主な式典におけるおことば(平成13年)

天皇陛下のおことば

第151回国会開会式
平成13年1月31日(水)(国会議事堂)

本日,第151回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

行政書士制度50周年記念式典
平成13年2月22日(木)(東京国際フォーラム)

行政書士制度50周年に当たり,全国から参加された皆さんと共に,この記念式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。

我が国においては,明治5年の太政官達(だじょうかんたっし)により,当事者に代わって,裁判所や市町村役場,警察署などに提出する書類を作ることを仕事とする代書人という制度が出来,社会のために大きな役割を果たしてきました。戦後,行政機関に提出する書類を取り扱っていた代書人については,新たに行政書士法が公布され,行政書士という制度が発足しました。

爾来(じらい)50年,行政書士は,常に変化する社会の中にあって,その業務を通じ,国民がその権利や利益を守ることを助け,また,行政手続の円滑な実施に役立ち,我が国の経済社会の安定と発展に寄与してきました。ここに,関係者の長年にわたる努力に深く敬意を表します。

今日,我が国は,社会の高齢化,情報技術の進歩,国際的な交流の増大など様々な変化に対応することを求められています。そのような状況下において,国民生活に密着し,国民と行政とを(つな)ぐ行政書士の役割は,ますます重要なものとなってきています。今後とも皆さんが変わりゆく内外の状況に応じつつ,更なる研(さん)を積み,国民の様々な要望にこたえる努力を続けていかれることを期待しております。

50周年を迎えた行政書士制度が,今後とも適切に運用され,社会の発展に寄与していくことを願い,式典に寄せる言葉といたします。

国賓 ノルウェー国王王妃両陛下のための宮中晩餐
平成13年3月26日(月)(宮殿)

この度,ノルウェー王国ハラルド五世国王陛下がソニヤ王妃陛下と共に国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに今夕を共に過ごしますことを誠に喜ばしく思います。

私が皇后と共に当時皇太子でいらした国王陛下に初めてお会いしたのは,1964年,東京で開催された第18回オリンピック競技大会にヨットの選手として参加なさった時でありました。御結婚後も両陛下は何度か我が国を御訪問になりましたが,最近の御訪問は,私の即位の礼の時であり,御列席頂いたことに,深く感謝しております。

私が初めてノルウェーを訪れましたのは,1953年,英国女王陛下の戴冠式に参列後,欧州諸国を訪問した時でありました。戴冠式では,私の両親と同じ年代の父君,母君が十代の私に親しく接してくださったことが記憶に残っております。ノルウェーでは,スウェーデンとの連合を解消後,デンマークから迎えられた祖父君ホーコン七世国王と,後にオラフ五世国王とおなりになった陛下の父君から丁重なおもてなしを頂きました。この訪問において,フィヨルドやハルダンゲルヴィッダの高原を旅し,我が国とは異なる貴国の自然を味わいました。

二度目に私が貴国の土を踏みましたのは,1985年,父君オラフ五世国王の国賓としての我が国御訪問に対し,昭和天皇の名代として答訪した時のことでありました。皇后と私は,到着以来,貴国を離れるまで,父君始め,当時まだ皇太子,皇太子妃であられた国王,王妃両陛下の心のこもった温かいおもてなしを頂きました。また,当時オックスフォード大学留学中であった皇太子も交え,国王,王妃両陛下とベルゲンやフィヨルドの旅で公式訪問が始まる前の一時を御一緒に過ごせたことも懐かしい思い出となっております。

貴国と我が国は共に海運業と水産業を重要な産業として発展し,両国の間に交流が行われてきました。我が国が200年余にわたる鎖国政策から開国に転換してまだ日も浅い1869年には早くも九隻の貴国の船が我が国を訪れております。また19世紀後半には我が国の船に船長や船員として乗り組んだ貴国の人々もありました。

貴国がスウェーデンとの連合を解消し,我が国との外交関係を樹立してから一世紀に近い歳月がたちます。貴国の文化面で我が国において少なからぬ関心を呼んだと思われるイプセンの作品,「人形の家」や「社会の柱」等が日本語に初めて訳されたのもちょうど百年前のことでありました。その後「イプセン会」が結成され,多くの日本の作家が出席して熱心にその人と作品を研究しあったといわれています。音楽や絵画の世界においてもグリーグやムンクの作品は我が国の人々に親しまれてきました。

また,国交樹立後,我が国の人々が貴国に関心を寄せた最初の出来事は,1911年のアムンゼンの南極到達ではなかったかと思います。同じ頃我が国の白瀬(しらせ)(のぶ)が南極大陸に一歩を記しており,絵本の中で語られたこれらの探検の物語はノルウェーという言葉と共に幼い日の私の記憶の中に深く残っております。

貴国はこの100年の間に,第二次世界大戦の試練を経て,厳しくも美しい自然環境の中に社会福祉の行き届いた豊かな国を築き上げました。

さらに,貴国は世界の平和と人道的救援活動に対し,長年にわたり,貢献してきました。今年100年を迎えるノーベル平和賞は,貴国の国会が選んだ五人委員会によって選ばれた受賞者に,国王陛下から授与されています。また,北極探検で知られるナンセンは第一次世界大戦の後,国際連盟の創設と活動に参画し,初代の高等弁務官として捕虜の本国送還や,難民,飢餓の国際的な救援のために尽力しました。第二次世界大戦の後,国際連合が発足した時,初代の事務総長となったのは,貴国のトリュグヴェ・リーでありました。

貴国が世界の平和のために様々な努力を重ねていることに対し,私どもは深い敬意を払うものであり,貴国との相互理解に基づく協力関係が今後一層強く結ばれていくことを願っております。

我が国は今ちょうど桜の季節を迎えております。国王王妃両陛下が各地で春の風物をお楽しみになりつつ,実り多い御訪問をなさるよう期待しております。

ここに杯を挙げて,国王王妃両陛下の御健勝を願い,あわせてノルウェー国民の幸せを祈ります。

2001年(第17回)日本国際賞授賞式
平成13年4月27日(金)(国立劇場)

この度の日本国際賞授賞式に当たり,「環境適合材料の科学と技術」の分野において,ジョン・B・グッドイナフ博士が,また,「海洋生物学」の分野において,ティモシィ・R・パーソンズ博士が,それぞれ受賞されたことを心からお祝いいたします。

グッドイナフ博士は,固体科学の多くの分野において顕著な業績をあげてこられましたが,その成果の上に立って,有害物質を含まない環境調和型高エネルギー密度リチウムイオン二次電池用電極材料を発明されました。この電池は,新しいエネルギー源として今日携帯電話などの情報端末に幅広く使われています。さらに,自動車への応用も期待されています。

また,パーソンズ博士は,海洋生態系を構成する生物の現場実験などによって,環境条件と食物網の諸関係を重視した水産資源管理を提唱し,水産海洋学の発展に先進的な役割を果たされました。

本年は新世紀の最初の年に当たります。前世紀は科学技術の進歩の著しい世紀であり,世界の多くの人々が様々な面でこの進歩の恩恵を受けました。一方この進歩がもたらした生産活動や人々の営みが環境の悪化をも招くことになり,我が国においても環境問題は前世紀の後半から極めて深刻な問題となりました。この状況に対応して科学技術に携わる人々が,環境改善そのものに科学技術をいかに役立たせることができるかという課題や,環境への影響を念頭においた科学技術の発展に取り組んでいることは誠に心強いことであります。

両博士の御研究は,いずれも,人類が,良好な環境を保ちながらより豊かな生活を求めていく上で,大きな意義を持つものと思われます。ここに,両博士の業績に対し,また,それに協力した多くの研究者の努力に対し,深く敬意を表します。

両博士が今後とも人類の幸福に寄与する科学技術の発展に力を尽くされることを願い,授賞式に寄せる言葉といたします。

第52回全国植樹祭
平成13年5月20日(日)(「みずがき山麓」恩賜県有財産(県有林)地内(山梨県))

第52回全国植樹祭に臨み,ここ須玉町みずがき山麓において,全国からの参加者と共に植樹を行うことを誠に喜ばしく思います。

山梨県は,51年前,今日の植樹祭の前身である第1回植樹行事ならびに国土緑化大会の行われたところであります。当時の我が国では戦災家屋の復興などに多量の木材が利用されたばかりでなく,外地から引き揚げてきた人々などの耕地を得るため,各地で大量の木々が伐採されました。その結果,台風などによる山崩れや洪水が起こりやすくなり,地域によっては大きな被害がもたらされました。第1回のテーマが「荒廃地造林」であったことからもうかがえるように,全国植樹祭は,当時の荒廃した国土に森林をよみがえらせることを目指して始められ,「緑の羽根」と共に,毎年,人々の心に森林の大切さを思い起こさせる機会となってきました。

今日では,全国各地の山々で,豊かに,美しく育った森林が見られます。これらの森林は,台風や集中豪雨のもたらす災害の防止や軽減,水資源の(かん)養に大きく貢献するなど,様々な形で人々の生活にとって重要な役割を果たしています。長年にわたって植樹事業に携わり,植樹された森林を健全に育ててきた多くの人々のたゆみない努力が,この豊かな緑を造り上げてきたことを改めて思い起こし,その苦労と尽力を深く多としたいと思います。

厳しい自然環境にある我が国において,国土の安全を保ち,森林資源を持続的に活用していくためには,活力ある森林を育成,維持していくことが極めて大切であると感じています。各地において山村地域の過疎化や林業に携わる人々の高齢化が進んでいる今日,国民参加の森林づくりの運動が各地で進められていることは心強いことであり,森林育成への思いが,世代を越えて受け継がれていくことが願われます。

豊かな自然に恵まれた山梨県で開催されるこの全国植樹祭が,森林の大切さについての人々の理解を更に深めるとともに,望ましい森林の在り方について共に考える契機となることを希望し,式典に寄せる言葉といたします。

第50回日本医学検査学会「記念式典」
平成13年5月24日(木)(東京国際フォーラム)

第50回日本医学検査学会が,多数の関係者の参加を得て開催されることを誠に喜ばしく思います。

この学会が日本衛生検査学会として初めて開催されたのは,昭和27年のことでありました。以来今日に至るまでのほぼ50年間に検査技術や検査機器は著しく進歩を遂げ,それによって人々の健康状態の的確な判断が可能になり,様々な病気の予防や早期発見に大きな成果をもたらしています。私どもは青年海外協力隊員として厳しい環境の海外に派遣される臨床検査技師には度々お会いしてきましたが,日本臨床衛生検査技師会の学会に出席したのは昭和63年神戸市において開催された第18回国際医学検査学会総会の折のことでありました。今学会の出席者の多くも参加されていたのではないかと思いますが,当時を顧みると,この14年間だけでも核磁気共鳴検査などいかに医療技術が急速に発展したかが実感されます。正確な検査結果を迅速に提供するため,検査技師が日夜研究と工夫を重ねておられることに深く敬意を表します。

近年の高齢化や過疎化が進む社会において,人々が健康で幸せな生活を送れるようにするため,検査技師に課せられた任務と,その果たすべき役割は,今後ますます重要になってくることと思われます。皆さんが,高い専門性を保ちつつ,検査を受ける人一人一人の人間性を大切にし,人々が安心して必要な医学検査を受けられるよう,他の医療関係者と協力しながら,努力を続けられることを期待しております。

日本医学検査学会という新たな名称の下に開催される今回の記念学会が,我が国における検査技術の一層の向上に資するとともに,互いの交流を深め,広い視野から医療を話し合う機会となることを願い,開会式に寄せる言葉といたします。

社会福祉法人恩賜財団済生会創立90周年記念式典
平成13年5月30日(水)(明治神宮会館)

本日,済生会創立90周年記念式典が行われるに当たり,済生会関係者と一堂に会することを誠に喜ばしく思います。

済生会は明治44年「無告ノ窮民」のために「済生ノ道ヲ弘メムトス」という勅語を体して創立されました。以来済生会が長い歴史を通じて創立の精神を守り,たゆみない努力によって各地域における医療と福祉の向上のために貢献してきたことは深く多とするところであります。また近年では,阪神・淡路大震災の折,済生丸を始め,済生会の各施設が海陸から救援の手を差し伸べた活動が思い起こされます。

今後,我が国における高齢化や過疎化がますます進むことに伴い,できる限り多くの地域で,高い医療水準を保ちながら人々の必要とする医療を幅広く提供し,福祉の面での施策を充実させていくことが重要になってくることと思われます。

創立90周年を契機として,済生会がこのような時代の要請にこたえ,保健・医療・福祉の総合化を更に進め,関係各方面との協力の下に,その使命を果たしていくことを切に望みます。

第152回国会開会式
平成13年8月8日(水)(国会議事堂)

本日,第152回国会の開会式に臨み,参議院議員通常選挙による新議員を迎え,全国民を代表する両院の議員の皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

全国戦没者追悼式
平成13年8月15日(水)(日本武道館)

本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に56年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

第30回国際実験血液学会総会開会式
平成13年8月25日(土)(京王プラザホテル)

第30回国際実験血液学会総会が,国の内外から多数の医学関係者の参加を得て,我が国で開催されることを誠に喜ばしく思います。

国際実験血液学会は,1971年に正式に設立され,以来,広く血液細胞の造られる過程の解明,それにかかわる造血因子の発見,造血障害ならびに造血器腫瘍(しゅよう)の治療法の開発,特に造血幹細胞移植の開発などの基礎的な研究の促進と,その成果の臨床応用の発展に大きく寄与し,血液学の進歩をもたらしてきました。当学会結成の動きを促進する重要な契機となったのは,1958年,ユーゴスラビアのヴィンカで研究炉の事故が起きた折,被曝者治療のために骨髄移植が試みられたことと聞き及んでおります。原子炉事故は本来あってはならないことでありますが,世界で起こった原子炉事故に際し本会の会員が造血障害の治療にも力を尽くしてきたことを心強く感じています。ここに,日々苦労を重ねながら研究を続け,人々の健康と福祉に貢献している会員に深く敬意を表します。

20世紀は,科学技術が著しく進歩した時代でありました。関連科学技術の進歩に伴って医学や医療が急速に進み,血液学の分野では,かって不治の病と言われた白血病や再生不良性貧血などについて様々な治療法が開発され,快復の希望が持てるようになりました。しかし一方では,科学技術の進歩が大量破壊兵器を生み出し,20世紀は戦争や紛争による犠牲者の最も多い世紀ともなりました。1945年夏,広島と長崎に落とされた2発の原子爆弾により,ほぼ20万人がその年の内に亡くなり,その後も多くの人々が放射線障害によって亡くなっていきました。当時治療法も無く,苦しみの中に次々と命を落としていった人々のことを痛ましく思い起こすとき,国際実験血液学会が,今日,放射線障害に対する治療にも大きな成果を収めていることに改めて深い感慨を覚えます。

この度の総会は国際実験血液学会における21世紀最初の総会となります。世界各地から集まられた皆さんが,前世紀の医学と医療の歩みを顧みつつ,相互の交流を深め,実り多い時を過ごされることを願い,開会式に寄せる言葉といたします。

第153回国会開会式
平成13年9月27日(木)(国会議事堂)

本日,第153回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,その使命を十分果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

国賓 南アフリカ共和国大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
平成13年10月2日(火)(宮殿)

この度南アフリカ共和国ムベキ大統領閣下が,令夫人と共に国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに今夕を共に過ごしますことを誠に喜ばしく思います。

貴国の歩みは,7年前,全人種が参加する初めての民主的な選挙が行われ,マンデラ前大統領が大統領に選ばれた時を境として大きく変化しました。苦難の道を歩んできた人々が,和解と対話の精神をもって,人種,部族対立の過去を乗り越えようと努める過程は,想像も及ばぬ困難を伴うものであったと思われます。しかし全南アフリカ共和国の人々が手を携え,民主社会の建設に向かって歩み出した姿は,歴史の痛みを踏まえつつ,寛容の志の中で願わしい社会の在り方を目指し続ける国として,貴国を強く世界に印象づけ,人々に深い感動を呼び起こしました。

閣下は,貴国におけるこの初期の大きな変動の時期を,副大統領としてマンデラ前大統領を力強く支えてこられました。1999年,大統領職を引き継がれてからは,前大統領の理想を堅持し,国民の間の融和を進め,過去の遺産である社会的な格差を是正しつつ経済の発展を図るという,極めて困難な課題に取り組み,日夜たゆみない努力を重ねておられます。同時に,閣下は,アフリカの平和と安定のためにも,積極的に力を尽くしておられます。南アフリカの新たな出発と,国際社会への貢献に真()な意欲をもって臨まれる閣下の御努力に対し,深く敬意を表します。

貴国と我が国との交流は,1918年,我が国がアフリカで初めての領事館をケープタウンに開設して以来,20年余にわたって続きました。その後の50年,両国の関係は様々な変遷を経ましたが,1992年には,両国間に再び外交関係が開かれ,明年で10年目を迎えます。

この比較的短い10年という間に,両国の関係は大きく進展しました。貴国からは1992年に,デ・クラーク大統領,1995年には国賓としてマンデラ大統領をお迎えしました。ここ皇居において,皇后と共に閣下をお迎えしたのは,3年前,閣下が副大統領として令夫人と共に我が国を御訪問になったときでありました。また本年1月には,我が国から森内閣総理大臣が,日本の総理として初めて貴国を訪問しております。

様々な分野における人々の交流も,近年次第に進みつつあり,貿易や投資のみならず,科学技術や文化の面でも協力が深まっていることは,誠に心強いことであります。現在,JETプログラムの下で,30人を超える貴国の青年が我が国で英語教育に携わっており,また,近く我が国の青年が,青年海外協力隊員として貴国に派遣されることになっております。このような人的な交流を通し,相互理解が進んでいくことは,両国民間の友情を深める上で意義深いことと思います。

厳しかった夏も過ぎ,さわやかな風と共に,紅葉も所々に見られるようになりました。お忙しい日程ではありますが,閣下並びに令夫人が,少しでも我が国の秋の風情をお楽しみいただければうれしいことであります。

この度の閣下の御訪問が,両国民間の相互理解を更に深め,実り多いものとなることを心から願い,ここに杯を挙げて,ムベキ大統領閣下並びに令夫人の御健勝と,南アフリカ共和国国民の幸せを祈ります。

第56回国民体育大会秋季大会開会式
平成13年10月13日(土)(宮城県総合運動公園宮城スタジアム)

第56回国民体育大会秋季大会が宮城県で開催されるに当たり,全国から参加した選手,役員,並びに,多くの県民と共に,開会式に臨むことを喜ばしく思います。

国民体育大会は,終戦の翌年,厳しい状況下にもかかわらず,スポーツの復興を目指した人々の熱意により始められ,以来,我が国各地においてスポーツの普及と振興に大きな役割を果たしてきました。半世紀余にわたり,大会を支え続けてきた関係者の尽力を思い,深く敬意を表します。

秋季大会が,以前,宮城県で行われたのは,昭和27年,第7回大会であります。この年は,我が国にとって平和条約が発効した重要な年であり,また,戦後初めて,我が国の選手団がオリンピックに参加した年でもありました。沖縄の選手団が国民体育大会に参加するようになったのもこの年からのことであります。

49年を経て再びこの地で開催される今大会において,各地から集まった選手の一人一人が,日ごろ鍛えた力と技を十分に発揮するとともに,お互いの友情を育み,宮城県民との交流を深めるよう願っております。

秋色豊かな宮城県において,多くの県民の協力の下に開催される「新世紀・みやぎ国体」が皆さんの心に残る,実り多い大会となることを期待し,開会式に寄せる言葉といたします。

第21回全国豊かな海づくり大会
平成13年10月28日(日)(新焼津漁港(静岡県))

第21回全国豊かな海づくり大会が,多くの関係者の参加の下,ここ駿河湾に臨む新焼津漁港において開催されることを,喜ばしく思います。

我が国は,古来様々な面で海の恵みを受けてきました。海産物の供給はもとより,物資の輸送にも海は極めて重要な役割を担っています。戦後の我が国の発展に臨海工業地帯における工業生産が果たした役割には誠に大きなものがありました。しかし,その発展は,一方で海の汚染や海産生物の繁殖場の喪失をもたらし,漁獲過剰とあいまって,水産資源の減少を来すようになりました。このためきれいで豊かな海を守り,あるいは取り戻すことが強く望まれるようになりました。豊かな海づくり大会の意義もこの問題に対する人々の認識を深めることにあると思います。

静岡県は,全国に先駆けて遠洋漁業に乗り出し,カツオの水揚げ量は全国で一位を占めています。沿岸漁業や沖合漁業の水産資源の管理にも力が注がれ,マダイやヒラメなどの栽培漁業も積極的に進められていると聞いております。また,水産を始め多くの分野で海洋深層水の活用が始められており,これらの取組がより一層の成果を上げることを期待しています。

私は,少年時代の夏を駿河湾の奥にある沼津で過ごしました。当時の海はきれいに澄んでおり,流し釣りのポンポン船が行き交い,船上で網を引いている人々の声が聞こえてきました。私はこの海で様々な魚と出会い,魚への理解を深めました。高速で泳ぐソウダガツオが,船の生け簀(す)の中では泳ぎ回ることができず,ただ壁面に打ち当たっていた様が特に印象に残っています。後年,水族館を訪れ,大型水槽でこのたぐいの魚がのびのびと泳いでいるのを見た時に,この時のことが思い出されました。

21世紀初の大会の開催に当たり,皆さんと共に,今日までの水産業の発展に尽くした人々の苦労に深く思いを致し,年ごとの豊かな海づくり大会が,これからもより豊かな海を目指し,様々な分野の人々が協力し合う契機となることを願い,式典に寄せる言葉といたします。

留学生受入れ制度100年記念式典
平成13年11月2日(金)(国際研究交流大学村東京国際交流館プラザ平成)

留学生受入れ制度100年に当たり,我が国における留学生の受入れに携わってきた関係者と共に,外国からの留学生を交え,この記念式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。

明治34年,当時の帝国大学などに留学生を受け入れるための「文部省直轄学校外国人特別入学規程」が制定され,その翌年,我が国は58人の留学生を近隣諸国などから受け入れました。以来100年を経て,現在では,世界のすべての地域から,8万人に近い留学生が我が国を訪れ,勉学にいそしんでいます。この間,制度の充実や,実際に日本を訪れる留学生の接遇に長年力を尽くしてきた関係者の努力に深く敬意を表します。

我が国は,その歴史を通じて,多くの留学生を海外に送り,その恩恵を受けてきました。古くは7世紀から9世紀にかけて遣隋使,遣唐使に同行して中国に学んだ留学生や,19世紀後半に国の近代化に貢献するべく欧米諸国に学んだ留学生があり,戦後は,ガリオア留学生やフルブライト留学生を始めとし,今日に至るまで,多くの学生が様々な形で外国に学んできました。これらの留学生は,外国での見聞や経験を持ち帰り,それぞれの時代の国や社会の発展に寄与し,国際親善にも貢献してきました。

外国留学には,専門分野の研鑽(けんさん)を積むことに加えて,留学先の歴史や文化を学び,他国に友を得るという大きな意義があります。外国から我が国を訪れる留学生が,帰国後,それぞれの母国で留学の成果を十分に役立て,また,母国と我が国との相互理解や友好関係の増進に寄与していくためには,各自が安心して勉学に励み,多くの知己を得て,実り多い滞在をなし得るよう,我が国の人々が十分に配慮をすることが重要であると思われます。

我が国の留学生受入れ制度が,今後ますます充実していくことを期待し,日本を訪れる外国人留学生,そして海外に学ぶ日本人留学生双方が,周囲の温かな理解の下,良き留学生活を送れることを願い,式典に寄せる言葉といたします。

創立50周年記念全日本手をつなぐ育成会全国大会「記念式典」
平成13年11月7日(水)(東京国際フォーラム)

全日本手をつなぐ育成会が創立50周年を迎え,ここにその記念式典が行われることを,心からお祝いいたします。この会は,50年前,知的障害のある我が子の幸せを切に願う3人の母たちを中心にして始められました。知的障害者とその家族が,常に経験する筆舌に尽くし難い苦労を察するとき,それまで個々の家庭で抱え込んでいた悩みや悲しみを分かち,励まし合い,子供たちの未来を共に考えようと手を取り合える仲間ができたことは,同じ環境にある家族にとり,どれほどに大きな支えであったかと思われます。会は,その後大きく発展を遂げ,知的障害者の福祉のために,力強く活動を行ってきました。この機会に,創立者を始め,会をここまでに育て上げた多くの人々の尽力に,深く敬意を表します。

知的障害者の福祉には,障害のある人々の意欲が引き出されることが極めて重要と考えられますが,最近では,知的障害のある人々自身によるグループ活動が始められ,昨年から育成会全国大会の一環として「本人大会」が行われるようになったと聞いております。この大会で,参加者一人一人の自立に対する強い意志が示されたことを,頼もしく感じています。

近年,知的障害者への国民の理解が深まり,障害者の福祉に対する様々な配慮がなされるようになってきましたが,今日の厳しい経済情勢や社会の急激な変化は,障害のある人々の生活にも影響し,将来に対する不安をもたらしていると案じています。国民皆の努力により,知的障害のある人々の個々の人格が尊重され,地域の人々と共に,充実した生活を送ることができる社会が築かれていくことを切に望んでおります。

創立50周年を機会として,全日本手をつなぐ育成会の経てきた道のりが今一度顧みられ,これからの知的障害者の福祉の進展に生かされることを希望しつつ,ここに知的障害者とその家族,及び関係者一同の幸せを願い,式典に寄せる言葉といたします。

「民間放送50周年記念全国大会」記念式典
平成13年11月15日(木)(東京国際フォーラム)

民間放送50周年に当たり,全国の民間放送各社の代表の参加の下,ここに記念式典が開催されることを誠に喜ばしく思います。

この50年は,顧みますと,我が国においても,また,放送の世界においても,大きな変化の時でありました。

民間放送が開局した当時,我が国はまだ占領下にありましたが,平和条約の発効を翌年に控え,テレビ放送の開始も2年後に控えており,国も社会も大きな変化を迎えようとしている時でありました。言論,報道の自由のない戦中,占領下の戦後を経て,ようやくその自由の得られる社会になったのであります。

テレビ放送開始から10年を経て,カラーテレビの放送が行われるようになりましたが,離島も含め全国の人々がその恩恵を受けるようになるにはなおかなりの年月がかかりました。さらに,当時,沖縄はまだ占領下にあり,この時代を本土と共有できなかったことを,今改めて思い返します。

民間放送は国民にひとしく内外の情勢や,地震台風など,災害の情報を正しく伝え,また,文化や芸術,スポーツなどの楽しみを提供して,人々の生活を安全に豊かにするため,これまで多くの努力を払ってきたことと思います。初期に苦労を重ねてこの事業を起こした人々,また,後にその事業の発展に寄与した人々の労苦に対し,深く敬意を表します。

今日,情報通信の世界は,技術の進歩とあいまって著しい発展を続けています。放送の世界もより多くの情報提供が可能になるデジタル化という大きな技術変革に取り組んでいると聞いております。今回のこの技術革新がその恩恵にあずかり得ぬ人々をつくることなく,我が国のすべての人々の上に幸せをもたらすものとなることを願っております。

ここに50周年を迎えた民間放送の関係者が,その経験をよく今後に生かし,社会的使命に対する強い責任感を持って国民の期待にこたえていくことを願い,大会に寄せる言葉といたします。

第17回国際生物学賞授賞式
平成13年12月3日(月)(日本学士院会館)

ハリー・ブラックモア・ウイッティントン博士が第17回国際生物学賞を受賞されたことを心からお祝いいたします。

今回の授賞分野は古生物学であります。博士は長年にわたり三葉虫類の形態,生態,化石層序,生物地理に関する研究を進め,古生代を象徴するこの動物の生物学的知見を著しく高められました。この成果は,地質学における地球史の研究にも応用され,古生代の時代区分を確定することに大きな貢献を果たしています。また,博士は,古生代カンブリア紀中期のバージェス頁岩に含まれる動物群の研究により,これに先立つ比較的短い期間に,動物界に大規模で爆発的分化の時期があり,カンブリア紀中期において,既に多様な動物分類群が出現していたこと,そしてその中には,現在の分類群に当てはめることのできない動物も存在していたことを明らかにされました。これは生物の多様化と高等化は,カンブリア紀以降に少しずつ連続的に起こったという従来の考え方を一新するものでありました。バージェス頁岩には,フィルム状に押しつぶされながらも,保存状態良好の化石が数多く含まれており,さらに通常,化石には残らないとされる軟組織や軟体性動物までも保存されていたことが,博士の研究にこのような成果をもたらしたものと聞き及びます。数年前,私たちは栃木県立博物館の「バージェスモンスターと進化のふしぎ」という特別企画展を見る機会を持ちました。この折,これらの化石から復元された非常に変わった形態の動物たちに初めて接したことが改めて思い起こされます。ここに博士,並びに博士によって育てられた協力者の研究に対し,深く敬意を表します。

生物の類縁系統は,従来主として,現存生物の形態や発生の研究を通して調べられてきましたが,近年は分子生物学による方法が著しく進歩してきています。しかし過去の生物の歴史を証拠をもって示し得るものは化石であり,この意味において化石の研究は欠くことのできないものであります。今後更にこの分野の研究が進められ,生物学の他の分野との協力の下,生物の類縁系統関係が一層解明されていくことを願っています。

博士の御研究が,今後も生物学の上に多くの実りをもたらし,この分野の発展に寄与することを期待しつつ,授賞式に寄せる言葉といたします。