災者から,救援の人々に支えられていることに対する深い感謝の気持ちを告げられました。そうした中に,済生会の救援活動も大きな役割を担っていたことと,感謝しています。

自然災害の危険が常に存在し,高齢化が進んでいる我が国の社会にあっては,困難な状況に置かれている人々を支えていく済生会の活動は極めて重要であります。済生会が長年にわたって積み重ねた経験を今後にいかし,済生会の活動が人々の幸せに一層資するようになることを願い,お祝いの言葉といたします。

東日本大震災に伴い第28回日本医学会総会を電子媒体及びインターネットを活用して開催するに当たり

去る3月11日に起こった東日本大震災は,巨大な津波を伴い,死者行方不明者合わせて2万3千人を超えるという大きな被害をもたらしました。医療従事者の中でも,患者を救おうとして共に津波にさらわれた人を始め,何人もの人が亡くなりました。それぞれの家族や近しい人々の気持ちはいかばかりかと心が痛みます。津波により広範囲にわたって壊滅的な被害を受けた被災地には,地域の医療関係者の昼夜を分かたぬ献身的な医療活動を支援すべく各地から医療従事者が集まり,被災者の治療に当たりました。薬や器具などのない厳しい環境の中,医療活動には計り知れない苦労があったことと思い,その努力に深い感動を覚えます。

近年,医学や医療の進歩には誠に目覚ましいものがあります。我が国では,その成果を広く国民に行き渡らせるように制度を整えたことにより,多くの国民が長寿を享受するようになりました。このことを心から喜ぶとともに,少子高齢化が進む中,介護問題を始めとし,日本社会が直面している諸問題についても,医学会との連携の下,社会全体が取り組んでいくことの重要性を深く感じています。また,医療の進歩は時に薬害や合併症に悩む人々を生む可能性を持っており,進歩がもたらす様々な面に,常に思いを致すことも非常に大切なことと思います。医学の進歩が,これまで人類にもたらした計り知れぬ恩恵に改めて深い感謝を抱くとともに,医学に携わる人々が,進歩に伴うリスクとも常に誠実に真向かいつつ,国民皆の健康な生活のため,大きな力となっていかれることを期待しています。

今回の日本医学会総会において,大震災発生により,皆が一堂に会し,それぞれの研究に耳を傾け,討論を行うという機会を持つことができなくなったことは誠に残念なことですが,この度はそれに代わり,講演やシンポジウムが電子媒体を通じて行われると聞いています。総会が皆さんにとり実り多いものとなるよう願っています。

(補足)

天皇陛下は,東日本大震災に伴い第28回日本医学会総会を電子媒体及びインターネットを活用して開催するに当たり,6月3日におことばをお示しになりました。

行政相談委員制度50周年記念中央式典
平成23年7月6日(水)(グランドアーク半蔵門)

行政相談委員制度50周年に当たり,皆さんと共にこの式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。

行政相談委員制度は,昭和36年,行政苦情相談協力委員という名称の下,国民の相談を受ける最も身近な国の窓口として設置されました。以来今日まで,行政相談委員は国民から寄せられる様々な苦情の相談に心を込めて応じ,問題点を見いだして相談者に必要な助言を行ったり,あるいは行政機関に問題点を伝えて,行政の制度や運営の改善に資するなど,国民生活に重要な役割を担ってきました。本日,ここに表彰を受けられる皆さんを始め,全国約5000人の行政相談委員,そして発足以来この制度を支えてこられた多くの関係者の努力に,深く敬意を表します。

東日本大震災に際しては,被災地域の行政相談委員が,震災直後から避難所や公民館,自宅等において,自主的に被災者からの相談への対応を開始し,仮設住宅,当面の生活資金,事業融資などに関する相談を受け付けるなど,被災者のために力を尽くされたと聞いています。非常に心強いことであり,ここに深く感謝の意を表します。

終わりに当たり,これからも全国の行政相談委員のたゆみない努力により,行政相談委員制度が一層充実し,国民生活の安寧が保たれていくことを願い,式典に寄せる言葉といたします。

日本体育協会・日本オリンピック委員会創立100周年記念祝賀式典
平成23年7月16日(土)(グランドプリンスホテル新高輪)

国内外から参加された皆さんと共に日本体育協会・日本オリンピック委員会創立100周年記念祝賀式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。

日本体育協会と日本オリンピック委員会は,今から100年前の明治44年,1911年に,嘉納治五郎会長の下で大日本体育協会として創立されました。国際オリンピック委員会委員でもあった嘉納会長は,大日本体育協会が日本を代表する国内オリンピック委員会であるとともに日本におけるスポーツ振興の中核的存在となることを願っていました。そして翌年にはストックホルムで行われた第5回オリンピック大会へ嘉納団長の下,二人の選手が参加しました。日本選手が初めてメダルを獲得したのはそれから8年後,アントワープ大会のことであります。種目はテニスであり,熊谷(くまがい)一弥(いちや)選手が銀メダルを,ダブルスで熊谷選手と柏尾(かしお)誠一郎選手が同じく銀メダルを受賞しました。それから8年後,アムステルダム大会では三段跳びで織田幹雄選手,200メートル平泳ぎで鶴田義行選手がそれぞれ金メダルに輝きました。大日本体育協会の支援の下,日本のスポーツは盛んになり,ロサンゼルス大会とベルリン大会における日本選手の活躍には目覚ましいものがありました。

しかし,その後,第二次世界大戦が起こり,終戦までに日本を含む多くの国々で大勢の人々が,かけがえのない命を失いました。ロサンゼルス大会の馬術大賞典障害飛越で優勝した西竹一中尉,ベルリン大会の棒高跳びで西田修平選手と二位と三位を分け合った大江季雄(すえお)選手もこの戦いにおいて帰らぬ人となりました。

日本の各地は空襲で焼け野原となり,戦後の人々の生活には誠に厳しいものがありました。このような荒廃した状況の中,日本体育協会の前身である大日本体育会の関係者が集まり,国民,特に青少年にスポーツの喜びを与えたいと国民体育大会を開催することが提案されました。食糧難,交通難,宿舎難など様々な困難を乗り越え,終戦の翌年,国民体育大会は,戦災を免れた京都市を中心にして開催されました。戦争の痛手に打ちひしがれていた日本の人々に,スポーツの面から復興の気持ちを盛り立てようとしたスポーツ関係者の気概には心を打たれるものがあり,日本のスポーツがこのような先人の努力の上に築かれたことに深く思いを致すのであります。

今日,日本体育協会と日本オリンピック委員会は独立した組織となっており,日本体育協会は,国民スポーツの普及振興を,日本オリンピック委員会は,国際競技力の向上を担うこととなっています。両者が交流を深めつつ互いに助け合い,高め合って,スポーツの発展に力を尽くされることを願い,記念式典に寄せる言葉といたします。

全国戦没者追悼式
平成23年8月15日(月)(日本武道館)

本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に66年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

第178回国会開会式
平成23年9月13日(火)(国会議事堂)

本日,第178回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託に応えることを切に希望します。

第179回国会開会式
平成23年10月21日(金)(国会議事堂)

本日,第179回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託に応えることを切に希望します。

第60回全日本手をつなぐ育成会全国大会「式典」
平成23年11月6日(日)(東京国際フォーラム)

(御名代皇太子殿下のご代読)

全日本手をつなぐ育成会が創立60周年を迎え,その記念式典に皆さんと一堂に会することを誠に喜ばしく思います。この会は,60年前,知的障害のある我が子の幸せを切に願う3人の母親たちを中心に始められました。当時,障害者に温かい目で接し,理解しようとする人々は決して多くはありませんでした。したがって,このような家庭を持った人々の悩みや悲しみには,誠に深いものがあったことと察せられます。育成会が長年にわたるその活動を通して,障害者とその家族の様々な苦労を分かち合える仲間を作ってきたことは,その人々にとり,どれほど大きな支えになったことかと思います。3人の創設者を始めとし,このようにして,これまで知的障害者のため努力を重ねてきた多くの人々に対し,深く敬意を表します。

3月に発生した東日本大震災は,障害者とその家族に様々な困難をもたらしたことと案じています。今後,被災地を含む各地の育成会関係者が相互の(きずな)を一層深め,互いに支え合いながら,悲しみを乗り越え,未来を切り開いていくよう期待しています。

創立60周年に当たり,全日本手をつなぐ育成会が経てきた道のりに思いを致し,知的障害のある人々の人格が一層尊重され,地域の人々と共に充実した生活を送ることのできる社会が築かれていくことを切に願い,式典に寄せる言葉といたします。

恩賜林御下賜100周年記念大会
平成23年11月13日(日)(山梨県立県民文化ホール)

(御名代皇太子殿下のご代読)

恩賜林御下賜100周年記念大会が開催されるに当たり,皆さんと共にこの大会に臨むことを楽しみにしていましたが,病を得,欠席を余儀なくされました。誠に残念に思いますが,ここに大会に寄せる言葉を皇太子に託します。

明治時代,山梨県では,山林の荒廃が進んだ結果,水害が度々起こり,災害による県民の窮状誠に厳しいものがありました。特に,233人の命が失われた明治40年の水害は中でも最も大きな災害であり,心を痛められた明治天皇は,明治44年,今から100年前のこの年,県内の御料地のほとんどを,県民生活の救済と県土復興に役立てるよう,山梨県に御下賜になりました。以来,この恩賜林は,人々の努力により,豊かに育ち,人々の生活に様々な形で,多くの恵みをもたらしてきました。

しかしこの状況は先の戦争により,大きく変わりました。我が国では,戦災からの復興に木材が必要とされ,木々が伐採されて山々の荒廃が進みました。その結果,度々各地で台風による災害が起こりました。この状況を改善するために,第1回植樹行事ならびに国土緑化大会が昭和25年山梨県で開催されました。植樹祭として今日まで続くこの行事は,国民が森林に目を向ける重要な契機となったことと思います。

折しも本年は,「森林に対する世界の市民の参加と理解」を目的とする「国際森林年」に当たります。このような森林に対する国際的な関心の高まりを背景にして,山梨県では,近年,環境に配慮した森林管理を,国際的な基準に(のっと)って取り進めていると聞いており,誠に心強いことと思っています。

これまで100年間にわたって,恩賜林のために関係者がたゆみなく続けてきた尽力に対して深く敬意を表するとともに,これからも,この恩賜林が「人々のための森林」として,大切に守り育てられることを願い,大会に寄せる言葉といたします。

国賓 ブータン国王陛下及び王妃陛下のための宮中晩餐
平成23年11月16日(水)(宮殿)

(御名代皇太子殿下のご代読)

国王王妃両陛下をお迎えするこの席において,私自身歓迎の言葉を申し上げるべきところ,病気のため,かなわぬことになりました。誠に残念に思い,その失礼をお()びし,皇太子に私の言葉の代読を依頼いたします。


この度,ブータン王国ジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク国王陛下が,ジツェン・ペマ・ワンチュク王妃陛下と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。この御訪問は,当初,本年5月に国王陛下を国賓としてお迎えする行事として予定されていましたが,東日本大震災のため,陛下の深い御理解を得,半年を経た今日まで延期のやむなきに至っておりました。この間,貴国においては去る10月,陛下と王妃陛下の御成婚の儀がめでたく執り行われ,ここに,御成婚間もない国王王妃両陛下をお迎えできますことを,誠に喜ばしく思います。

去る3月の東日本大震災に際しては,国王陛下から,私に対し,2度にわたって哀悼とお見舞いのお気持ちをお伝えいただき,また,日本赤十字社に対して心温まる御支援を頂きました。さらに,震災直後の3月12日には,ティンプー市内で国王陛下の主催により,災害における犠牲者に対する追悼式が行われた他,貴国の各地で追悼式や様々な募金活動が行われました。貴国から頂いた,このように誠に心のこもったお見舞いと支援に対して,改めて私どもの深い感謝の意を表したいと思います。

振り返りますと,皇后と私が初めて貴国王室の方とお会いしたのは1975年,皇太子・皇太子妃の立場としてネパール国の今は亡きビレンドラ国王の戴冠式に参列した時のことでした。この時,貴国を代表して出席されましたのは,前国王陛下の姉君,貴陛下の伯母君に当たられるデチェン・ワンモ・ワンチュク王女殿下でいらっしゃり,まだ20代になられたばかりのお若さながら,その立派な立ち居振る舞いで,参列者一同の注目を集めておられました。私どもはすぐに親しくなり,ネパールを()つ前には日本大使公邸にお招きし,朝食を共にいたしました。

陛下にお目にかかりましたのは,その時から31年の後,今から5年前,現在洪水の被害が深く案じられているタイ国バンコクにおいて,プミポン国王陛下御即位60年慶祝式典が挙行された折のことでした。当時,まだ皇太子でおられた陛下と,チャオプラヤ川を進む美しいロイヤル・バージを展望するなど,式典の様々な行事に御一緒したことが思い起こされます。

御父君のジグミ・シンゲ・ワンチュク前国王陛下には,昭和天皇の崩御に際し,大喪の礼に御出席いただき,また,私の即位の礼にも御列席いただいたことを,深く感謝しております。前国王陛下が,お元気にお過ごしでいらっしゃると伺い,誠に喜ばしく思います。また,前国王陛下にお招きいただき,これまで,皇太子と秋篠宮同妃が,貴国を訪問いたしましたが,それぞれの訪問に際し,ブータン王室から温かいおもてなしを頂いたことに深く感謝いたします。

本年は,貴国と我が国の間の外交関係樹立25周年に当たりますが,両国間の交流は,外交関係樹立以前から行われていました。植物学者の中尾佐助氏は,1958年に貴国に数箇月間滞在し,翌年,貴国の状況を本格的に紹介する書物を著しましたが,これは,我が国国民にとり,貴国のことを知る上で,初めての本となり,私もまだ若かった20代にこの本を味わい深く読んだ思い出を持っています。中尾氏は,両国の照葉樹林の植生の共通性や,貴国の風習や習慣,豊かな自然について驚きと感慨を持って観察し,また,竹細工,漆器,手()き紙などや,段々畑,棚田,米,麦,蕎麦(そば)の作付けなど,我が国にも通じる貴国の伝統工芸や伝統的農業についても,興味深い記述を残しました。

さらに,両国の交流の歴史で忘れてはならない一人に,1964年にコロンボ計画の農業専門家として貴国に派遣された西岡京治(けいじ)専門家がおります。西岡専門家は,その生涯を通じて,貴国の農業振興に貢献した功績がたたえられ,前国王陛下より,「ダショー」の称号を授けられました。ダショー西岡の意志を受け継いだ人たちが,現在では貴国政府・関係機関の要職を占め,貴国の農業発展のために日々活躍していると聞き,心強く思っています。

貴国では,1990年代の終わりから,王制から立憲君主制への移行準備が進められ,2008年に,議会制立憲君主制への移行が,平和()に実現されました。この過程において,国王陛下御自身,皇太子として,また即位後は国王として,全国を行脚され,民主化の重要性について国民との対話に努められたことに,深い敬意を表します。

前国王陛下が提唱された「国民総幸福量」は,貴国の国家運営の指針となり,貴国では経済成長を過度に重視せず,伝統的な社会や文化,自然環境の保護に十分注意を払った国づくりが進められています。我が国においても,「国民総幸福量」に学ぶところは大きいと受け止められています。

この度の御訪日を契機に,両国間の交流がますます活発になり,友好関係が一層進展していくことを望んでやみません。

我が国は,今,秋も深まり,美しい紅葉の季節を迎えております。この度の御滞在が実り多く,思い出深いものとなりますよう,期待いたしております。

ここに杯を挙げて,国王王妃両陛下の御健勝と,ブータン国民の幸せを祈ります。

ブータン国王陛下のご答辞