天皇陛下ご即位十年に際し(平成11年)

天皇皇后両陛下の記者会見

会見年月日:平成11年11月10日

会見場所:宮殿 石橋の間

記者会見をなさる天皇皇后両陛下
記者会見をなさる天皇皇后両陛下
(写真:宮内庁)

宮内記者会代表質問

問1 両陛下に伺います。この10年間は内外ともに多事多難な時代でしたが,今20世紀を超えて新たな時代を展望するところまできています。こうした中,御即位10年を迎え,様々な慶祝行事も行われております。両陛下は,どのようなお気持ちで,御即位10年に当たる今を迎えられましたか。
天皇陛下

回答をまとめてみましたが,言い尽くせないこともあるといけないので,紙を見ながらお話しします。

経済状況の厳しい中でお祝いをしてくださることを心苦しく思っていましたが,お祝いの気持ちには深く感謝し,うれしく思っています。

日本は,戦後,互いに国民が協力し,たゆみなく努力を重ねて,今日の平和と繁栄を享受するに至りました。同時に,国土と社会は大きく変貌(へんぼう)しました。近年,特に高齢化,情報化,国際化が著しく進み,日本の社会に様々な影響を与えてきています。そのような新しい動きに対応するには,多くの困難があることと思いますが,過去に幾多の困難や障害を乗り越えてきた日本の歴史を思い起こし,国民一人一人の(えい)知と国際社会の協力により,これらの困難が立派に克服されていくことを信じています。特に,現在の厳しい経済情勢の下で,国民の生活が案じられますが,皆が互いに助け合うことにより,この状況がよい方向に向かっていくことを念願しています。そして,国民が世界の人々と共に,よりよい未来を築いていくよう力を尽くしていくことと期待しています。

即位以来,天皇は日本国の象徴であり,日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に心し,昭和天皇のことを念頭に置きつつ,国と社会の要請や人々の期待にこたえて天皇の務めを果たしてきました。その陰にあって,皇后が献身的に尽くしてくれたことを深く感謝しています。即位以来もう10年も()ったのかという深い感慨を覚えるこのごろです。

皇后陛下

即位後の10年間は,陛下にはお忙しく,お心遣いの多い日々でおありでしたので,私には,陛下がお健やかに今日をお迎えになったことが,何よりも有り難く,うれしく思われます。私にとっても,この10年は新しい経験に満ちたもので,時に心細く思うこともございましたが,どのような時にも,陛下が深いお考えの下で導き励ましてくださり,また,常に仰ぎ見るお手本として,先帝陛下と皇太后陛下がいらしてくださったことは,私の10年の歩みの,この上なく大きな支えでございました。

私は,今でも深い感謝のうちに,昭和34年の御成婚の日のお馬車の列で,また,9年前の陛下の御即位の日の御列で,人々から受けた祝福をよく思い出します。40年前,東宮妃として私を受け入れてくださった皇室の御恩愛と,私の新しい生活への二度の旅立ちを,祝福を込めて見立ててくださった大勢の方々の温かいお気持ちに報いたいと思いつつ,今日までの月日が経ちました。沢山の儀式や行事を整え,私どもを陰から静かに支え続けてくれた宮内庁の職員も含め,心を寄せてくださった大勢の方々のお陰で,この日のあることを思います。

至らぬことが多うございましたが,これからも陛下のおそばで人々の幸せを願いつつ,務めを果たしていきたいと思います。

問2 両陛下は,皇太子,皇太子妃時代から,障害者や高齢者などの福祉問題に強い関心を寄せられてきました。また,御即位後も福祉施設の御訪問に加えて,被災地のお見舞いや復興に心を配られてきました。こうした10年間の御活動を,どうお考えになり,また,今後の両陛下の果たすべき役割を,どのようにお考えになりますでしょうか。
天皇陛下

障害者や高齢者,災害を受けた人々,あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは,私どもの大切な務めであると思います。福祉施設や災害の被災地を訪れているのもその気持ちからです。私どものしてきたことは活動という言葉で言い表すことはできないと思いますが,訪れた施設や被災地で会った人々と少しでも心を共にしようと努めてきました。

この10年を顧みますと,災害で多くの人々が亡くなりました。阪神・淡路大震災では六千人を超す人々が亡くなり,奥尻島とその対岸を襲った地震と津波では二百人以上の人の命が失われました。本当に心の痛むことです。身内の人を失った人や,住む家を無くした人々の気持ちはいかばかりかと察しています。集中豪雨や台風については,営々として治山治水を続けてきた効果が近年気象情報の整備に相伴って死者が減少している傾向になってきています。このことは誠に喜ばしいことでありますが,ただ,今年は残念ながら6月に広島に集中豪雨があり,9月に台風で熊本県を中心として大きな被害が出ました。誠に痛ましいことです。防災に当たっている人々の労を心からねぎらいたく思います。

高齢化社会を迎え,福祉の面は厳しい状況にありますが,心の絆(きずな)を強め,様々な課題に対するたゆみない努力により,皆が幸せな気持ちになれるような社会を築いていくことを期待しております。私どもがそのような心の支えに寄与することができればと思っています。

皇后陛下

陛下が仰せになりましたように,困難な状況にある人々に心を寄せることは,私どもの務めであり,これからも更に心を尽くして,この務めを果たしていかなければいけないと思っております。

福祉への関心は,皇室の歴史に古くから見られ,私どもも過去に多くを学びつつ,新しい時代の要求にこたえるべく努めてまいりました。また,福祉と皇室とのつながりの上で,これまで各皇族方が果たしてこられた役割も非常に大きく,今も皆様が,それぞれの分野で地道な活動を続けておられます。

この10年間,陛下は常に御自身のお立場の象徴性に留意をなさりつつ,その上で,人々の喜びや悲しみを少しでも身近で分け持とうと,お心を砕いていらっしゃいました。社会に生きる人々には,それぞれの立場に応じて役割が求められており,皇室の私どもには,行政に求められるものに比べ,より精神的な支援としての献身が求められているように感じます。役割は常に制約を伴い,私どもの社会との接触も,どうしても限られたものにはなりますが,その制約の中で,少しでも社会の諸問題への理解を深め,大切なことを継続的に見守り,心を寄せ続けていかなければならないのではないかと考えております。様々な事柄に関し,携わる人々と共に考え,よい方向を求めていくとともに,国民の叡(えい)知がよい判断を下し,人々の意志がよきことを志向するよう常に祈り続けていらっしゃる陛下のおそばで,私もすべてがあるべき姿にあるよう祈りつつ,自分の分を果たしていきたいと考えています。

問3 戦後54年が経過し,かつて激戦地となった沖縄で,来年サミットが開かれます。天皇陛下は戦後,長く沖縄の現状について心を配られてきました。また,外国訪問の際にも,戦争の傷跡について,深くお考えになったと思われます。内外の戦争の惨禍を次の世代に伝える上で,現在どのようなお気持ちでいらっしゃいますか。
天皇陛下

私の幼い日の記憶は,3歳の時,昭和12年に始まります。この年に廬溝橋事件が起こり,戦争は昭和20年の8月まで続きました。したがって私は戦争の無い時を知らないで育ちました。この戦争により,それぞれの祖国のために戦った軍人,戦争の及んだ地域に住んでいた数知れない人々の命が失われました。哀悼の気持ち切なるものがあります。今日の日本が享受している平和と繁栄は,このような多くの犠牲の上に築かれたものであることを心しないといけないと思います。

沖縄県では,沖縄島や伊江島で軍人以外の多数の県民を巻き込んだ誠に悲惨な戦闘が繰り広げられました。沖縄島の戦闘が厳しい状態になり,軍人と県民が共に島の南部に退き,そこで無数の命が失われました。島の南端摩文仁に建てられた平和の礎には,敵,味方,戦闘員,非戦闘員の別なく,この戦いで亡くなった人の名が記されています。そこには多くの子供を含む一家の名が書き連ねられており,痛ましい気持ちで一杯になります。さらに,沖縄はその後米国の施政下にあり,27年を経てようやく日本に返還されました。このような苦難の道を歩み,日本への復帰を願った沖縄県民の気持ちを日本人全体が決して忘れてはならないと思います。私が沖縄の歴史と文化に関心を寄せているのも,復帰に当たって沖縄の歴史と文化を理解し,県民と共有することが県民を迎える私どもの務めだと思ったからです。後に沖縄の音楽を聞くことが非常に楽しくなりました。

先の大戦が終わってから54年の歳月が経(た)ち,戦争を経験しなかった世代が二代続いているところも多くなっています。戦争の惨禍を忘れず語り継ぎ,過去の教訓をいかして平和のために力を尽くすことは非常に大切なことと思います。特に戦争によって原子爆弾の被害を受けた国は日本だけであり,その強烈な破壊力と長く続く放射能の影響の恐ろしさを世界の人々にもしっかりと理解してもらうことが,世界の平和を目指す意味においても極めて重要なことと思います。近年は広島,長崎を訪問する外国の賓客が多くなっていることは,その意味において意義深いことと考えます。

在日外国報道協会代表質問

問4 両陛下はこの10年間に何度か外国を御訪問されましたが,当時の最も印象深い思い出や,ハプニングについてお話をお聞かせください。また,そうした機会を体験されて,日本が国際的役割の中で世界に発信した方がよいと思われるメッセージは何だとお考えでしょうか。
天皇陛下

訪問国で多くの人々とその人々が住む風土に接し,訪問国への理解を深めることができました。そして,訪問地で人々の温かい心に触れたことが懐かしく思い起こされます。中国を除いては,皇太子の時訪問した国々でしたが,日本とそれぞれの国との交流が一層進んできていることが感じられ,うれしく思いました。また,初めて訪れた中国では,多くの人々が親しみをもって迎えてくれたことも印象に残っています。それぞれの国の歩んできた道は違いますが,人々の気持ちには国境を越えて非常に近いものがあるように思います。

この10年間に世界を最も大きく変えた出来事は,ソヴィエト連邦の崩壊だと思います。このことは鉄のカーテンが取り払われ,力によらずお互いに理解し合うことのできる平和な世界が築かれていくことを感じさせるものでした。今朝はちょうどベルリンの壁が壊されてから10年に当たりますが,壁が壊されてから4年後,私はドイツを訪問し,時のワイツゼッカー大統領,ディープゲンベルリン市長両御夫妻と共に,皇后と西ベルリンから東ベルリンへ壁のないブランデンブルグ門を通って歩き,そこでベートーベンの「(よろこ)びの歌」の合唱を聴いたことは忘れ得ない思い出となっています。

地球環境が人類の活動によって様々な影響を受けている今日,住み良い地球環境をつくっていくことは緊急のことであります。そのためにも世界の人々が互いに協力して,地球環境を守れるような平和な世界を築いていかなければなりません。世界の各地で紛争が起こり,多くの命が失われている今日,平和の大切さを世界の人々が十分に理解するよう,日本の人々が,たゆみなく努力していくことが大切なことと思います。

ハプニングについては思い当たりません。

皇后陛下

10年間に訪れたどの国においても,幾つかの懐かしい再会があり,沢山の新しく印象深い巡り合いがありました。遠い国々を訪ね,そこに母国におけると同じく,心を通い合わせることのできる人々を見いだすことは本当にうれしく楽しいことでした。

それぞれの旅に思い出があり,その中から最も印象深い一つを選ぶことは難しいのですが,今,陛下もお触れになりましたように私も壁崩壊後のベルリン訪問は,とりわけ深い印象とともに思い出します。

今から10年前のちょうど今ごろ,テレビのニュースで朝の光を一杯に受けたブランデンブルグ門に群がる人々の笑顔を見,その明るい光景に強く心打たれてから4年後,陛下のお伴をしてベルリンを訪れ,ワイツゼッカー大統領御夫妻とベルリンのディープゲン市長御夫妻と共に,ブランデンブルグ門を通りました。その後壁の周辺を歩き,そこで亡くなった幾人かの方々のお墓を見,この壁と共にあった30年近くに及ぶ世界の歴史と,その壁のために命を失った人々と,また運命をたがえた多くの人々の上に思いを致しました。忘れることのできない旅の一日でした。

二つ目の質問である,日本が世界に発信すべきメッセージについては,これは様々であってよいのだと思います。日本という国単位の,大きなメッセージというよりも,個人や団体が,それぞれの立場や役割の中から,具体的に発信していくことがいいのではないかと思います。また,私は幾つかの国を訪問する機会を得る中で,一国が発信するメッセージは,必ずしも言葉や行動により表現されるものばかりとは限らず,例えば一国の姿や,たたずまい,勤勉というような,その国の人々が長い年月にわたって身に付けた資質や,習性というものも,その国が世界に向ける静かな発信になり得るのではないかと考えるようになりました。その意味で,日本が国際的な役割を十分に果たしていく努力を重ねる一方で,国内においても,日本が平和でよい国柄の国であることができるよう,絶えず努力を続けていくことも,大切なことではないかと考えています。