天皇陛下お誕生日に際し(平成7年)

天皇陛下の記者会見

会見年月日:平成7年12月21日

会見場所:宮殿 石橋の間

記者会見をなさる天皇陛下
記者会見をなさる天皇陛下
(写真:宮内庁)

宮内記者会代表質問

問1 昨年のお誕生日以来,「阪神・淡路大震災」や「サリン関連事件」など大きな事件が相次ぎました。また,今年は戦後50年にあたり,陛下も慰霊のために各地を訪問されました。ここで改めて各地を慰霊されたうえでの戦争への思いを含めて,この1年を振り返ってのご感想をお聞かせ下さい。
天皇陛下

今年は誠に心の重い年でした。年の初めに阪神・淡路大震災が起こり,これが何よりも心の痛むことでした。5,500人を超す人々の命が失われ,多くの人々が長く苦労の多い避難生活に耐えねばなりませんでした。殊に高齢の被害者の気持ちはいかばかりであったかと察しています。

このような中にあって,被災者が互いに助け合い,冷静に事に対処している姿と,各地から訪れたボランティアが,懸命に被災者のために尽くしている姿に深く感銘を受け,我が国の将来を心強く思いました。

サリン関連事件は本当に思いもよらない恐ろしい事件でした。元気に朝出勤して来た人々が,事件にあい,亡くなり,また,救出活動に当たっていた人々が亡くなり,本当にその遺族のことを思うと,心が痛みます。科学技術が日進月歩の勢いで進歩している今日,科学技術を扱う人々がどのような意識で仕事をしているかということが極めて大切と思います。福井博士がノーベル賞の受賞式で科学の発展に対する科学者の責任に言及されたことが,しみじみ思い起こされます。

今年は戦争が終わって50年という節目の年に当たり,戦争の災禍の最も激しかった長崎,広島,沖縄,東京を訪れ,また,8月15日の戦没者追悼式に臨んで,戦禍に倒れた人々の上を思い,平和を願いました。また,今年は硫黄島やハバロフスクで慰霊祭が行われました。希望に満ちた人生に乗り出そうとしていた若い人々が戦争により,また,厳しい環境の中で病気により亡くなったことを深く哀惜の念に感じます。今日の日本がこのような犠牲の上に築かれたことを心に銘じ,これからの道を進みたいものと思います。

身近な事としては,秩父宮妃の薨去もさびしいことでした。

このような今年の心の痛む出来事の中で,雲仙普賢岳の噴火が収まったことは,明るいニュースの一つだったと思います。先日被災地を訪れ,復興事業の様子を頼もしく見ました。見通しの立たない長い避難生活が4年も続いたわけで,被災者の人々の苦労はいかばかりかと察せられますが,今後皆が協力して安全な住みよい土地を築いていかれるよう切に願っています。

世界に目を向けると,国際社会は平和の確立に力を尽くしていますが,特に中東地域と旧ユーゴスラヴィアで平和への進展が見られたことは喜ばしいことです。ただ中東和平に力を尽くされたラビン首相が亡くなられたことは誠に残念なことでした。多くの人命が失われたこれらの地域を始め世界各地で1日も早く永続する平和が訪れることを願ってやみません。

問2 来年は,新しい皇室が生まれた新憲法の公布から50年に当たります。この50年で国民の価値観も多様化が進んできたように思いますが,現在の皇室と国民との関係は,陛下の理想通りでしょうか。
「もっとこうしたい」というお考えがあれば,そのための方策なども含めて具体的にお聞かせ下さい。今年は,競輪や競艇の「宮杯」をめぐり一部の皇族が多額の謝礼を受け,憲法などに違反していたことが明らかになりましたが,これは陛下のおっしゃる「国民とともに歩む」姿勢から逸脱したものと言わざるを得ないのではないでしょうか。皇室の中心としてこの事件をどのように受け止められたかお聞かせ下さい。
天皇陛下

天皇は日本国の象徴であり,日本国民統合の象徴であるという日本国憲法の規定と長い皇室の歴史を念頭に置き,国民の期待に応えて,国と国民のために尽くすことが皇室に与えられた務めであると思います。皇室と国民の関係については,国民の心をおもんばかり,皇室自身を省み,その望ましい在り方を求めていくことが大切と思います。「宮杯」の問題については発言を控えます。宮家も皇族の務めをそれぞれ果たすことに力を尽くしていると思いますので,その良い道を求めていくことを期待しています。

問3 陛下は今年,腸のポリープを切除された後,頻繁にテニスをされるなど健康に配慮されているとお見受けします。また,ご専門のハゼなど魚類の研究も順調に進められているとうかがいます。来年も,お忙しいご公務が続くと思われますが,こうした健康や研究の面もあわせてこれからの1年への抱負をお聞かせ下さい。
天皇陛下

テニスは体力を作る上に良いスポーツだと思います。短時間でも定期的にすることによって効果が現れることを感じます。ただ皇太子の時と比べてテニスに割く時間が減っており,体力的にきつく思われることがあります。

研究の方は,皇太子の時は少なくとも2年に一つは論文を書いていましたが,即位後は一つしか書くことができませんでした。即位以来忙しい日々を過ごし,研究に時間を当てることができず,残念に思いますが,致し方なかったことだったとも思います。特に今年は,戦後50年ということで,これに関係した本に目を通したいと考え,公務に関わる以外のかなりの時間,そういう本を読みつつ,過去に思いを致しました。

来年に対する願いは,明るく,人々が希望の持てる年であってほしいということです。今年は戦争が終わって50年という節目の年に当たり,皆が様々に思いを深めた年であったと思います。戦争の惨禍については,今後とも若い世代に語り継がれていかなければならないと思います。今後ますます多くの人々が美しい珊瑚礁に囲まれた沖縄の島々や,かつての激戦地を訪れることと思いますが,その人々がそれぞれの地で多くの命が失われたことに心し,訪れてほしいと思います。

私自身にとっては,来年も今年と同様,国と国民のために力を尽くしていきたいと思います。

関連質問

問1 紀宮様についてお伺いしたいのですけれども,今年は初めてブラジルを公式訪問ということでご公務で訪問されましたけれども,天皇陛下としてのお立場として,そして父親としてのお立場として,それぞれですね,紀宮様のご活動についてどのようにお考えになっているか,どのように見ておられるか,その辺をお聞かせ願えませんでしょうか。
天皇陛下

ちょっとどういうことですか,もう一寸詳しく言って頂けると。

記者

紀宮様が初めて公務で訪問されたということです。それについて皇族の一員として皇室の務めを果たされたわけですけれども,ご活躍振りと言いますか,ご本人から伺った話とか,陛下としてどのように見ておられたか,その辺が伺いたいと思うのですが。

天皇陛下

ちょうど,ブラジルと日本との修好100年という年に当たって,ブラジル政府からの招待で,この度訪問することが出来たわけですが,ブラジルは日本と移民の関係で非常に深い関係を持った国です。この日本の移民の人々が,ブラジルの人々に温かく迎えられ,今日,ブラジルの様々な分野で活躍し,ブラジル社会に貢献しているということは,大変うれしく思われます。日本とブラジルとの関係はこのような過去からの関係がありますが,今後ますます様々な分野で関係を深くしていくことが重要なことと思います。この度の100周年の行事を含め,紀宮の訪問が両国の友好関係に資することになれば,大変うれしいことだと思っています。

問2 今後とも紀宮様については皇室の一員としてですね,外国訪問の可能性があると考えてよろしいでしょうか。
天皇陛下

そういう機会があればということになります。

問3 戦後50年の慰霊の旅でお忙しい日程で各地の激戦地を廻られましたが,その間,父である昭和天皇の存在というものはどういうふうにいまの陛下の中でお感じになられましたでしょうか。
ごくご日常の中で父であった昭和天皇に似てきたなとか,影響されている部分があるなというところがあったら教えて頂きたいのですが。
天皇陛下

この昭和天皇は平和をずっと願っていらしたということは,確かこの前記者会見でもお話したことだと思います。ヴェルダンの古戦場を訪れて,そこに兵士の埋まっている状態の所を訪れ,戦争の悲惨さということを感じたという話は伺っています。今度の戦争については,昭和天皇のお考えとは違う方向に進んでいったということが言い得ると思いますし,その点で昭和天皇のお心は深く察せられるように思います。

ただ,さっき父としてというお話がありましたけれども,普段はそういうようなお話はほとんどなさったことはありませんでした。また,あまり伺うということも,心がはばかられたということもあります。そういうことですね。