皇后陛下お誕生日に際し(平成11年)

宮内記者会の質問に対する文書ご回答

問1 ご公務などにお忙しかった一年だったと存じますが,皇后さまご自身にとっても,お父様の正田英三郎氏が亡くなるという悲しい出来事がございました。お父様の思い出も含め,この一年間を振り返って,印象に残っていることをお聞かせ下さい。
皇后陛下

今年も天災,人災による幾つかの悲しい出来事がありましたが,8月に,昨年復興を宣言した奥尻島を訪れ,同時に北檜山,瀬棚等を訪ねて,復興の様を見聞することのできたことは嬉しいことでした。

最近,災害の中でも,集中豪雨が,その集中度,雨量共にひときわ激しいものとなり,犠牲者の出ていることが心配です。子供のころ教科書に,確か「稲むらの火」と題し津波の際の避難の様子を描いた物語があり,その後長く記憶に残ったことでしたが,津波であれ,洪水であれ,平常の状態が崩れた時の自然の恐ろしさや,対処の可能性が,学校教育の中で,具体的に教えられた一つの例として思い出されます。

今年は世界の人口が60億を超え,将来の人口問題,それにかかわる食糧,エネルギー,環境の問題等,報道でも度々とり上げられてきています。遺伝子組み換え,環境ホルモン等,学び考えていかなくてはならないことが多いのですが,とりわけ今の時代に母となる方々にとり,ダイオキシンと母乳の問題は心配なことと思われます。危険として認識されねばならない部分と,心配しなくてもよい部分とが充分に説明され,母乳による育児への不安が少しでも取り除かれるよう願っています。

1993年,世界保健機関(WHO)は「結核の非常事態宣言」を発表しましたが,今年は日本でも「結核緊急事態宣言」が出されました。日本には,皇太后陛下の思召しでつくられた結核予防会があり,秩父宮妃殿下が長年名誉総裁として力をお尽くしになり,今は秋篠宮妃がおあとを務めています。これまでも地方自治体,医師会,病院や保健所関係者,結核予防婦人会等が一丸となって働き,大きな成果を上げてきましたが,近年多剤耐性等,新たな問題が加わり,感染症克服の難しさを改めて感じさせられています。これまでに長く地道に予防の実績を上げてきた結核予防会の更なる活躍を期待するとともに,結核予防が国民全体の取り組むべき課題として認識されることの必要を感じます。

10月には,介護保険制度の認定調査が開始されました。初めて試みられる制度に対し緊張を覚えますが,これが大勢の人々の協力を得,社会にとり良い結果をもたらすものとなるよう祈ります。

コソボ,東ティモール等,この一年も世界各地で痛ましい紛争が起こりました。寒さが厳しいと聞くキルギスの山岳地にいまだ捕らわれている日本人技術者のあることは悲しく,一日も早い解放を待ち望んでいます。

心にかかることの多い一年でしたが,10月に入り,「国境なき医師団」のノーベル平和賞決定,柔道の世界選手権における日本選手の活躍のうれしいニュースに接しました。世界の中で日本の国技を担っていく人々の苦労にはひとしおのものがあることでしょう。選手,関係者の喜びが察せられます。

質問の文中にありましたように,6月に父を亡くしました。父らしい一生でした。

問2 ご公務以外で最近取り組まれていらっしゃることや,関心をもっていらっしゃること,楽しみにしていらっしゃることなど「プライベートの皇后さま」についてお聞かせください。
皇后陛下

陛下や皇太后様の御健康が一番心にかかることであり,現在お二方がお健やかなことは,本当に嬉しいことです。この8月以来高松宮妃殿下の御不例をお案じ申し上げておりますが,たまたま御入院の前日にお目にかかった折にも,妃殿下は総裁をお務めになる恩賜財団済生会のお仕事のことを熱心にお話しになっていらっしゃいました。お年を召してからも,癌研究基金のお仕事を始め,文化や福祉にお力を注いで働いていらした妃殿下が,又以前のようにお元気におなりになる日をお待ちしております。

公務以外で,最近特に取り組んでいるというものはありません。これまでたしなんできたものを,これからも続けていければと考えています。

今振り返りますと,昭和の時代には旅行こそ多うございましたが,度々にテニスをしたり,定期的に先生方のお講義を伺ったり,音楽を教えていただくなど,今よりは大分ゆとりのある生活をしていました。だんだんと体力のなくなる今,急にスポーツから遠ざかることは避けたいので,テニスをもうしばらく続けていければと思います。

音楽も,ささやかにであれ続けていかれれば,どんなに嬉しいでしょう。幸せなことにこれまで長年にわたり,大勢の音楽家の方たちが励まし支えてくださり,今日まで御所の生活の中に音楽を保ってくることができました。一日が終わり,夜,静かな部屋で陛下の伴奏をさせていただいたり,また,年に二,三回ですが,専門家の方に教わりながら楽興の一時を持つことは,今の私にとり大きな喜びです。

約二か月にわたる紅葉山での養蚕も,私の生活の中で大切な部分を占めています。

毎年,主任や助手の人たちに助けてもらいながら,一つ一つの仕事に楽しく携わっています。小石丸という小粒の繭が,正倉院の古代裂の復元に最もふさわしい現存の生糸とされ,御物(ぎょぶつ)の復元に役立てていただいていることを嬉しく思っています。

移居から6年近い年月が()ち,御所の庭もだんだんと落ち着いてきました。夏の夕方には年々種で殖やしてきた夕すげの花が一杯咲き,高原のようです。那須の廻谷(めぐりや)で昭和天皇から名を教えていただいた小さな白い未草(ひつじぐさ)も,大池の水に根付き,少しづつ殖えています。季節々々に花を待ちながら,一年が過ぎていきます。

問3 紀宮さまは今年に入り,南米,ハワイの2度にわたる外国公式訪問をはじめ,国内でもご公務を次々とお務めになっていらっしゃいますが,皇后陛下としてのお立場から,また母親として,紀宮さまの将来について現在のお気持をお聞かせください。
皇后陛下

平成9年及び10年にお答えしたことと変わりありません。