「世界赤十字デー」と定められている由緒あるこの日に,全国赤十字大会に出席し,日ごろより赤十字の活動に深く携わっておられる皆様方と親しくお会いすることを大変うれしく思います。
赤十字は国際的な強い
今日世界には,相次ぐ自然災害や紛争,更には既存の疾病に加え,新たに出現したさまざまな感染症などに苦しみ,支援を必要としている人々が数多くおり,こうしている今も,ミャンマーにおいてサイクロンにより
赤十字に寄せられる期待と要請が,今後ますます高まってくると思われます現況において,皆様方が,従来にも増して,赤十字の尊い使命に思いを致され,より一層力強い活動を,国の内外において進められますよう,切に希望いたします。
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聖心女子学院創立100周年の式典にお招きを頂き,皆様と共にこの日の喜びにあずかりますことを,心よりうれしく思います。
私は終戦後まもない昭和22年から6年間,ここ三光町の中等科と,高等科で学びました。その後に引き続く大学での4年間を合わせ,延べ10年に及ぶ学生生活を,聖心会の教育を受けて過ごすことのできましたことは,私にとりこの上なく幸せなことでございました。
当時学内には,私どもがマザースとお呼びしていた修道女が大勢おられ,先生,職員方と共に教育に当たっておられましたが,修道女方は皆様,黒いゆったりとしたハビットを召され,そのスカートのポケットからは,御自分用のノートや鉛筆に加え,生徒が必要とする様々なものがとり出され,ある時は,折りたたみナイフに続き,よもやと思いつつお願いしてみた鋏まで出て来て,私どもを驚かせ,喜ばせました。こうした不思議なお召し物のせいばかりではなく,修道女方は,やはり私ども生徒にとり,特別な存在でいらっしゃいました。まだ全てに未熟で,安易に人を批判しやすい年齢の少女たちにとっても,この方々の教育者としての活動が,常に観想と祈りのうちにあることは,気付かせられざるを得ないことでございましたし,この方々にとり,教職とは,仕事とか職業という以上に,召命 ―召し出し― とも呼ばれるべきものであることを,うっすらとながら感じとっていたためであったのだと思います。
又,教育を司られるマザースと共に,当時同じ聖心会の修道女でしたが,主として労働に携わり,私どもがシスタースとお呼びしていた方々のことも,忘れることができません。この方々が働いておられる時の真摯なお姿と,お仕事の合間合間に校庭の目立たぬ場所を祈りつつ歩まれるお姿からも,私どもは多くのことを学ばせていただいたように思います。真心をこめて働く姿の美しさを,少女期の記憶に深くとどめたことは,学業を終えた
こうしてお教えを受けた修道女のいくたりもが,今は美しい富士裾野の霊園に鎮まっておられますが,私はこの方々を感謝のうちに懐かしむとともに,その
もう数年前のことになりますが,日光の戦場ヶ原に参りました時,思いがけずオリエンテイリングをしている聖心の子どもたちに出会いました。
創立者マグダレナ・ソフィア・バラの伝記の中に,建学の精神に養われた初期のマザー方が「私たちは,生徒たちに対する愛の重さで
100周年に当たり,聖心女子学院を日本にもたらし,育てて下さった大勢の方々の上に思いを馳せ,今日より始まるこの学院の新しい日々の幸せをお祈りいたします。そして又,縁あって100周年のこの年に学院に在学し,本日ここにおられる児童,生徒方の円満で健やかな成長を祈念し,お祝いの言葉とさせていただきます。