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会見年月日:平成14年12月19日
会見場所:宮殿 石橋の間
今年は,厳しい経済情勢が続き,国民の生活には様々な苦労があったことを案じています。来年は,少しでも良い方向に向かっていくことを願っています。
今年は日本では,比較的自然災害の少ない年であり,天候に恵まれ農作物も一部の地域を除いては,おおむね良い収穫が得られたことをうれしく思っております。それでも自然災害による死者が,今年は50人くらいになっています。誠に痛ましいことです。日本の自然は厳しく,16年前までは1年を除き毎年100人以上の死者が自然災害によって起こりました。近年の自然災害による死者の減少は,長年にわたり治山治水に携わった人々,気象情報を正確に早く伝えようとしている人々など様々な関係者の努力の結果であり,心強く思っております。
三宅島の噴火はまだ収まらず全島避難が続いています。島の環境とは異なる環境での島民の生活は,いろいろ苦労が多いことと察していますが,体に気を付け元気で島に戻られる日の来ることを願っています。また,復旧に携わっている人々が健康に十分気を付け,仕事を進めていかれるよう願っています。
小泉総理の北朝鮮訪問により,拉致事件の一端が明らかとなり,その後5人の拉致被害者が帰国したことは大きな出来事でした。長年にわたる拉致被害者並びにその家族の苦しみや悲しみは,いかばかりであったかと察しています。
喜ばしい出来事としては,サッカーのワールドカップにおいて,共催している日韓両国のチームが決勝トーナメントに進んだことです。日本チームは韓国には及びませんでしたが,日本選手の活躍をテレビで見て非常に頼もしく感じました。日本の多くの人々を明るい気持ちにさせたことと思います。このワールドカップが,日韓両国の国民の相互理解と友好関係の増進に寄与したこととうれしく思っています。
また,ノーベル物理学賞を小柴昌俊博士が,ノーベル化学賞を田中耕一氏が受賞されたことも喜ばしいことでした。多くの人々の励みになったことと思います。
私自身のこととしては,7月に皇后とポーランドとハンガリーを公式訪問し,その前後の週末に,チェコとオーストリアを訪れたことが印象深く残っております。それぞれの国の大統領閣下並びに令夫人から心のこもったおもてなしをいただき,多くの人々から温かい歓迎を受けました。これら4か国は,私どもの初めて訪問した国でありますが,これらの国々が経てきた厳しい道のりと民主主義を守りつつ発展しようとしている姿に理解を深めることができました。
国内のこととしては,毎年のように全国植樹祭,国民体育大会,全国豊かな海づくり大会などの行事の機会に各地を訪れ,人々に接し,地域の実情に触れることに努めてきました。各地で高齢化が進み,地域の人々には多くの苦労があることと察しています。
今年の豊かな海づくり大会は長崎県で行われ,その機会に,平戸と生月の両島と五島列島の福江市を初めて訪れました。即位後できる限り早い機会に全県を回りたいと考えていましたが,まだ2県が残っています。島についても機会あるごとに島を訪れ,島民に接していきたいと考えています。
今年は,沖縄が日本に復帰して30周年に当たります。30年前の5月15日,深夜,米国旗が降ろされ,日の丸の旗が揚がっていく光景は,私の心に深く残っております。先の大戦で大きな犠牲を払い,長い時を経て,念願してきた復帰を実現した沖縄の歴史を,人々に記憶され続けていくことを願っています。そして沖縄の人々が幸せになっていくことを念じています。
また,この沖縄復帰の日は,今から70年前,犬養総理を海軍の将校らが暗殺した五・一五事件の起こった日でもあります。短期間ではありましたが,これまで続いた政党内閣は,この事件をもって終わりを告げ,その後政党内閣ができるのは戦後のことになります。
高円宮の薨去は,誠に突然のことで本当に驚きました。最後に会ったのは,宮殿での検事総長,検事長などとの午餐の席であり,スポーツの話などが出て非常に元気でしたから,翌日にこのようなことが起こるとはとても思いませんでした。誠に残念なことでした。高円宮の今年の活動は,日本サッカー協会の名誉総裁として,ワールドカップに尽力したことだと思います。開会式に出席し,韓国各地を回り,韓国との友好に尽くしてくれたことをうれしく思っています。
記者会見で「一党独裁」と述べたところは,1956年のハンガリー動乱や,1968年の「プラハの春」自由化運動など,ソ連支配下の一党独裁体制に対する反対の運動が成功しなかったという歴史的事実を述べたものです。
また,韓国の金大中大統領閣下とお会いしたのは,ワールドカップの決勝戦のときで,その直前に起こった銃撃戦で兵士の4人が亡くなったことに対し,異国の地で大統領閣下が御心痛のこととお察ししたからです。
皇后が北朝鮮の拉致事件に触れたのは,今年の誕生日に当たっての記者会からの質問の中に,サッカーのワールドカップや日朝首脳会談などが今年行われたことを挙げ,この1年の気持ちを聞かせてほしいという質問があったからです。
私どもには,富山県高岡市で起こった拉致未遂事件という恐ろしい記憶があり,皇后が述べている「なぜ自分たちが自分たち共同社会の出来事としてこの人々の不在をもっと強く意識し続けられなかったのだろうか」という思いは,私にも非常に分かります。
なお,政治的事象や国際紛争についての発言は,従来余りなかったと思われるとのことですが,1年の出来事のなかで国際情勢の変化を抜いて答えることは不可能なことであり,湾岸戦争やソ連の情勢の変化のような大きな出来事については,これまでも1年を振り返っての記者会見で言及しています。
皇位継承の問題は皇室典範に定められており,この問題は国会の論議にゆだねられる問題と思います。
敬宮は健やかに1年を迎え,最近はいろいろな物に対する認識が深まってきているように感じられます。良い成長をしていることをうれしく思っております。
ニュージーランドとオーストラリアへの公式訪問は,私どももほぼ30年前に両国を訪ねていますので,二人が帰ったら話を聞くのを楽しみにしています。私が今の皇太子より少し若い時でしたから,懐かしく当時のことを思い起こしています。
昭和の初期は,即位の礼の年に起こった張作霖事件を始めとして,事件や事変が相次いで起こり,平和の少ない時期でした。その後,ついに第2次世界大戦になり,日本人の死者は300万人を超えたといわれております。皇太子時代の欧州訪問の際,第1次世界大戦のヴェルダンの戦跡を視察され,平和の大切さを実感されていた昭和天皇の御心痛は,非常に大きかったと折に触れお察ししています。
公務は,昭和の時代に比べると増えてきております。国の数が増え,国々との交流が盛んになってきたからです。平成の初めにソビエト連邦が15か国になり,ユーゴスラビア連邦から5か国が誕生しました。2か国が20か国になったわけです。そのほかにも幾つかの新しい独立国ができました。
今月の16日にはサンマリノ共和国の初代駐日特命全権大使から信任状を受けました。また,昭和の時代は外国元首の公式訪問は国賓だけでしたが,平成になってからは国賓のほかに公式実務訪問の賓客が加わりました。
このように公務は増えてきておりますが,私の立場で行うことが望ましいものについては,今後も心して務めていきたいと思っています。
皇族との公務の分担については,その行事の性格によって考えねばならないと考えています。
韓国は,日本にとって非常に近い国です。対馬からは,釜山の灯が見られると聞いています。このような隣国との関係は,非常に大切であり,友好関係を増進していくことが非常に重要と考えます。歴史的に見ても日本書紀では,当時の百済などの国との交流が,非常に詳しく記されています。今日に至るまでの長い交流の歴史は,いろいろな場合がありますが,その歴史をしっかり認識し,その上に立ってこれからの両国の友好関係を築いていくことが大切と思います。やはり,ここで忘れてならないのは,この日韓ワールドカップの共催ができるような状況になったということだと思います。それまでに,戦後の厳しい状況にあった両国民の,両国の関係をこの共催ができるまでに作り築き上げてきた人々のことをこの機会に忘れてはならないと考えております。