天皇陛下お誕生日に際し(平成6年)

天皇陛下の記者会見

会見年月日:平成6年12月20日

会見場所:宮殿 石橋の間

記者会見をなさる天皇陛下
記者会見をなさる天皇陛下
(写真:宮内庁)

宮内記者会代表質問

問1 還暦を迎えられたこの一年間は,陛下にとって,どのような一年だったでしょうか。印象に残っている事柄などがありましたらお聞かせください。また,陛下は61歳になられ,皇后さまも先頃還暦を迎えられましたが,今後,お二人でどのような人生を歩んでいかれたいかということについても併せてお聞かせいただけないでしょうか。
天皇陛下

昨年は,北海道南西沖地震や集中豪雨,台風などによって400人以上の死者,行方不明者が生じ,さらに冷夏と長雨によって農作物に大きな被害がもたらされましたが,今年は,自然災害による死者が昨年に比べて著しく少なく,また,各地で稲などが豊作であり,この意味では良い年であったと思います。ただ,雨不足により,猛暑の中,長期にわたる断水や水不足などが起こり,日常生活や農業の面などで,はかり知れない苦労があったことと察しています。給水制限がまだ続いているところもあり,少しでも早く解消されるよう願っています。なお,雲仙・普賢岳の噴火はいまだにおさまらず,奥尻島と共に避難生活が続いていることに心を痛めています。

世界では,ボスニア・ヘルツェゴビナやルワンダなどで多くの人命が失われ,平和な世界へ向かっての大きな進展がなかったことは残念なことです。

私自身のことに関しましては,2月に復帰25周年を経た硫黄島,父島,母島を訪問したことが深く印象に残っています。硫黄島では日米合わせて3万人近くの人命が失われ,いまだに1万柱以上の遺骨が地下に眠っていることに心を痛めております。父島,母島は固有の生物相に恵まれ,その自然が守られるとともに,住んでいる人々にとっても幸せな島であるよう願っております。

米国,フランス,スペインへの訪問は,それぞれの国の大統領閣下や国王陛下から丁重なおもてなしをいただき,また,各地で多くの人々に接し,それぞれの国民の日本に対する友好の気持ちを感じ,心に残るものでありました。

広島で行われたアジア大会も,市民を始めとする多くの人々の協力により,とどこおりなく行われたことをうれしく思っております。アジア大会が日本で行われるのは2度目のことでありますが,36年前の東京で開催された大会の総裁を務めましたので,この度の大会は感慨深いものがありました。この前の大会の選手入場の時,アフガニスタンの旗を先頭に少人数の選手が入場行進の最初に入ってきたのが懐かしく思い起こされます。この度の大会では,参加国も,参加選手の数も多く,この大会にアジア地域の繁栄を感じました。

今後,どのような人生を歩んでいくかという質問ですが,私は従前どおり,象徴としての望ましい在り方を常に念頭に置きながら,国や国民のために務めを果たしていくつもりでおり,また,皇后も私を支えて,心をこめて仕事を果たしていくことと思います。

問2 来年は戦後50年を迎えますが,日本の50年の歩みを振り返ってどのような感想をお持ちでしょうか。陛下ご自身にとって思い出深い事柄はございますか。また,50年という節目の年を迎える心境や,これを機に訪れてみたい場所などがありましたらお聞かせください。
天皇陛下

思い出深い事柄という質問に対しては,昨年,還暦に当たって印象深い事柄についての質問がありましたので,その質問に含まれることになると思いますから,50年を振り返っての感想についての質問の方にお答えしたいと思います。

戦争が終わってその廃墟から立ち上がり,お互いに協力し合い,努力を重ねて,今日,国民の一人一人が豊かになり,国として,また,個人として,世界に貢献する立場になったことに深い感慨を覚えます。50年前,廃墟の中で,日本がこのように今日発展するとは誰しも予想しなかったことと思います。このような発展の基を築いた人々の労苦に対して深く思いをいたしています。

しかし,産業の発展の過程で,公害が痛ましい犠牲を生んだことは心の痛むことでした。大勢の人々の協力と努力により,この深刻な公害が改善されてきていることを心強く感じています。一時は東京の空が黒ずみ,公害に弱い木は枯れていきました。しかし,ある時期から空はかなり澄むようになり,庭の弱っていたアカマツも立ち直り,また,キンモクセイの花も咲くようになりました。今日,皇居に生き残っているモミの高木は緑の葉を元気に茂らせています。しかし,環境の改善にはたゆまぬ努力が必要であり,今後,公害に弱い木も育つ健康な都市がつくられるよう願っています。

環境の改善に多くの人がかかわりましたが,社会福祉の面にも関心が深まり,多くの人々がかかわるようになってきたことは喜ばしいことです。今後,高齢化社会を迎える国民皆がお互いに支えあって,社会を築いていくことが必要と思い願っています。

来年は戦争が終わって,50年になります。戦争による多くの犠牲者とその遺族のことは少しも念頭を離れることはなく,今後ともその人々のことを思いつつ,平和を願い続けていくつもりです。

この機会に訪れたいところということですが,具体的に訪れたいところを言うことは出来ませんが,この年に当たり,とりわけ戦争の禍の激しかった土地に思いを寄せていくつもりでいます。

問3 昨年の会見でもお伺いしたことですが,紀宮様のご結婚について,父として,あるいは天皇陛下のお立場で,お考えや見通しなどを改めてお伺いしたいのですが,いかがでしょうか。
天皇陛下

結婚の問題は,本人の気持ちが尊重されることが大切と思います。内親王の場合には,皇室会議の議を経るわけではありませんが,国民の納得を得られる人が望ましく,本人もその気持ちでいることと思います。時期については,皇太子もそうでありましたが,まだ結婚を急ぎたいという気持ちになっているとは感じられません。しかし,今後いつ気持ちが変わったということをお伝えするわけにはいきませんので,今後はこのことについての発言を控えたく思います。

問4 今年のように一年に二度の外国訪問というスケジュールは,陛下や皇后さまにとって,精神的あるいは肉体的にご負担ではございませんでしたか。また,日常の公務についても,忙しすぎると感じることはございませんか。陛下が健康維持のため心掛けていることがありましたら,併せてお聞かせください。
天皇陛下

皇居で或いは地方を訪問して国の様々な分野の状況を知り,また,各地で社会のために尽くしている人々に会い,心を寄せることは私の大切な務めと思っております。また,即位後,出来る限り早い機会に各県を回りたいと思っております。このことも重要な務めだと思っています。

近年,皇居での行事が非常に増えてきています。外国関係の行事が多くなったからで,ソヴィエト連邦が15の国に分かれるなど,分離独立した国が多くなり,したがって,信任状捧呈式なども増えてきております。今年は,新しい国のカザフスタンとウズベキスタンの両大統領閣下を公式実務訪問として皇居にお迎えしました。このように,国の数が増え,国と国との交流が盛んになっている今日の世界では,いずれの国でも同様の結果になっていることと思います。象徴としての立場から国と国との親善関係の増進に努めることは重要なことと考えますので,一つ一つ心をこめて務めていきたいと思っています。したがって,外国訪問と共に,日常の公務も多くなってきておりますが,これは極めて重要なことと思いますので,心して務めていくつもりです。

健康につきましては,公務を果たす上に健康は重要なことと思いますので,出来る限り健康な生活を心掛けるよう努めています。

関連質問

問 陛下の外国訪問については政府が決定することとなっておりますけれども,韓国の訪問がまだまだ実現していないのですが,陛下個人のお気持ちとして韓国についてのお考えが何かございましたら,お聞かせ願えませんでしょうか。
天皇陛下

韓国は日本の最も近い隣国であり,歴史的にも様々な関係があります。したがって,両国の理解と信頼関係,友好関係を深めていくことは非常に大切なことと思います。私の訪問につきましては,この前もお答えしたと思いますが,政府が検討を加えることになっており,それにしたがって行いたいと思います。