主な式典におけるおことば(平成18年)

天皇陛下のおことば

第164回国会開会式
平成18年1月20日(金)(国会議事堂)

本日,第164回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,国民の信託にこたえ,その使命を十分に果たすことを切に希望します。

2006年(第22回)日本国際賞授賞式
平成18年4月20日(木)(国立劇場)

第22回日本国際賞の授賞式に当たり,「地球環境変動」の分野において,サー・ジョン・ホートン博士が,また,「治療技術の開発と展開」の分野において,遠藤章博士が,それぞれ受賞されたことを心からお祝いいたします。

ホートン博士は,地球を取り巻く大気の温度や構造,成分を人工衛星から測定するための新たな観測機器を開発し,地球規模での大気の状態の解明に大きく貢献されました。博士の開発された観測機器は,オゾン層の破壊や炭酸ガスの増加など,大気変動の監視に不可欠な役割を果たしております。博士は,その結果を基に,地球環境を守るための国際的な協力を進め,地球環境問題に対する認識を高めるためにも力を尽くしてこられました。

遠藤博士は,青カビの中から血中のコレステロール量を低下させる物質を発見し,これを薬として開発するために,様々な困難を乗り越えて粘り強い力を続けられました。血中のコレステロール値が高いことは動脈硬化の原因となり,心筋梗塞(こうそく)や脳梗塞(こうそく)などを引き起こすことにつながります。博士の発見された物質は,現在広く服用されているスタチン系の薬のもととなり,これらの血管障害性疾患を世界中で激減させることを可能にしてきました。

ここに,環境と健康という人々の幸せに大きくかかわる問題について優れた業績を収められた両博士に対し,深く敬意を表します。

これからも日本国際賞が真の幸せをもたらす科学技術の発展に寄与することを願い,式典に寄せる言葉といたします。

第57回全国植樹祭
平成18年5月21日(日)(南飛騨健康増進センター(岐阜県))

第57回全国植樹祭に臨み,ここ下呂市「南飛騨健康増進センター」において,全国から集まった参加者と共に植樹を行うことを誠に喜ばしく思います。

岐阜県においては,今からほぼ50年前の昭和32年,全国植樹祭の前身である「植樹行事ならびに国土緑化大会」の第8回大会が,当時の揖斐(いび)谷汲(たにぐみ)村で開催されました。人々が戦中,戦後の乱伐によって荒廃した国土の復興に力を尽くしていた時代であり,この大会のテーマも,「公有林復興,学校林,青年団林造成」でありました。

私どもは,昭和51年の夏,岐阜県で開催された献血運動推進全国大会への出席の折,谷汲(たにぐみ)村を訪れ,記念林で枝打ちと下刈りの作業を見ました。この時,枝打ちを終えた人が地上に頭を下にして下りてくる逆さ降りの技を見せてくれたことが今も心に残っています。戦後に植林された木々の保育が強く望まれていた時期であり,翌年から行われることになった全国育樹祭に私どもも毎年出席してまいりました。

我が国の人々は,長年にわたって森林を守り育てることに努め,森林の恩恵を受けてきました。今日,国土面積のおよそ3分の2を占める森林は,災害の防止を始め,様々な面で,人々の生活にかけがえのない役割を果たしています。この豊かな森林を活力のある状態で維持していくためには,若い人々がこの問題に関心を持ち,努力を続けていくことが極めて重要であります。県土の82パーセントが森林で覆われている岐阜県においては,将来を担う子どもたちに,森や緑の大切さを学校教育の中で体験させる試みが進められていると聞いております。このような試みを通して,高齢化の進む地域において,若い力が森林づくりの活動に加わっていくことは,非常に心強いことであります。

この度の全国植樹祭を契機として,更に多くの人々が,森を造り,維持していくために協力し合っていくことを願い,式典に寄せる言葉といたします。

全国戦没者追悼式
平成18年8月15日(火)(日本武道館)

本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に61年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

第16回国際顕微鏡学会議記念式典
平成18年9月6日(水)(札幌コンサートホールkitara)

第16回国際顕微鏡学会議が,国の内外から多数の参加者を得て,ここ札幌市において開催されることを誠に喜ばしく思います。

国際顕微鏡学会議は,1949年オランダで開催された第1回国際電子顕微鏡学会議に始まり,前回の15回までは電子顕微鏡に携わる人々の会議でありました。今回の会議では電子顕微鏡以外の顕微鏡も対象とする会議となり,参加者の範囲も広がり,会議のテーマも「21世紀のための顕微鏡学…ライフサイエンスと材料科学への貢献」となっています。

過去2,30年の顕微鏡学の進歩には誠に目覚ましいものがありました。高性能の電子顕微鏡は限りなく小さな世界の可視化を通じて,生命現象や物質の構造の解明のために極めて大きな貢献をしてきました。さらに近年に至り,電子顕微鏡に続き,新たな原理に基づく高性能の顕微鏡も開発されるようになりました。生命科学や材料科学が,より進歩した顕微鏡を使うことによって発展し,その成果が,いかに産業,医療などに広く応用され,人々の福祉の増進に寄与してきたかを考える時,顕微鏡の開発に携わった研究者のたゆみない努力に深く敬意を表するものであります。

国際電子顕微鏡学会議は,これまで1966年と1986年の2度,京都において開催され,1986年の会議の晩餐会には私も出席しました。私事にわたりますが,その席上,私はこの年初めて走査電子顕微鏡を自身の研究に用いたことをお話いたしました。この研究は,日本では北海道から九州までの沿岸によく見られるシマハゼというハゼが,実際には2種類に分けられるのではないかということを調べるための研究でした。走査電子顕微鏡写真では,この2種類の胸鰭(むなびれ)などの相違が明(りょう)に写し出され,3年後,走査電子顕微鏡写真を載せた論文を魚類学雑誌に発表することができました。電子顕微鏡と触れ合った私の心に残る研究の一時でした。この研究に協力された国内の,そして韓国を始めとする国外の研究者の厚情と共に,今懐かしく思い起こされます。

この度の会議は,顕微鏡の開発に携わる研究者とその顕微鏡を用いる様々な分野の研究者が一堂に会する会議であります。長らく顕微鏡の開発にかかわって来た人々と多岐にわたる科学分野の研究者の間の相互理解が進み,さらに各国からの参加者が国境を越えて交流を深める機会となれば非常にうれしいことです。この会議が実り多い成果を挙げ,世界の科学の進歩と,人々の幸せに大きく貢献することを切に願い,式典に寄せる言葉といたします。

(主催者等が表明した,この日の親王殿下御誕生に対する祝意と会場からの拍手に対し)

また,只今は,秋篠宮妃の無事の出産に対し,皆さんにお祝いしていただいたことを深く感謝しております。どうもありがとう。

第165回国会開会式
平成18年9月28日(木)(国会議事堂)

本日,第165回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

第61回国民体育大会開会式
平成18年9月30日(土)(神戸総合運動公園ユニバー記念競技場)

第61回国民体育大会が兵庫県で開催されるに当たり,全国から参加した選手,役員並びに多くの県民と共に開会式に臨むことを,誠に喜ばしく思います。

国民体育大会は,戦争による荒廃の中でスポーツの復興を願う人々の熱意と努力によって,終戦の翌年,昭和21年に始められました。この第1回の大会は,戦災を受けなかった京都市を中心に開催され,兵庫県もその一翼を担って,宝塚市と西宮市で競技が行われました。国民の生活が極めて厳しかった時であり,大会の運営に携わった人々や選手の苦労には非常に大きなものがあったことと思います。

以来,国民体育大会は,各地におけるスポーツの普及と振興に大きく貢献してきました。第1回から10年後,ちょうど50年前には,第11回大会が兵庫県で開催されました。規模や運営方法などを全般的に見直した大会であり,縮小された予算の中で,かかわった人々が様々な工夫により,開催を可能にした大会でありました。ここに,永年にわたり,様々な困難を乗り越えて,大会を支えてきた関係者のたゆみない努力に対し深く敬意を表します。

今回の大会から,これまで別々に開催されてきた夏季大会と秋季大会が統合され,一つの大会として開催されることになりました。新しい国民体育大会が,今後,国民にとって,又開催地の人々にとって,より良いものとなっていくよう関係者の尽力に期待しております。

6,400余人の命が失われた阪神・淡路大震災から11年,被災地の人々は全国からの支援を受けつつ,励まし合い,助け合いながら復興への努力を続けてきました。今日,被災地が緑のある街として(よみがえ)り,この大会がこれまでに支援の手を差し伸べてきた全国の人々への感謝の気持ちを込めて開催されることは極めて意義深いことと思います。

選手の皆さんには,日ごろ鍛えた力と技を十分に発揮するとともに,お互いの友情と,地元兵庫県民との交流を深めるよう期待しております。

多くの県民に支えられて開催されるこの大会が,選手にとり,また,兵庫県民にとって,心に残る実り多いものとなることを願い,開会式に寄せる言葉といたします。

第26回全国豊かな海づくり大会
平成18年10月29日(日)(佐賀市文化会館)

第26回全国豊かな海づくり大会が,玄界灘と有明海という二つの海に面した,ここ佐賀県で開催されることを,誠に喜ばしく思います。

この度の会場の一つである,唐津会場の近くの海は,沖を対馬暖流が流れ,その影響により,昔から好漁場としてアジやサバ,ブリ,タイなどの海の幸に恵まれたところでした。

一方,東与賀会場が面する有明海は,広大な干潟が広がり,国内最大のノリ養殖漁場であるとともに,干潟の生活に適応した特異な生物が生息しているところとして知られています。ムツゴロウやワラスボは,国内でこの付近の海域にしか見いだされない魚であり,さらにアリアケヒメシラウオのように世界中でここにしか生息していないものもあります。

近年,この二つの海の環境が変化し,水産生物に様々な影響が見え始めるようになりました。有明海では二枚貝の漁獲量が著しく減少し,玄界灘では藻場の減少が見られます。

このような状況に対処するため,栽培漁業の推進や,藻場の造成など,水産資源の回復を図る努力が進められ,同時に,植林活動や海岸の清掃など,森,川,海にかかわる人々が協力し合って,海の環境を良好に保つための活動を行っていることを聞き,誠に心強く思っています。

この度の大会が,豊かな海づくりを目指して,更に多くの人々が協力していくための契機となることを衷心より願っております。

今年も台風や大雨により各地で災害が発生し,人命が失われたことは非常に残念なことでした。佐賀県においても3人の命が失われ,建物や稲作を始めとする農林水産業に大きな被害を生じました。遺族の悲しみ,災害を受けた人々の苦労はいかばかりかと,深く察しております。皆が協力し合い,復興が順調に進み,より安全性の高い県土が築かれていくことを願っております。

第22回国際生物学賞授賞式
平成18年11月20日(月)(日本学士院会館)

サージ・ダアン博士が第22回国際生物学賞を受賞されたことを心からお祝いいたします。

今回の授賞分野は時間生物学であります。時間生物学は20世紀の半ばごろから発展してきた学問分野で,初期のころは野外の生物がどのような日周期活動をしているかを調べる生態学的な研究が進められ,その結果,生物自身が持つ体内時計についての解明がなされるようになりました。近年,時間生物学は分子生物学の進歩に伴い,著しく進展し,時計遺伝子が次から次へと発見されています。さらに人類社会に対し,医療や農業などの面でも大きな貢献をしております。

博士は,このような時間生物学の歴史において,(れい)明期から今日まで,時間生物学上の重要な研究に携わり,多大な業績を収められました。ここに深く敬意を表します。

時間生物学はこれまで私には未知の分野でありましたが,この度博士の御研究に触れ,その一端を知ることができたことはうれしいことでした。ハタネズミやその捕食者チョウゲンボウに関する初期の御研究は興味深く,数年前スイスの牧草地で皇后と共に見たノスリやトビが獲物をねらって飛び交っていた光景が思い起こされました。

博士が今後ともお元気に研究生活を送られ,更なる成果を挙げられることを期待し,お祝いの言葉といたします。

国賓 インドネシア大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
平成18年11月27日(月)(宮殿)

この度,インドネシア共和国大統領スシロ・バンバン・ユドヨノ閣下が,令夫人と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを,誠に喜ばしく思います。

大統領閣下には,昨年6月,令夫人と共に我が国をお訪ねになり,皇后と共に皇居でお目にかかりました。その折,スマトラ沖大地震と大津波の災害についてお話を伺いましたが,この未()有の被害に閣下の御苦労,御心労はいかばかりであったかと深くお察ししております。さらに本年に入って,ジャワ島中部での地震や,ジャワ島南西沖の地震・津波によって,多数の犠牲者と大きな被害が出ております。私どもが15年前訪れたジョグジャカルタも震災を受け,9世紀建立のプランバナン寺院も損傷を受けたと聞きました。我が国も古くから自然災害に見舞われてきた国であります。47年前には伊勢湾台風により5,000人以上の死者,行方不明者が生じ,また11年前の阪神・淡路大震災では,6,400人を超える人々の命が失われました。我が国はこのような過去の自然災害の教訓を生かし,防災に力を尽くしてきましたが,世界の人々が自然災害の恐ろしさを認識し,防災について国境を越えた協力がなされることが極めて大切なことと思います。貴国の人々が,閣下の御指導の下,度重なる自然災害の試練を乗り越えて,力強く復興の道を歩んで行くよう,切に願っております。

閣下には,貴国史上初めて直接選挙によって選出された大統領として,御就任以来,様々な分野での改革に努められ,特に,安定的な社会の発展を目指して,福祉の向上などの課題に取り組んでいらっしゃると伺っております。そのような閣下の御努力に対し,深く敬意を表したく思います。

私が,皇后と共に,初めてインドネシアの土を踏んだのは,1962年のことで,昭和天皇の名代としての訪問でありました。それから29年を経て,1991年,即位後初めての外国訪問の機会に,再び貴国を訪れました。いずれの訪問においても,貴国の人々から心のこもった歓迎を受けたことが,貴国の自然や文化に接したことと共に,懐かしく思い起こされます。また,この2度の訪問の間の,貴国の発展に強く印象づけられたことも,私どもの記憶に残っております。

貴国と我が国の間には,平和条約が発効した1958年以来今日まで,幅広い分野で様々な交流が進められ,緊密な友好協力関係が築かれてきました。元日本留学生が中心となってジャカルタに開設された「プルサダ大学」もその友好関係の表れであり,2度目の貴国訪問に際し,この大学を訪問したことを私どもは度々にうれしく思い起こしております。

この度の御訪問が,このような両国間の関係を更なる増進に資する実り多いものとなることを心から念願し,ここに杯を挙げて,大統領閣下並びに令夫人の御健勝とインドネシア国民の幸せを祈ります。

インドネシア大統領のご答辞

国際連合加盟50周年記念式典
平成18年12月18日(月)(九段会館)

我が国が国際連合に加盟してからちょうど50年目の本日,この記念式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。

私は今から53年前,日本国との平和条約が発効した翌年になりますが,英国女王陛下の(たい)冠式参列の機会に,欧米諸国を回り,国際連合本部も訪れました。国際連合本部ではパンディット総会議長,ハマーショルド事務総長にお会いし,パンディット議長により総会の議事が進められているところを見学する機会を持ちました。当時我が国は,まだ国際連合に加盟が認められていない時であり,私どもは皆,速やかな国際連合への加盟を切に願っておりました。加盟が実現したのは,それから3年後のことでした。昭和8年,ちょうど私が生まれた年に,我が国は国際連盟を脱退し,その後の悲惨な戦争を経,昭和31年,国際社会への復帰を果たしたわけで,その喜びには誠に大きなものがありました。当時の重光葵外務大臣は,総会での演説で,「日本が国際連合の崇高な目的に対し誠実に奉仕する決意を有すること」を述べております。

国際連合は,創設以来,平和と安全の維持や,経済的,社会的,文化的,人道的性質を有する国際問題を解決するために,たゆまぬ努力を続けてきました。第二次世界大戦後40年以上にわたって続いた冷戦という対立構造が解消したことは,平和な世界を目指す上に明るい希望をもたらしましたが,一方では,地域や民族間の紛争が各地で頻発し,多くの命が失われました。また,人の移動を含め,物や情報など様々な分野で国境を越えた移動が盛んに行われるようになりました。このような今日の世界の課題に対処するために,国際連合が取り組まなければならないことはますます多くなってきており,人々の国際連合に対する期待も高まってきています。

我が国は,国際連合に加盟して以来今日まで,世界の平和と繁栄のために,国際連合の内外において,出来得る限り貢献をするよう努力を重ねてきております。私はこれまで皇后と共に,国際連合やその関連機関に働く我が国の人々や,世界各地に展開されてきた国連平和維持活動に参加した人々と接する機会を折々に持ってきましたが,これらの人々が,困難な状況にある人々のために,あるいは地域の安定のために力を尽くしている姿を非常に心強く思っております。

これからも我が国の人々が国際連合について理解を深め,国として,また,国民として,国際連合の活動に積極的に参加し,その崇高な目的の達成に寄与していくことを願い,式典に寄せる言葉といたします。