主な式典におけるおことば(平成17年)

天皇陛下のおことば

阪神・淡路大震災10周年追悼式典
平成17年1月17日(月)(兵庫県公館)

本日,阪神・淡路大震災から10周年を迎えるに当たり,亡くなられた六千四百余名の人々を悼み,改めて深い哀悼の意を表します。

10年前の未明に起こった地震とそれに伴う火災の被害は誠に大きなものでした。震災から2週間後,私どもは,被災地を訪ねましたが,街は痛々しく破壊され,訪れた長田(ながた)区においては,がれきの中でいまだ行方のわからない人々の捜索が行われていました。家族を失い,家を失った人々の悲しみの姿が今も思い起こされます。被災地の人々はこの悲しみに耐え,けなげに励まし合い,助け合って,自己の生活を立て直し,さらに地域の復興へと力を尽くしてきました。

被災後6年を経た平成13年,再び当地を訪問し,かつての被災地が緑のある街として(よみがえ)ってきていることを誠に喜ばしく思いました。県民の努力をねぎらい,それを助けてきた行政関係者や全国から集まった大勢のボランティア,さらに外国からの協力に対し,ここに深く感謝の意を表します。

ここ阪神・淡路の地域では,震災の経験と,そこから得られた教訓を,広く人々に伝え,また,将来に活かしていくための様々な試みが進められてきました。国の内外において,地震の発生に備え,あるいは,災害からの復興に当たり,兵庫県の経験に学び,さらにそれを受け入れる努力がなされていることは,誠に意義深いことと思います。また,近年,自然災害の発生に当たって,県や地域を越えたボランティアの交流が行われ,人々が,広くお互いに助け合う姿が定着してきていることを,心強く思います。

震災から10年を経て,被災地においてもこの震災を経験しない人々の割合が増してきていると聞いています。私どもは震災の悲惨さを忘れず,我が国の,そして世界の人々に災害の実情を伝え,1人でも多くの命が不慮の災害から守られる安全性の高い社会を築いていかなければなりません。震災によって失われた多くの命を惜しみ,その死を決して無にすることのないよう,皆がさらに力を尽くしていくことを願い,追悼の言葉といたします。

国連防災世界会議開会式
平成17年1月18日(火)(ポートピアホテル)

世界から多数の参加者を迎え,国連防災世界会議が,10年前,阪神・淡路大震災により大きな被害を受けた兵庫県神戸市において開催されることを誠に意義深いことと思います。

昨年暮れに起こったスマトラ沖の大地震とそれにより発生した大津波は周辺の国々はもとより広範な地域に被害をもたらし,現在死者・行方不明者は18万人を超すといわれています。この災害の犠牲者に対し,深く哀悼の意を表します。

津波による災害は,日本ではしばしば起こっています。近年では1993年に起こった「平成5年北海道南西沖地震」で,奥尻島などが地震,津波,火災の大きな被害を受け,200人以上の死者・行方不明者が生じました。震災からほぼ2週間後,私どもは被災地を訪れましたが,災害の悲惨な状況は,誠に痛ましいものでありました。

日本で記録に残る大きな津波は,1896年の「明治三陸地震津波」で,死者が2万人以上に達しました。その後,1933年に,再び「三陸地震津波」が同じ地域を襲い,この時も,死者・行方不明者がほぼ3,000人に達しました。この2回の津波の間には,ほぼ40年の開きがありますが,2度目の災害の発生に当たり,地震後の津波の襲来に対する警戒心が人々の間に十分になく,このことが被害の増大を招いたことが知られています。

このような例を考えるとき,防災の上で最も大切なことは,過去の災害から教訓を引き出し,それに対していかに対応するかということだと思います。昨日この地で行われた阪神・淡路大震災10周年のつどいで発表された1・17宣言は,「忘れない」をテーマとしています。現在,神戸市の人口の4分の1が震災の経験のない人々だということを聞き,このテーマの重要性を感じました。

世界の各地域において,毎年のごとく,台風やハリケーン,洪水,地震,旱魃(かんばつ)などの自然災害によって,多数の人命が失われ,大きな被害が生じています。日本は地震帯の上にあり,火山の多い急(しゅん)な地形を持ち,さらに台風の通り道に当たるため,古くから様々な自然災害に見舞われてきました。しかし,国民が力を合わせて,治水治山に努力し,また,風水害の予知や,災害発生時の早期警報の改善などに努めた結果,近年では,自然災害による1年間の死亡者数が減少し,防災の効果が現れていることをうれしく思っています。

自然災害がもたらす被害は,その災害の性格や地域によってさまざまに異なる面がありますが,その予知や,防災対策,さらには,災害が発生した際の被災者の救援,被災地の復興などについては,国境を越えて,過去の経験に学び,将来に備えることが可能であると思います。また,今回の大津波のごとく,大規模で広範囲にわたる災害に際しては,救援と復興のための国際的な協力が必要であり,この度も,日本を含む多数の国が参加して,支援活動が進められていることは,心強いことであります。

この度の世界会議は,1994年に横浜で開催された世界会議以来10年間の,世界における災害の状況や防災活動を振り返り,人々の生命や生活を自然災害から守るために,災害に対する備えを強め,安全で安心して暮らせる社会を築くことを目指して,それぞれの経験を分かち合う貴重な機会であります。この会議での意見交換を通じて,日本が長年にわたる経験によって培ってきた防災についての知識や技術が,世界各国の自然災害による被害の軽減に少しでも役立つことがあれば幸せに思います。

会議が実り多い成果を挙げ,一層安全な世界に向かって進むことを願い,開会式に寄せる言葉といたします。

第162回国会開会式
平成17年1月21日(金)(国会議事堂)

本日,第162回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

国賓 マレーシア国王陛下及び王妃陛下のための宮中晩餐
平成17年3月7日(月)(宮殿)

この度,マレーシア国王サイド・シラジュディン陛下が,王妃陛下と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを,誠に喜ばしく思います。

国王陛下の父君,故サイド・プートラ国王は,1964年,母君と共に,国賓として我が国を御訪問になり,私の父昭和天皇と母香淳皇后がお迎えし,当時皇太子,皇太子妃であった私どももお目にかかりました。41年を経た今日,共に一世代を経,両陛下を国賓としてお迎えすることに深い感慨を覚えます。

私どもが両陛下に初めてお目にかかりましたのは父君の我が国御訪問から6年後,私が昭和天皇の名代として,皇太子妃と共に貴国を訪問した時のことであります。当時既に父君は国王としての5年の任期を終えて,ラジャとしてペルリス州にいらっしゃり,クアラルンプールでは御病気中の新国王に代わり,副王,副王妃両殿下が私どもを丁重に迎えてくださいました。私どもはこの訪問の機会に,ペナン,スランゴール,ジョホールの各州を訪れるとともに,答礼の気持ちをもってペルリス州に父君と母君をお訪ねいたしました。この時,ペルリス州の皇太子,皇太子妃でいらっしゃった両陛下も,御両親と共に私どもを親しくもてなしていただいたことが心に残っております。

2度目の私どもの貴国訪問は1991年,私の即位後のことであり,当時の国王アズラン・シャー陛下から丁重なおもてなしを頂きました。この時,私どもがお招きした晩餐会には陛下の御両親も元気な姿をお見せになったことはうれしいことでした。21年振りに訪れた貴国は美しく発展し,クアラルンプール近郊のゴム林がアブラヤシ林に変わったことが私どもの印象に残っております。アズラン・シャー国王陛下はそれから2年後,我が国を国賓として王妃陛下と共に御訪問になりました。

貴国と我が国との国交は1957年貴国の独立と同時に開かれ,以来,今日まで,たゆみない友好と協力の関係が続いております。両国の人々の間では更に古くから交流が行われており,歴史にあらわれたものとしては,16世紀のマラッカ王国と琉球王国との間の交易や17世紀の朱印船による交易が挙げられます。

今日,両国の関係は,政治,経済のみならず,科学技術や文化など様々な分野で緊密なものとなり,人的な交流も活発に行われております。特に,1981年に提唱された貴国の東方政策によって,20年以上にわたり,大勢の優れたマレーシアの留学生や研修生が我が国に派遣され,我が国滞在中に多くの人々と友情をはぐくみ,帰国後様々な分野で活躍していることは今後の両国間の相互理解と友好関係の増進に大きく寄与することとうれしく思っております。

我が国は,長年にわたり,貴国を始めとするアセアン諸国との友好関係を大切にはぐくんでまいりましたが,今後,両国が共に位置する東アジア地域において,地域協力を更に進めていくためには,貴国と我が国とが手を携え,共に歩んでいくことがますます重要となると考えます。私は,両国の国民が,互いの交流を通じて相互理解を一層深めるとともに,緊密な友好と協力の関係を築き,東アジア地域,さらには世界の平和と繁栄のために貢献していくことを期待しております。

終わりに,昨年12月に発生した大津波により,70人以上の貴国民の死者,行方不明者が生じたことについて,国王陛下の御心痛をお察しするとともに,改めて犠牲者に対し,深く哀悼の意を表します。

久しぶりに雪の多かった冬を過ごし,日本は,今,春を迎えようとしております。両陛下の御滞在が,実り多く,思い出深いものとなりますことを心から念願いたします。

ここに杯を挙げて,国王王妃両陛下の御健勝とマレーシア国民の幸せを祈ります。

マレーシア国王陛下のご答辞

2005年日本国際博覧会開会式
平成17年3月24日(木)(2005年日本国際博覧会長久手会場EXPOドーム)

2005年日本国際博覧会が,世界の多数の国と国際機関の参加を得て,ここ愛知県において開催されることを,誠に喜ばしく思います。

初めての万国博覧会がロンドンで開催されたのは1851年のことでありますが,その3年後,日本は200年以上に及ぶ鎖国を解く第一歩として日米和親条約に調印しました。日本が諸外国との交流を進め,日本の独立を守っていく上で,日本人が外国を知り,日本を外国人に知らせることは大変重要なことでした。日本は日米和親条約調印の13年後,1867年にパリで開催された万国博覧会に初めて参加しました。この経験を踏まえ,その6年後にウィーンで開催された万国博覧会に,日本政府は非常な熱意を込めて参加をしました。この時派遣された人々の中には様々な分野の技術伝習生もあり,伝習生は博覧会終了後も欧州にとどまり,新技術や新知識を携えて帰国し,日本の近代化の基礎づくりに貢献しました。当時は交通も容易でない時代であり,外国との国交を開いて日の浅い日本にとって,機械文明の成果が展示された万国博覧会への参加は極めて意義深い結果をもたらしたものと思われます。

1970年には,日本で初めての万国博覧会が大阪で開催されました。当時皇太子であった私は,名誉総裁として皇太子妃と共に,会場を度々訪れ,国々や機関,企業が出品しているすべての館を見て回ったことが今,懐かしく思い起こされます。この博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」でありました。当時の日本では工業化が進み,国は豊かになってきていましたが,一方そのひずみとして公害問題が厳しくなっていました。したがって1970年万博におけるこのテーマは,誠にふさわしいものに思われました。多くの館で科学技術の成果が展示されましたが,自然の美しさを示す映像や当時既に公害問題を取り上げた館もありました。

以来35年を経,2005年日本国際博覧会の開幕を迎えることになりました。この間に科学技術は更に発達を遂げましたが,その中で環境を良好に保ち,生命を守る科学技術についての取組が盛んになってきていることは心強いことであります。この度の博覧会のテーマは「自然の叡智」であります。35年前に比べ,今日,自然に対する理解は進み,人類の活動が自然に及ぼす影響に対する世界の人々の関心は深くなってきています。この動きを更に高め,地球温暖化や砂漠化の防止,自然災害への対応など,人類が直面している様々な問題に対処していくことが今,不可避の課題となっています。愛・地球博が,世界各地から会場を訪れる人々に,人類と自然のかかわりについての理解を一層深めさせ,世界の人々が手を携えて地球の環境を良好に保つよう努力する契機となるならば誠に喜ばしいことであります。

ここに,世界の多くの人々の協力の下に開催される2005年日本国際博覧会の開会を祝し,その成功を祈ります。

2005年(第21回)日本国際賞授賞式
平成17年4月20日(水)(国立劇場)

第21回日本国際賞の授賞式に当たり,「情報・メディア技術」の分野において長尾真博士が,また,「細胞生物学」の分野において竹市雅俊博士とエルキ・ルースラーティ博士が,それぞれ受賞されたことを,心からお祝いいたします。

長尾博士は,コンピューターによる機械翻訳の研究を進め,その技術の基礎を作られました。この技術は,科学技術論文の抄録の翻訳について既に実用化され,また,博士の提唱された用例翻訳の手法は,様々な言語相互間の機械翻訳をも可能にしつつあります。さらに,博士は,画像処理の分野で,人の顔写真の解析や認識を可能にする技術などを開発され,これまでに研究された技術を総合して,電子図書館の理想の姿を提案されました。

竹市博士とルースラーティ博士は,組織や器官の形成の基になる細胞接着に関する研究を進め,その中で,竹市博士は細胞と細胞の接着について,また,ルースラーティ博士は細胞と細胞外マトリックスの接着について,それぞれ分子機構の解明に大きな役割を果たされました。両博士の研究成果に基づき,組織の出来方や,病気の時に起こる細胞の異常行動の原因が解明され,今後治療の困難な病気を克服することができるようになることが期待されています。

三博士の御研究は,科学技術の著しい進歩を人類の幸せに役立てる上に,大きく貢献するものであり,ここに,深く敬意を表します。

日本国際賞も今回21回を迎えました。ここにこの賞を長年にわたり支えてきた多くの関係者の努力を深く多とするとともに,新しい伊藤正男会長,吉川弘之理事長の下で,日本国際賞が,今後とも人々に真の幸せをもたらす科学技術の発展に寄与することを願い,式典に寄せる言葉といたします。

第56回全国植樹祭
平成17年6月5日(日)(水郷県民の森(茨城県))

第56回全国植樹祭に臨み,ここ潮来(いたこ)市「水郷県民の森」において,全国から集まった参加者と共に植樹を行うことを誠に喜ばしく思います。

全国植樹祭は,戦中,戦後の乱伐により荒廃した国土を復興する目的をもって,昭和25年「植樹行事ならびに国土緑化大会」として始められ,年毎に開催都道府県を替えて,今日まで行われてきました。

前回茨城県で全国植樹祭が開催されたのは,昭和51年,県の北部大子町(だいごまち)でありました。林業地帯にあるこの会場地は「奥久慈憩いの森」となり,今回の植樹祭のサテライト会場にもなっています。

今回のメイン会場「水郷県民の森」は都市近郊にありながら,ため池や雑木林などの里山の風景が豊かに保たれているところです。里山林はかつては全国各地の集落に隣接して,人々の生活や生産活動のために燃料や肥料,家畜の飼料,建築材などを供給するかけがえのない役割を果たしてきました。しかしながら,都市化が進み,人々の生活様式や産業構造が変化するに従い,里山の地域は開発が進み,里山林が次第に失われていくようになりました。そのような状況の中で,近年,様々な生き物を(はぐく)み,四季折々に変化し,生活に潤いや安らぎを与える里山に人々の関心が高まり,多くの人々の努力により,里山林を保全する動きが広がっていることをうれしく思います。

今日,山村地域の過疎化や高齢化の進む中で,豊かで手入れの行き届いた活力のある森林を維持していくことが,全国的に大きな課題となっております。このような森林の整備には,幅広い国民の協力が求められますが,身近な里山林への関心の高まりが,更に,森林全体を大切にする機運に(つな)がっていくことを期待しております。

この度の植樹祭を契機に,森林の大切さについての人々の関心と理解が一層深まり,より多くの人々が森づくりに関与するようになることを願い,式典に寄せる言葉といたします。

全国戦没者追悼式
平成17年8月15日(月)(日本武道館)

本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に60年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

第18回世界心身医学会議開会式
平成17年8月21日(日)(神戸ポートピアホテル)

第18回世界心身医学会議が,国の内外から多数の参加者を迎え,ここ神戸市において開催されることを誠に喜ばしく思います。

世界心身医学会議が初めて開かれたのは1971年,メキシコにおいてであり,その6年後,「臨床医学の中核としての心身医学―その教育,実践,研究ならびに概念―」をテーマとして,第4回の会議が京都で行われました。以来28年を経,再び日本でこの会議が催されることになりました。病む人の病状を心と体の両面から総合的に把握し,全人的な医療の在り方を求めるという心身医学の考え方は,その間に医学及び医療の他の専門領域にも広がり,最近では臨床各科においても,共通の理念として重要視されてきております。

近年,医学,医療は様々な科学技術の発達に伴い,急速な進歩を遂げました。そして多くの専門分野に分化し,医師は,それぞれの分野で深い知識が必要とされてきております。一方,それぞれの専門分野に深くかかわりつつも,医師が人間を全体として見る視点を失わないように努めることも,極めて大切なことであります。更に病気そのものの治療のみならず,患者一人一人の持つ心配や苦しみを心の交流を通して分かち合い理解することも,切実に求められております。このような厳しい要求を満たしつつ,日々医療に当たる医師のたゆみない努力に深く敬意を表します。

今日,科学技術の進歩や高齢化がもたらす社会の変動は,人々に心身の健康を損なう様々な環境を作り出してきております。さらに,ここ神戸市は,10年前,六千人以上の人々が亡くなった阪神・淡路大震災によって大きな被害を受け,今なお多くの被災者が心身の後遺症に苦しんでいると聞いております。このような時に,世界から心身の健康に関心を寄せる研究者が神戸に集い,心身医学上の新たな知見を基に,研究者の間で様々な討議が行われることは,この地域の人々のために,また,ひいては日本を始め世界の人々のために,意義深いものとなることと期待しております。

この度の世界心身医学会議が実り多い成果を挙げ,世界の医学の進歩と人々の幸せに貢献することを願い,開会式に寄せる言葉といたします。

歯科技工士法制定ならびに日本歯科技工士会創立50周年記念大会
平成17年9月18日(日)(東京国際フォーラム)

歯科技工士法制定ならびに日本歯科技工士会創立50周年記念大会が,国の内外から参加者を迎え,ここに開催されることを,誠に喜ばしく思います。

歯は人々の生活に極めて重要な役割を担っており,歯が欠損した場合には,それを補うために,古来様々な工夫がなされてきました。森林に恵まれ,建築や各種の道具などに木材を使用してきた我が国では,木床(もくしょう)義歯が使用されていました。木床(もくしょう)義歯の最も古いものとしては,1538年に亡くなった尼僧仏姫(ほとけひめ)黄楊(つげ)材の総義歯が遺品として保存されています。しかし,19世紀半ば200年以上続いた鎖国を解き,諸外国と国交を開いた我が国は,欧米の文物を熱心に取り入れ,歯学も欧米に学びました。長らく使われていた木床(もくしょう)義歯も,欧米から伝えられた護謨床(ごむしょう)義歯に変わりました。このような状況下,松岡万蔵のように,米国人歯科医師に学び,生涯歯科技工の進歩のために尽力した人も生まれました。以来,歯科技工を専門とする人々は,新しい素材の開発や技術の錬磨を目指してたゆみない努力を続けてきました。

昭和30年には,歯科技工士の資格と教育などに関する法律である歯科技工法が制定され,全国的な組織としての日本歯科技工士会が設立されました。それから50年にわたり,この会は,会員の持つ技術や知識を積極的に公開,普及するとの考えの下に,学術研(さん)や生涯研修の事業を進め,歯科技術の進歩に大きく貢献してきました。ここに,長年にわたって,歯科技工に携ってきた多くの人々の熱意ある地道な努力に深く敬意を表します。

歯の健康は,人々が健康に,そして快適に過ごすために,極めて大切であります。特に,これからの高齢化社会において,歯の機能の維持のために歯科医療の果たすべき役割には,大きなものがあります。それに伴って,優れた歯科技工士に対する期待と要請も,一層増大するものと思われます。

これまでの50年を振り返り,将来を考えるこの記念大会が実り多い成果を挙げ,歯科技工士が,人々の健康のために今後ますます貢献していくことを願い,式典に寄せる言葉といたします。

第163回国会開会式
平成17年9月26日(月)(国会議事堂)

本日,第163回国会の開会式に臨み,衆議院議員総選挙による新議員を迎え,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

2005年日本国際博覧会関係者茶会
平成17年10月2日(日)(宮殿)

2005年日本国際博覧会が多くの入場者を迎え,半年に及ぶ会期を滞りなく終えたことは,誠に喜ばしいことであります。

博覧会を訪れた人々は,会場で様々なことを学び,関心を深め,そして楽しい時を過ごしてきたことと思います。これらの経験が,人々の心の中で,また,これからの社会の中で,望ましいものとして育っていくことを願っております。

会期中には厳しい暑さの日々もありましたが,大勢の訪れた人々が無事に過ごせたことは,関係者の努力に負うところが大きかったと思います。人々の健康や安全に対する配慮など様々な面で力を尽くした関係者の労を深くねぎらいたく思います。準備期間を含め,長い期間にわたり,本当に御苦労さまでした。

第60回国民体育大会秋季大会開会式
平成17年10月22日(土)(桃太郎スタジアム(岡山県))

第60回国民体育大会秋季大会が岡山県で開催されるに当たり,全国から参加した選手,役員並びに多くの県民と共に開会式に臨むことを,誠に喜ばしく思います。

今年は終戦60年の年に当たり,先の大戦とその犠牲者に思いを致した人々も多かったことと思います。国民体育大会は,終戦の翌年,戦争による荒廃の中にあって,スポーツの復興を願う人々の熱意によって生まれました。厳しい状況下,様々な困難を乗り越えての開催であり,かかわった先人の努力はいかばかりであったかと察せられます。以来,国民体育大会は各地におけるスポーツの普及と振興に大きな役割を果たし,本年で60回を迎えました。その間,それぞれの時代に国民体育大会の望ましい在り方を求めて力を尽くしてきた関係者の労を深くねぎらいたく思います。

岡山県で国民体育大会が開催されるのは,昭和37年の第17回大会以来,43年ぶりのことになります。前回,私どもは夏季大会に出席しましたが,この大会は,私どもにとって忘れられないものとなりました。それはこの大会が,以降20年以上にわたり,各地で行われた開会式に出席し,競技を観戦するようになった夏季大会の最初となったからであります。私どもに各競技を見る機会を与え,様々な思い出を残してくれた夏季大会はこの岡山の大会をもって幕を閉じると聞いております。来年から始まる新しい国民体育大会が関係者の尽力と地元の人々の協力の下,その役割を十分に果たし,より良い大会として築き上げられていくよう念じています。

選手の皆さんには,明日から始まる各競技において,日ごろ鍛えた力と技を十分に発揮するとともに,お互いの友情と,地元岡山県民との交流を深められるよう願っております。

大勢の県民に支えられて開催されるこの大会が,選手にとり,また岡山県民にとり,心に残る実り多いものとなることを期待し,開会式に寄せる言葉といたします。

財団法人修養団創立100周年記念大会
平成17年11月13日(日)(明治神宮会館)

本日,修養団創立100周年記念大会に臨み,多くの関係者と一堂に会することを,誠に喜ばしく思います。

修養団は,明治39年,東京府師範学校において,蓮沼門三を中心とする学生たちによって創立され,以来100年の長きにわたり,「愛と汗」の実践という理念の下に,幾多の困難を乗り越え,幅広い社会教育活動を展開し,人材の育成を通して社会に貢献してきました。30年前,創立70年記念大会において,当時既に90を超えられた蓮沼門三主幹にお会いしたことを思い起こしつつ,氏の運動を支え,今日まで継承してきた関係者のたゆみない努力に対し,深く敬意を表します。

お互いに思いやりの心を持ち,愛し合い,共に働き,良き社会を建設しようという修養団の精神は,高齢化の進むこれからの我が国の社会にとっても,また,我が国の人々が,今後貧困や紛争など,世界における様々な問題の解決に貢献していくに当たっても,大きな意義を持っていくものと思われます。

ここに,修養団の創立100周年を祝うとともに,修養団の様々な事業を始め,我が国における社会教育活動が,人々の幸せと世界の平和を目指して,更に力強く展開されていくことを願い,大会に寄せる言葉といたします。

第25回全国豊かな海づくり大会
平成17年11月20日(日)(パシフィコ横浜国立大ホール)

第25回全国豊かな海づくり大会が,東京湾に面した,ここ神奈川県横浜市で開催されることを,誠に喜ばしく思います。

我が国の人々は古くから海とかかわり,様々な海の恵みを受けてきました。しかし,一方,海の巨大な力は人々に大きな災害をもたらすこともありました。去年の暮れに起こったスマトラ沖大地震による津波の被害は非常に広範囲に及び,痛ましい映像がテレビに映し出されました。地震地帯にある我が国も古くから津波の被害を受け,明治29年の三陸地震津波では津波によって2万人以上の人が亡くなりました。近年では奥尻島とその対岸を地震と津波が襲い,200人以上の人々が犠牲となった平成5年北海道南西沖地震があります。被災後,日を経ずして訪れた災害地の悲惨な状況は,私どもの心に深く残っています。このような海の危険性を十分に認識し,災害への対応に努めつつ,海がもたらす恵みをいかに人々のために役立てていくかを考えていくことが極めて必要なことであると思われます。

大会会場の横浜市は,19世紀半ば,我が国が諸外国と国交を結んで以来,港として人や物の往来を支え,我が国の発展に大きく寄与してきました。

一方,東京湾は,豊かな漁場として,また,釣りや潮干狩りなどの場として,首都圏の人々の生活に欠かせない存在となってきました。ただ,首都圏の発展に伴い,干潟や藻場の埋め立てや,水質の悪化が進み,海洋生物の繁殖場が狭められ,水産資源の減少が見られるようになりました。そのため,マダイやアワビなどの栽培漁業や,漁業者による操業自粛などの資源管理が進められていますが,近年関係者の努力が実って,着実に成果が挙がっていることを聞き,喜ばしく思っております。今回の海づくり大会が横浜市において開催されることは,そのような東京湾を豊かな海に再生させることに,首都圏に住む多くの人々の関心を高める契機として,意義深いことと思われます。

この大会が,海に対する関心を更に高め,多くの人々が豊かな海づくりを目指して協力していくことに資することを願い,大会に寄せる言葉といたします。

国賓 モロッコ国王陛下のための宮中晩餐
平成17年11月28日(月)(宮殿)

この度,モロッコ王国国王モハメッド六世陛下が,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを,誠に喜ばしく思います。

国王陛下には,皇太子でいらした1987年,公賓として,初めて我が国を御訪問になりました。私の父,昭和天皇による宮中晩餐が行われ,また京都の各地もお訪ねになりました。この御訪問に当たり,陛下を東宮御所にもお招きし,一時を御一緒に過ごしたことを今懐かしく思い起こしています。陛下には,その2年後,昭和天皇の大喪の礼に皇太子として御参列になり,また,私の即位の礼には,陛下の弟君,ラシッド王子殿下が御参列くださいました。

我が国からは,皇太子並びに高円宮,同妃が貴国を訪問しており,それぞれ,陛下から手厚いおもてなしを頂いたことを感謝しております。

本年は,愛知県で2005年日本国際博覧会が開催され,貴国のナショナルデーにはララ・サルマ王妃殿下が博覧会賓客としておいでになりました。私どももその御訪問時に,御所でお会いしたことをうれしく思い出しております。この博覧会において貴国のパビリオンは,「自然の叡智(えいち)賞」を受賞しており,多くの人々が貴国のパビリオンでモロッコへの理解を深めたことと思います。

貴国と我が国との国交は,1956年,貴国がフランスの保護領から独立した年に始まりました。若き日の私がモロッコに関心を持つようになったのはこのころのことであり,亡命生活などの試練を乗り越え,独立を目指して努力していらした祖父君モハメッド五世のことが私の記憶に深く残っています。

国交が開けてほぼ半世紀,両国間には,たゆみない友好と協力の関係が続き,経済,文化など,各方面において交流が進んでいることをうれしく思います。私どもは皇太子,皇太子妃の時,毎年東宮御所でその年に外国に派遣される青年海外協力隊員に会ってきましたが,その中には貴国に派遣される多くの隊員も含まれておりました。

貴国は,その長い歴史の中で,様々な文化を持つ人々を受け入れ,今日のモロッコ王国を築いてきました。フェズの町を始めとして,数多くの建造物や遺跡は世界文化遺産の指定を受け,我が国からも多数の観光客が訪れております。

近年,国王陛下の御指導の下,貴国が内政外交の両面にわたって着実な成果を収めて,内外から高い評価を得ていることに敬意を表します。この度の国王陛下の御訪日を契機に,両国間の友好関係が一層進展していくことを望んでやみません。

我が国は,今,秋も深まり,美しい紅葉の季節を迎えております。この度の御滞在が,実り多く,思い出深いものとなりますよう,期待いたしております。

終わりに当たり,国王陛下の御健勝とモロッコ国民の幸せを祈ります。

モロッコ国王陛下のご答辞

第21回国際生物学賞授賞式
平成17年12月5日(月)(日本学士院会館)

ナム―ハイ・チュア博士が第21回国際生物学賞を受賞されたことを心からお祝いいたします。

今回の受賞分野はかたちの生物学でありますが,博士は植物の形態形成の仕組みを分子レベルで解明され,この分野の研究の基礎を築かれました。特に植物にとって最も重要な外的環境の一つである光による形態形成の機構と重要な植物ホルモンであるオーキシンの(はい)発生における形態形成の制御機構を明らかにされたことは,植物科学の分野において先駆的な業績であると聞いております。

これらの業績は高等植物の形態形成の機構解明に極めて重要な進展をもたらすものであり,かたちの生物学の様々な領域での研究に大きな影響を及ぼすものと考えられます。

また,日本を含む世界24か国の若い研究者が博士の研究室で育ち,現在,植物の形態形成や分子生物学の分野で研究推進の原動力となっていることは,誠に頼もしく感じられるところであります。

博士が今後ともお元気に研究生活を送られ,更なる成果を挙げられることを期待し,お祝いの言葉といたします。