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今年は日本の各地が大きな災害に襲われた,悲しみの多い年でした。3月11日には,東日本で津波を伴う大地震があり,東北,とりわけ岩手,宮城,福島の3県が甚大な被害を蒙りました。就中福島県においては,この震災に福島第一原発の事故が加わり,放射性物質の流出は周辺の海や地域を汚染し,影響下に暮らす人々の生活を大きく揺るがせました。大震災の翌日である3月12日には,長野県栄村でもほぼ東北と同規模の地震があり,これに先立つ2月22日には,ニュージーランドにおいても,地震により,多くの若い同胞の生命が失われました。
豪雨による災害も大きく,7月には新潟,福島の両県が,9月の台風12号では,和歌山,奈良の両県が被災しました。災害に関する用語,津波てんでんこ,炉心溶融,シーベルト,冷温停止,深層崩壊等,今年ほど耳慣れぬ語彙が,私どもの日常に入って来た年も少なかったのではないでしょうか。
2万人近い無辜の人々が悲しい犠牲となった東北の各地では,今も4千人近い人々の行方が分かりません。家を失い,或いは放射能の害を避けて,大勢の人々が慣れぬ土地で避難生活を送っています。犠牲者の遺族,被災者の一人一人が,どんなに深い悲しみを負い,多くを忍んで日々を過ごしているかを思い,犠牲者の冥福を祈り,又,厳しい日々を生き抜いている人々,別けても生活の激変に耐え,一生懸命に生きている子どもたちが,1日も早く日常を取り戻せるよう,平穏な日々の再来を祈っています。
この度の大震災をどのように受けとめたか,との質問ですが,こうした不条理は決してたやすく受け止められるものではなく,当初は,ともすれば希望を失い,無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした。東北3県のお見舞いに陛下とご一緒にまいりました時にも,このような自分に,果たして人々を見舞うことが出来るのか,不安でなりませんでした。しかし陛下があの場合,苦しむ人々の傍に行き,その人々と共にあることを御自身の役割とお考えでいらっしゃることが分かっておりましたので,お伴をすることに躊躇はありませんでした。
災害発生直後,一時味わった深い絶望感から,少しずつでも私を立ち直らせたものがあったとすれば,それはあの日以来,次第に誰の目にも見えて来た,人々の健気で沈着な振る舞いでした。非常時にあたり,あのように多くの日本人が,皆静かに現実を受けとめ,助け合い,譲り合いつつ,事態に対処したと知ったことは,私にとり何にも勝る慰めとなり,気持ちの支えとなりました。被災地の人々の気丈な姿も,私を勇気づけてくれました。3月の20日頃でしたか,朝6時のニュースに郵便屋さんが映っており,まばらに人が出ている道で,一人一人宛名の人を確かめては,言葉をかけ,手紙を配っていました。「自分が動き始めたことで,少しでも人々が安心してくれている。よい仕事についた。」と笑顔で話しており,この時ふと,復興が始まっている,と感じました。
この時期,自分の持ち場で精一杯自分を役立てようとしている人,仮に被災現場と離れた所にいても,その場その場で自分の務めを心をこめて果たすことで,被災者との連帯を感じていたと思われる人々が実に多くあり,こうした目に見えぬ絆が人々を結び,社会を支えている私たちの国の実相を,誇らしく感じました。災害時における救援を始め,あらゆる支援に当たられた内外の人々,厳しい環境下,原発の現場で働かれる作業員を始めとし,今も様々な形で被災地の復旧,復興に力を尽くしておられる人々に深く感謝いたします。
この度の災害は,東北という地方につき,私どもに様々なことを教え,また,考えさせました。東北の抱える困難と共に,この地域がこれまで果たしてきた役割の大きさにも目を向けさせられました。この地で長く子どもたちに防災教育をほどこして来られた教育者,指導者のあったことも,しっかりと記憶にとどめたいと思います。今後この地域が真によい復興をとげる日まで,陛下のお言葉のように,この地に長く心を寄せ,その道のりを見守っていきたいと願っています。
(震災の日の陛下と私の様子をとのことですが,事後の報道にあったことに,特に加えることはありません。)
この1年の世界の出来事で,特に印象に残るものとして,チュニジアのデモに端を発し,エジプト,リビア始めアラブ世界の各国に波及した「アラブの春」の動きがありました。なお,案じられることとして,タイをはじめ近隣の国々で今も続いている豪雨災害があります。
9月,日本とのつながりの深いケニアのマータイさんがなくなりました。丁度日本訪問の思い出をつづったお便りと共に,長く関わってこられた植樹活動のDVDが手許に届けられた直後の訃報でした。そして,10月には,「アラブの春」よりも早く,非暴力をもって独裁に対し,人権や平和のための活動を続けてきたアフリカ,中近東の3人の女性に,ノーベル平和賞の授与が発表されました。
恵まれぬ環境下で,長く努力を重ねてきた女子サッカーチーム「なでしこ」のワールドカップ優勝,美しい演技で知られる日本体操チームの世界選手権での活躍,魁皇関の立派な記録達成等,今年のスポーツ界には,うれしいニュースが続きました。園遊会に出席の佐々木監督と澤選手は,あの日どんなに大勢の人から喜びの言葉をかけられたことでしょう。大きな魁皇関は,芝生の斜面に笑顔でゆったりと立っておられました。
この1年間にも各界は何人もの大切な方たちを失いました。このうち5月に亡くなった坊城俊周さんは,戦後間もなくより,兄上の俊民氏と共に,宮中の歌会始の諸役となられ,以来,長くこの務めに献身して下さいました。平和な今日と異なり,戦後の混乱期に,若い人々の手で伝統の行事を守り続けることには,想像を超えるご苦労があったと思われます。7月に亡くなられた冷泉布美子さんも又,戦中戦後を通し,長い歴史をもつ時雨亭文庫を守られ,冷泉家に伝わるさまざまな年中行事も,これをつぶさに今日に伝えられました。京都のお宅で,美しい七夕のお飾りを見せて頂いた日のことを懐かしく思い出します。
4人の孫たちは,秋篠宮家の上の二人,眞子と佳子が19歳と16歳,東宮の愛子が九つ,秋篠宮家の末の悠仁が五つになり,それぞれに個性は違いますが,私にとり皆可愛く大切な孫たちです。会いに来てくれるのが楽しみで,一緒に過ごせる時間を,これからも大切にしていくつもりです。
質問にもありましたように,今年は秋篠宮家の長女眞子が成人式を迎えます。思慮深く,両親が選んだ名前のように真直ぐに育ってくれたことを,嬉しく思っています。
5,6年程前から,医師の警告を受けていた
8年前,前立腺の手術をお受けになった陛下は,今もホルモン療法をお受けになっており,そのことが骨や筋肉に及ぼす悪い影響は避けられません。薬をお摂りになる他,医師からは適度の運動も奨められており,私も毎朝の散策に加え,体調が許すようになりましたら,また以前のようにテニスコートにもお伴をしたいと願っています。この2月に冠動脈の
陛下のお務めの御多忙がお体に障らぬよう,深くお案じ申し上げておりますが,他方,病気をお持ちの陛下が,少しも健康感を失うことなく,日々の務めに励んでいらっしゃるご様子を見上げますと,陛下の御日常が,ごく自然に公務と共にあるとの感も深くいたします。
人々のために尽くすという陛下のお気持ちを大切にすると共に,過度のお疲れのないよう,医師や周囲の人たちの意見も聞きつつ,常に注意深くお側にありたいと願っています。
皇后さまには今年,めでたく喜寿をお迎えになりました。
皇后さまは例年どおり,この1年も,皇居内外で様々のお務めを果たされました。3月11日の東日本大震災発生に伴い,皇后さまは陛下とご一緒に被災地や避難所をご訪問になるとともに,3県の知事や県警本部長など多くの関係者から説明を受けられました。例年のお仕事に加え,数多くの災害関連のお務めを果たされ,極めてお忙しくかつご心労の多い年でした。皇后さまとしてのお立場でお務めになったお仕事は342件,そのほかにも献穀者,賢所勤労奉仕団及び皇居勤労奉仕団へのご会釈が60回あり,例年のようにご養蚕のお仕事も務められました。また,陛下のお側でお務めになる行事やご視察のほか,単独でもフローレンス・ナイチンゲール記章授与式へのご臨席のほか,社会貢献活動や文化・芸術に携わっている人々からの願い出に応え,チャリティー・コンサートを始め各種公演,展覧会などに足を運ばれ,活動を励まされました。特に,今年は被災者支援のためのチャリティー・コンサート等の願い出が多く,その多くにご出席になりました。御所では恒例の肢体不自由児・重症心身障害児関係の「ねむの木賞」受賞者のご接見があり,日本赤十字社社長,副社長より赤十字の活動状況を,日本ユニセフ協会会長より同協会の活動状況につき説明をお聞きになりました。また,東日本大震災に関し,関係者より36回にわたりご説明を受けられ,震災の各方面への影響につき気遣われました。両陛下ご一緒で,政府,地方自治体,各分野の専門家,各産業等の関係者からのご説明をお聞きになったほか,皇后さまお一方でも日本看護協会会長,副会長より看護師や保健師の救護活動につき,また東京大学医学部附属病院院長より乳児と放射線被
この1年間,公的な地方行幸啓は埼玉県(3回),神奈川県(3回),千葉県(2回),茨城県,宮城県,岩手県,福島県,和歌山県,群馬県,山口県と10県,20市3町1村を数えました。全国植樹祭,国民体育大会総合開会式の式典にご臨席になったほか,各県への行幸啓の都度,多数の市町村を回られ,各地の文化,福祉を始めとする諸施設をご訪問になり,ご訪問先や沿道でお迎えする大勢の人々の歓迎にお応えになりました。東日本大震災関係では避難者・被災者をお見舞いのため3月末から5月にかけ,7週連続でお出ましになり,避難所としては東京武道館(3/30)及び埼玉県加須市(4/8)を,また被災地としては,千葉県旭市(4/14),茨城県北茨城市(4/22),宮城県(4/27),岩手県(5/6),福島県(5/11)をご訪問になり被災者をお見舞いになりました。その後8月,9月にも都内及び千葉県東金市に出むかれ,被災者や,その世話に当たる人々を労われました。
本年は,外国のご訪問はありませんでしたが,この1年も,両陛下は多数の外国からの賓客を接遇されました。モンゴル国及びウズベキスタン国の各大統領及び同令夫人を公式実務訪問賓客として迎えられ午餐を催されたほか,ガボン国,インドネシア国及びコロンビア国の各国大統領及び同令夫人とご会見になり,インド国及びオーストラリア国の各首相夫妻並びにインド国下院議長夫妻をご引見になりました。また,王族としてモナコ国アルベール2世公殿下及び同婚約者,トンガ国王陛下,ルクセンブルク国皇太子殿下をご昼餐に,タイ国王女チュラポン殿下,デンマーク国皇太子殿下をご夕餐に御所でお招きになりました。また,カナダ国首相夫妻が来日した際には,平成21年同国ご訪問時にお迎えした同首相夫妻への返礼の意を込めて御所でご夕餐にお招きになりおもてなしになりました。また在京の外交団との関係では,この1年間に着任後間もない36か国の大使夫妻をお茶に,着任後3年経過した20か国の大使夫妻を午餐にお招きになっており,また,離任に際して,18か国の大使夫妻がご引見を賜りました。日本から外国に赴任する大使夫妻にも,陛下と共にお会いになっており,この1年には58か国に赴任する大使夫妻に出発前にお会いになり,72か国から帰国した大使夫妻をお茶に招き,任地の話をお聞きになりました。
宮中祭祀については,後述のとおり皇后さまは7月初め
今年のご養蚕は4月末から始められ,ご給桑,上蔟,わら蔟作り,繭掻き等のため,恒例の行事のほかにもご公務の合間に20回余りにわたり御養蚕所においでになり,蚕の飼育に当たられました。今年は約157キロの収穫があり,一昨年で16年に及ぶ正倉院の宝物復元のための小石丸の繭献納を終えられましたので,今年は収穫のうち小石丸の繭20キロを宝物作製のため伊勢神宮へ,小石丸10キロと白繭10キロを邦楽器弦の材料としてシルク弦の開発研究会へ賜りました。
皇后さまは週日のほぼ連日のお仕事に加え,土日や祝日にもしばしばお仕事に携わられます。日頃から健康には気を付けていらっしゃいますが,昨年9月より咳喘息の可能性が高いとの診断で,お薬によるご治療をお続けになった結果,徐々に回復されました。また,以前から
10月20日,皇后さまの77回目のお誕生日のご日程は,午前10時半から12時まで,皇族方始め内閣総理大臣,衆参両院議長,最高裁判所長官,閣僚,宮内庁職員等による祝賀6回,正午,皇族方始めとのご祝宴,午後,旧奉仕者による祝賀,元側近奉仕者等との茶会,母校の先生方やご進講者等との茶会,非公式日程として夕刻から敬宮さま始め未成年の内親王,親王殿下方のご挨拶があり,最後にお子さま方ご夫妻とお祝御膳を囲まれます。
時刻 | 出御 | 行事 | 事項 | 場所 |
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午前10:30 | 両陛下 | 祝賀及びお祝酒 | 侍従長始め侍従職職員 | 御所 |
同 11:00 | 天皇陛下 | 祝賀 | 長官,次長(総代),参与 | 鳳凰の間 |
同 11:10 | 皇后陛下 | 祝賀 | 長官始め課長相当以上の者,参与及び御用掛 | 鳳凰の間 |
同 11:20 | 皇后陛下 | 祝賀 | 宮内庁職員及び皇宮警察本部職員 | 北溜 |
同 11:40 | 皇后陛下 | 祝賀 |
内閣総理大臣,国務大臣,内閣官房副長官及び内閣法制局長官, 衆議院・参議院の議長及び副議長, 最高裁判所の長官及び判事(長官代行), 会計検査院長,人事院総裁,検事総長及び公正取引委員会委員長 並びに以上の者の配偶者 |
梅の間 |
同 11:50 | 両陛下 | 祝賀 | 皇太子同妃両殿下お始め皇族各殿下 | 梅の間 |
正午 | 両陛下 | ご祝宴 | 皇太子同妃両殿下お始め皇族各殿下,元皇族,御親族 | 連翠 |
午後 1:20 | 皇后陛下 | 祝賀 | 旧奉仕者会会員 (元宮内庁職員及び元皇宮警察本部職員) |
北溜 |
同 1:40 | 両陛下 | 茶会 | 元長官等,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員 | 連翠南 |
同 4:30 | 両陛下 | 茶会 | 御進講者始め御関係者 | 御所 |
同 6:30 | 両陛下 | 祝賀 | 愛子内親王殿下 眞子内親王殿下,佳子内親王殿下,悠仁親王殿下 |
御所 |
同 7:00 | 両陛下 | お祝御膳 | 皇太子同妃両殿下 秋篠宮同妃両殿下 黒田様御夫妻 |
御所 |