天皇陛下お誕生日に際し(平成15年)

天皇陛下の記者会見

会見年月日:平成15年12月18日

会見場所:宮殿 石橋の間

記者会見をなさる天皇陛下
記者会見をなさる天皇陛下
(写真:宮内庁)

宮内記者会代表質問

問1 70歳と申しますと杜甫の詩に「人生七十古来希」と詠まれた年齢です。とはいえ現代ではむしろ多くの人が迎える年齢で,当時とは意味合いも違ってきているように思われます。一つの節目として70年を振り返り,陛下ご自身に喜びや悲しみをもたらした出来事についてお聞かせください。
天皇陛下

質問に正しくお答えするために,紙を準備してきましたので,それに添ってお話ししたいと思います。

70年には様々な喜びや悲しみの出来事がありました。その中で今日まで心を離れない喜びや悲しみについてお話ししたいと思います。

70年を振り返り,日本が,先の大戦による国民の多くの犠牲と国土の荒廃から立ち上がり,貧富の差の少ない平和な民主主義の国として発展し,国民が様々な面で豊かになっていることに深く喜びを感じております。多くの困難を乗り越え,今日の日本を築くために力を尽くした人々の努力に深く感謝しています。

しかし,この70年の間には多くの悲しい出来事がありました。最も悲しい出来事は先の大戦で300万人以上の日本人の命が失われ,また日本人以外の多くの外国の人々の命が失われたことです。さらに,この戦争では戦後も原子爆弾による放射能やソヴィエト連邦への抑留などにより,多くの人々が犠牲となりました。

戦後の悲しい大きな出来事としては,古くは5,000人以上の人々が犠牲となった昭和34年の伊勢湾台風,近くは6,000人以上の人々が犠牲となった阪神・淡路大震災があります。また,阪神・淡路大震災の2年前には,奥尻島とその対岸を津波と地震が襲い,200人以上の死者,行方不明者が生じました。誠に痛ましいものを感じました。日本は地殻のプレートの接点にあり,毎年のように台風に襲われることから,自然災害が起こりやすく,近年,犠牲者の数は少なくなりましたが,今でも1年間に100人前後の人々の命が失われています。誠に悲しいことです。

私自身にとり,深い喜びをもたらしてくれたものは,皇后との結婚でした。どのようなときにも私の立場と務めを大切にし,優しく寄り添ってきてくれたことは心の安らぐことであり,感謝しています。二人の結婚生活ももう45年になりますが,その間に子供たちも成長し,私どもも公務を果たしつつ変わりなく日々を送れることをうれしく思っています。

問2 陛下は去年,前立腺がんの告知を受け,病状を国民の前に明らかにした上で手術を受けられました。告知を受けられたとき,国民に事実を公表する意思を固められた経緯,ご手術の前後,そして回復され公務に復帰されたときのそれぞれのお気持ちと,現在のお考えをお聞かせください。
天皇陛下

検査入院をする前からPSAの値などで心配な状況と聞いていましたので,検査の結果前立腺にがんがあったという報告を聞き,すぐに手術のことを考えなければならないと思いました。

入院中は,手術を含め,北村教授始め関係者から手厚い医療と看護を受け,深く感謝しています。入院中皇后が毎日付き添ってくれ,紀宮もしばしば来てくれたことは,精神的にまた実際に入院生活の非常な支えと助けになりました。また入院中,多くの人々が皇居などを訪れ,記帳してくれましたが,心配してくれた気持ちがうれしく,記帳簿を見ることは大きな励ましになりました。

手術の結果は,かなりの程度確実にがんは取り切ることができたと思う,ということで,公務に復帰したころは,PSAの値も下降しており,回復のために明るい気持ちで散歩に励んでいました。しかし,その後にPSAの値が微増してきました。今後のことは,皇室医務主管始め専門家の判断を仰ぐこととしています。

現在は公務も多く,忙しい日々を過ごしていて,病気のことを考えることはほとんどありません。公務をしっかり果たしていくことが,病気に当たって心を寄せられた多くの人々にこたえる道であると思っています。

国民への公表については,日程の変更や治療を国民の理解の下にすることが大切と考えているからです。

このような公表は,40年前,皇后が皇太子妃の時に胞状奇胎を患って,流産の手術を受けたときにもしています。胞状奇胎は悪性化する可能性もあるので,手術後2年間の観察期間中は懐妊は控えるようにと言われました。公表によって,再度の妊娠を危ぶむ声も出て,悲しみと不安の中で公務に励んでいた皇后にとり,秋篠宮を懐妊したことは,ひとしお喜ばしいことであったと思います。私も本当にこのときは心配しました。

問3 陛下のご公務を含めたご活動全般について,医師団だけでなく,ご入院中,献身的な介護をされた皇后さまや紀宮さまも負担を軽減することが望ましいと考えておられますが,「ご負担軽減」についての陛下のお考えをお聞かせください。
天皇陛下

二人とも私の健康を心配して,負担の軽減について考えてくれていますが,公務を減らすとは言っていません。天皇の公務はある基準に基づき,公平に行われることが大切であるという私の考えを共有しているからです。日程の組み方などに配慮するという必要はあると思いますが,公務を大きく変えることはないと思います。

問4 歴代天皇の中で初めて「象徴天皇」として即位されてから15年がたとうとしています。この間,日本は超高齢化や少子化,犯罪の低年齢化,厳しい経済情勢など社会的な変化に直面しています。さらに国内外で平和の揺らぎを感じさせる出来事が後を絶ちません。陛下は平成の15年間をどのようにとらえ,また今後どのようなことに心を留めて務めを果たされたいとお考えか,皇族方に果たして欲しいと望まれていることも併せて,お聞かせください。
天皇陛下

この15年間は瞬く間に過ぎたという感じを受けています。この間,質問にもあったように様々な問題が起こってきています。この中で高齢化の問題は極めて深刻な問題で,高齢化率は年々上昇しています。地方を旅していても都市を離れると高齢者が多くなるということに高齢化率の上昇を感じます。国民皆で高齢者をいかに支えていくかということが今後の重要な課題だと思います。近年,高齢者や障害者に対する関心が高まり,その人たちのために行政的配慮を始め,ボランティア活動が盛んになってきていることは,この意味で非常に心強いことと思います。阪神・淡路大震災やその2年前に起こった北海道南西沖地震の災害は非常に悲しいことでしたが,救援に赴いたボランティアの活動は誠に目覚ましいものがあり,被災地を訪問して深い感銘を受けました。皆が助け合ってこれらの厳しい状況を少しでも良い方向に向けていくことが大切と思います。

現在の日本はこのように様々な面で厳しい面がありますが,それを昭和元年から15年までの期間と比べるとき,平成の15年間は,自然災害には誠に厳しいものがありましたが,比較的平穏に過ぎた15年であったということをしみじみ感じます。この15年間を支えてきた人々に深い感謝の念を抱いています。

昭和の15年間は誠に厳しい期間でした。日本はこの期間ほとんど断続的に中国と戦闘状態にありました。済南事件,張作霖爆殺事件,満州事変,上海事件,そして昭和12年から20年まで継続する戦争がありました。さらに昭和14年にはソビエト連邦軍との間にノモンハン事件が起こり,多くの犠牲者が出ました。国内では,五・一五事件や二・二六事件があり,また,五・一五事件により,短期間ではありましたが,大正年間から続いていた政党内閣も終わりを告げました。この15年間に首相,前首相,元首相,合わせて4人の命が奪われるという時代でした。その陰には,厳しい経済状況下での国民生活,冷害に苦しむ農村の姿がありました。そして戦死者の数も増えていきました。皇太子時代に第一次世界大戦のヴェルダンの戦場の跡を訪ねられ,平和の大切さを強く感じられた昭和天皇がどのような気持ちでこの時期を過ごしていらっしゃったのかと時々思うことがあります。私どもは皆でこのような過去の歴史を十分に理解し,世界の平和と人々の安寧のために努めていかなければならないと思います。

皇族はそれぞれの立場で良識を持って国や人々のために力を尽くしていくことが大切と思います。

関連質問

問 陛下は先月の鹿児島県ご訪問で即位後47都道府県一巡されたところですが,今度二巡目に入り,トップにですね沖縄県ご訪問が来月予定されています。陛下はご即位前から数えて既に7回沖縄県をご訪問されていますが,その中でですね,様々な沖縄の人との出会いもあり,沖縄県に対するイメージもですね陛下の中で変化しているかと思いますが,この機会に改めてですね陛下の沖縄県に寄せられるお気持ちなどをお聞かせ願いたいと思います。
天皇陛下

今度の沖縄県の訪問は,国立劇場おきなわの開場記念公演を観ることと,それからまだ行ったことのない宮古島と石垣島を訪問するということが目的です。しかし,沖縄県と言いますと,私どものまず念頭にあるのは沖縄島そして伊江島で地上戦が行われ非常に多くの,特に県民が,犠牲になったということです。この度もそういうことでまず国立沖縄戦没者墓苑に参拝することにしています。この沖縄は,本当に飛行機で島に向かっていくと美しい珊瑚礁に巡らされ,いろいろな緑の美しい海がそれを囲んでいます。しかし,ここで58年前に非常に多くの血が流されたということを常に考えずにはいられません。沖縄が復帰したのは31年前になりますが,これも日本との平和条約が発効してから20年後のことです。その間,沖縄の人々は日本復帰ということを非常に願って様々な運動をしてきました。このような沖縄の人々を迎えるに当たって日本人全体で沖縄の歴史や文化を学び,沖縄の人々への理解を深めていかなければならないと思っていたわけです。私自身もそのような気持ちで沖縄への理解を深めようと努めてきました。私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし,それであればこそ沖縄への理解を深め,沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました。そのような気持ちから沖縄国際海洋博覧会の名誉総裁を務めていた機会に,その跡地に「おもろそうし」という沖縄の16世紀から17世紀にかけて編集された歌謡集がありますが,そこに表れる植物を万葉植物園のように見せる植物園ができればというつもりで提案したことがあります。海洋博の跡地は潮風も強く,植物の栽培が非常に難しいと言っていましたが,おもろ植物園ができ,一昨年には秋篠宮妃が子供たちと訪れています。また,同様の気持ちから文化財が戦争でほとんど無くなった沖縄県に組踊ができるような劇場ができればと思って,そのようなことを何人かの人に話したことがあります。この劇場が,この度開場記念公演を迎えるということで本当に感慨深いものを感じています。沖縄は離島であり,島民の生活にも,殊に現在の経済状況は厳しいものがあると聞いていますが,これから先,復帰を願ったことが,沖縄の人々にとって良かったと思えるような県になっていくよう,日本人全体が心を尽くすことを,切に願っています。

この1年のご動静

今年は,平成15年という節目の年であり,また陛下ご自身古希を迎えられた記念すべき年でありました。

陛下は,1月18日,前立腺全摘出手術をお受けになり,そのため1月16日から2月8日まで東京大学医学部附属病院にご入院になりました。それに先立ち,陛下は今年も例年通り新年行事を行われ,入院前日の15日までに講書始,歌会始も滞りなく終えられました。ご手術の準備として,年末年始にかけ3回にわたり自己採血されたため,医師の薦めにより年初の祭祀は掌典長が御代拝しました。1月16日には皇太子殿下に国事行為臨時代行を委任,2月18日に同委任を解除されましたが,同日に内閣よりの上奏書類のご執務を開始されました。また,2月21日にはご退院後初めての外国からの賓客,カルザイ・アフガニスタン大統領を宮殿にお迎えになりました。その後,順次ご公務に復帰され,ご体力も順調に回復してこられましたが,十月,皇室医務主管から,前立腺マーカーが小数点二ケタ以下の低レベルながら微増の傾向が見られ,今後その推移を見守りたいこと,また,来年以降のご日程を考える上で,このようなマーカー微増の問題や,12月には古希をお迎えになることなどが,十分認識されることを望むとの発表がありました。

陛下はこの1年も,宮殿にて恒例の儀式や親任式(1名)、認証官任命式(113名),信任状捧呈式(22名),拝謁,ご引見,午餐やお茶など多くの行事に臨まれました。また,御所では外務省総合外交政策局長による定例のご進講を始め,各種行事に関するご説明や,国際交流基金賞などの受賞者,学術文化関係者などのご接見が合わせて85回ありました。外国からは,国賓として大韓民国,インドネシア,メキシコ,公式実務訪問賓客としてセネガル,マーシャル,モンゴル各国大統領が来日,それぞれをご接遇になった他,太平洋島サミット,アフリカ開発会議,アセアン特別首脳会議出席者との茶会を含め21カ国の大統領,14カ国の首相,6カ国の国会議長などの要人とお会いになり,ルクセンブルグ国大公殿下など5カ国の外国王族をご接遇になりました。その他内閣よりの上奏書類1,181件のご執務がありました。また,勤労奉仕団,賢所勤労奉仕団や献穀者の62回の拝謁がありました。

国会開会式を始め,毎年ご出席になっている授賞式や式典の他,各種の周年記念式典などへのご出席は計10回で、それぞれの式典でお言葉をお述べになりました。

その他,都内及び近郊へのお出ましは38回ありました。子供の日,敬老の日,障害者の日の前後には例年の通り,それぞれの関係施設をご訪問になり,入所者及び関係者をお励ましになりました。その他,江戸開府400年・江戸東京博物館開館10周年記念「徳川将軍家展」(江戸東京博物館)や大英博物館の至宝展(東京都美術館)ご覧,「グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ」公演のご鑑賞など文化関係の行事,スタック電子株式会社など産業施設のご視察がありました。自然災害との関係では未だ離島を余儀なくされている三宅島島民のことを心に掛けてこられ,4月には三宅島の近況について東京都副知事のご説明を受けられるとともに,島民が作業している三宅村「ゆめ農園」をご訪問になりました。

陛下は,今年,ご即位後15年で,47全都道府県訪問を達成なさいました。公的地方行幸啓は6道県(千葉,新潟,北海道,島根,静岡,鹿児島)にわたりました。北海道では有珠山噴火災害復興状況をご視察になった他,国際会議,国際測地学・地球物理学連合2003年総会歓迎式典にご臨席になり,お言葉を述べられました。11月には「奄美群島日本復帰50周年記念式典」ご出席の機会に鹿児島県をご訪問になりましたが,これが47番目の県となりました。その間の地方行幸は139回,ご旅行になった距離は地球3周に当たる約12万キロ,ご訪問市町村数は401市町村,奉送迎者数は約660万人に上りました。なお,奄美ご訪問の機会に陛下の島ご訪問を数えてみました。ご即位後に13島(そのうち1島は2回お出ましがある),ご成婚後ですと23島(そのうち4島には2回ずつお出ましがある),いずれも皇后陛下とご一緒のご訪問です。

宮中祭祀は陛下ご不例の間は,掌典長・次長が御代拝をしましたが,6月より復帰され,計17回の祭祀に列せられました。

ご研究のお時間は今年もなかなかおとりになれませんでしたが,オーストラリアで採集されたハゼの新種に関する共著の英文論文を昨年5月,イクチオロジカル・リサーチ誌に投稿され,同論文が今年5月に発表になりました。

陛下は今年も生物学研究所の田で種籾のお手まき,お田植えをなさり,お手刈りをされました。

陛下には12月23日に70歳のお誕生日をお迎えになります。