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ご訪問国:ノルウェー(アイルランドお立ち寄り)
ご訪問期間:平成17年5月7日~5月14日
会見年月日:平成17年4月25日
会見場所:宮殿 石橋の間
兵庫県で大きな列車事故があり,多くの人々が亡くなり,また多くの人々がけがをされました。本当に心を痛めております。遺族の人々のご心痛はいかほどかと察しています。負傷された人々が良い治療を受け回復されていくことを切に願っております。
回答については不十分な点があるといけないと思いまして,書いてきましたので,それを読みながらお話したいと思います。
私がノルウェーを訪れたのは二回あります。最初は1953年英国女王の
この後オスロから飛行機で西へ飛び,スタヴァンゲル,ハウゲスンド間を船で渡り,そこからイエイロまでフィヨルドや木の生えていない高原を見ながら自動車で旅し,ノルウェーの自然景観を味わいました。平和条約発効の1年後に,戦争の痛手を大きく受けた日本から訪れた者にとって,ノルウェーで訪れた各地が豊かで美しく感じられたことが印象に残っています。
二度目は20年前のことになりますが,オラフ国王が日本を国賓としてご訪問になったことに対する答訪として当時皇太子であった私が皇太子妃とともに昭和天皇の名代として訪問したときのことです。このときはデンマークの訪問を終えた週末に当時のハラルド皇太子ご夫妻とベルゲン方面のフィヨルドを船で回り,楽しい一時を過ごしました。オックスフォード大学に留学中の現在の皇太子も招いてくださり,本当に心のこもったおもてなしを頂きました。その後のオスロの公式訪問では高齢のオラフ国王が皇太子ご夫妻と共にほとんどの行事にご一緒していただきました。
今年は日本との国交が樹立して百周年になります。これを記念して,両国間の理解を深める様々な行事が行われると聞いております。この記念の年にノルウェーを訪問することをうれしく思っております。この度の訪問を通して両国の相互理解と友好関係の増進に資するよう務めたいと思っております。
この度初めて訪れるトロンハイムはホーコン七世の
国王陛下には今月初めに手術をお受けになりご療養中ですが,今回の訪問中にお会いすることができるほどご快復になっていると聞きうれしく思っております。王妃陛下にはご心痛のこととお察ししていますが,先日お会いしたホーコン摂政殿下と共に行事にお出になり,再びお目にかかれることを楽しみにしております。
アイルランドを訪れたのは二回あります。ただ一回目は1953年に英国女王
二回目はヒラリー大統領が国賓として日本をご訪問になったことに対する答訪として,当時皇太子であった私が皇太子妃と共に,昭和天皇の名代として訪問したときです。スペイン訪問を終えて非公式にアイルランド西部で週末を過ごし,週が明けてからダブリンでヒラリー大統領にお目にかかるなど公式行事に臨みました。アイルランドで印象に残っていることは様々ありますが,訪れた所では西部の木もないバレンの厳しい自然景観やハイキングの居城があった緑のタラの丘などが印象に残っています。
この度のアイルランド訪問は時差調節を兼ねた非公式の訪問ですが,先日日本でお会いしたマッカリース大統領閣下と夫君に再びお会いすることをうれしく思っています。
この前の訪問は3月の初めでしたが,この度は5月の初めであり,緑豊かなアイルランドを味わえることを楽しみにしています。
私もこれまで記憶に頼ってお話をしておりましたけれども,七十になりましたので,今回からは書いたものに頼ってお話をさせていただきます。
前回の北欧4か国の訪問から,既に20年がたち,この度,再びノルウェーを訪問するに当たり,改めて往時のことを懐かしく思い出しております。
先の訪問の折,当時の国王オラフ陛下は,そのころまだ東宮,東宮妃であった陛下と私を,オスロ空港で迎えてくださり,滞在の全期間を通じて,手厚くもてなしてくださいました。ちょうど昭和天皇に近いお年頃の国王陛下にお連れいただいて,フログナー公園でヴィーゲランの彫刻を見た夏の一時が,そのときとりわけ印象深かったモノリッテンという作品の記憶と共に,忘れられない思い出となって,私の心に残っております。
このときの訪問では,オスロでの公式行事に先立ち,4か国訪問のちょうど中日に当たる週末を,西海岸のベルゲンで過ごしましたが,当時皇太子でいらした現国王陛下が,妃殿下と共にオスロからいらしてくださり,美しいソグネ・フィヨルドの航海を楽しませてくださいました。途中,小さな島に立ち寄ったときに,ちょうどその島で公演があったのか,もしかしたら私どものために計画してくださったのか,役者さんの一団が,ヴァイキングの服装で私ども一行を襲ってくれました。素晴らしい経験でした。ご夫妻は,その後の公式日程においても,国王陛下と共に,常に私どもに付き添ってくださり,訪問を成功に導くための,大きな助けとなってくださいました。
こうした王室皇室間の
先述したヴィーゲランを知ったのは,前回の訪問のときでしたが,グリークやビヨルンソンの名を知ったのは中学,高校時代のことでした。グリークの「最後の春」や「子守歌」などのピアノの小曲,「シンネエヴェ・ソルバッケン」という,美しい響きをもつ,
1970年の大阪万博で,ノルウェーは他の北欧の国々と合同で,スカンジナヴィア館を出展いたしましたが,このとき既に,今回の愛知万博のテーマである環境問題への認識を強く打ち出しており,ほぼ全館を使って公害への警告をしていたことが思い出されます。このころから,北海の油田のことがよく話題にのぼるようになりましたが,最近になり,この油田のその後の開発に関し,当時のノルウェー政府が,経済の過度の石油依存を回避するよう努力していたことを知り,感銘を受けました。
ここ10年,20年を振り返っても,オスロ合意や,スリランカ,スーダンにおける和平交渉などで,ノルウェーの国際平和への貢献は世界に知られており,20世紀の初期,赤十字や難民救済の事業に貢献し,ノーベル平和賞を受けたナンセンの理想が,今もノルウェーの国民の間に確かに受け継がれ,既にこの国の国柄のようにもなっていることを感じます。
ノルウェーと同じく,アイルランドの訪問も20年振りのことで,当時を思い起こしますと様々な美しい思い出がよみがえり,懐かしい気持ちで一杯になります。
私の学生時代,聖心でも雙葉でも,アイルランドの修道女のお姿を見る機会は多く,直接お教えを受ける機会は少なかったのですが,どなたも魅力的で美しく,今そのお一人お一人を,お名前と共に思い出します。
高校2年のとき,一生にただ一度の経験ですが劇の主役に選ばれ,聖パトリックの布教が始まる異教時代末期に,タラの居城から-先ほど陛下がおっしゃったタラです。-タラの居城からアイルランドを
同じく前回の訪問のときに,トリニティー大学で美しい詩の朗読を聞かせていただきました。その一つは,アイルランドの盲目の詩人,ラフタリの「カウンティー・メイヨー」という詩で,一回を原文のゲイル語で,二回目を英訳で読んでくださいました。
私はこれまで,多くの詩を読んできたわけではないのですが,このラフタリの詩のように,これまでに幾つかの心打つアイルランドの詩に出会えたことは幸運でした。「二つの川の出会うところ」のようなアイルランドの歌についても,同様のことが申せます。そして一方では,こうした心ひかれる詩や歌を通して,私はアイルランドが国として経てきた苦難の歴史-多数の国民が,国外移住を余儀なくされた大飢
この度の訪問では,それぞれのお国の首都に加え,ノルウェーでは古都トロンハイムを,アイルランドではグレンダ・ロッホを訪問いたします。オスロでは,国王陛下がご病後にもかかわらず,私的な夕食会に出席されるということで,大層うれしく,楽しみにしております。王妃陛下もさぞご心労でいらしたこととお察しいたします。また,アイルランドでは,日本にいらしたとき,私がヘルペスを患ってお会いできなかったマッカリース大統領とも,今回このような形でお会いする機会を持てることを幸せに思います。
訪問するどちらの国においても,旧知の方々を始めとし,各所でその国の大勢の方々とお会いすることを,今から楽しみにしております。
体調についての質問がありましたけれども,この前お話したのと同じような状況であり,今度の訪問には大丈夫だと思っております。心配している方もあると思いますが,安心していただきたいと願っています。
私も体調についての質問にお答えいたしますと,体調については,まだご治療を受けていらっしゃる陛下にお疲れが出ませんよう念じております。私も,もうひところのように若くはないので少し心配ですが,よく注意をし,つつがなく務めを果たしたいと思います。
私どもは皇太子,皇太子妃として多くの国々を訪問しましたが,ほとんどの外国訪問は日本に国賓をお迎えした国に対する答訪であり,その多くは昭和天皇の名代という立場での訪問でした。これは当初は,天皇の外国訪問の間の国事行為の臨時代行に関する法律がなかったためでしたが,法律制定後,昭和天皇,香淳皇后の欧州ご訪問と米国ご訪問が実現した後も,両陛下のご高齢の問題があり,再び昭和天皇の名代としての外国訪問が始まりました。昭和天皇,香淳皇后の欧州ご訪問までには国賓を迎えたほとんどの国々に対し,私どもは答訪を終えていましたが,その後は国賓の数も多くなり,昭和の終わりには相当数の未答訪国が残っていました。
平成になってからは,国賓に対する答訪はなくなり,私どもの外国訪問は政府が訪問国を検討し決定するということになりました。このように,天皇の外国訪問の形も時代に伴って変遷を経,現在の私どもの外国訪問は,この度と同様に,ほとんどすべて国際親善のための訪問となっています。
国際親善の基は人と人との相互理解であり,その上に立って友好関係が築かれていくものと考えます。国と国との関係は経済情勢など良い時も悪い時もありますが,人と人との関係は国と国との関係を越えて続いていくものと思います。この度の訪問が訪問国の人々と日本の人々との相互理解と友好関係を深める上に少しでも役に立てばうれしいことです。
私が欧州の各王室の方々と知り合うようになったのは今から50年以上前,私の19才のときに英国女王の
各国で王室の制度は異なっており,スウェーデンのように,近年にいたって,日本に最も近い憲法を持ち,国王が国政にほとんどかかわることのなくなった国もあれば,隣のノルウェーのように毎週国王主宰の下に閣議が開かれる国もあります。そのスウェーデンも私が初めて訪問したときには現国王の祖父に当たられるグスタフ六世の下で閣議が開かれていたということを聞いております。
このように国によって制度も王室の在り方も異なり,また,歴史に伴う変遷も見られますが,国民の幸せを願い,力を尽くしていくという点では日本の皇室も欧州の王室も一致しており,様々なことで共感を覚えます。私は日本の皇室については過去の日本を振り返り,私どもがこれまでに経験してきたことを基に,国民と心を共にすることを念頭に置きつつ,望ましい在り方を求めていきたいと思っています。
欧州の王室に限らず,アジアや中東の王室も含め,各国王室とのご交際からは,これまでたくさんのことを学んでまいりました。それらのことは,私の考え方や生き方に,ある種の
今,親しい王室の方々の多くが,現代の激しく移り変わる社会の中で,王制がそれぞれの国の好ましい発展に,どのように寄与していけるかを真剣に考えておられます。こうした意味で,私どもは,離れ離れに暮らしていても,同じ目標に向かって生きており,その同じ志の中で,お互いを支え合い,励まし合っているように感じております。
今の質問にあった「皇室の今後にとり,参考になること」と申しますのが,皇室制度や組織のことを指しているとすると,私の答えは,少しはずれたお答えをしてしまったかもしれませんが,私にとっての王室,皇室間のお付き合いについての気持ちのみ,述べさせていただきました。
各国の王室や皇室がそれぞれの社会において成熟し,国民の中により深く内在し,国の安定に寄与していくことができ,お互いに更にふさわしい同志として,友情の質を高め合っていくことができればと願っています。
皇室の活動について,事実に基づいた正しい報道がなされることは,極めて大切なことだと思います。
ただ,メディアとの関係については,国によって様々な習慣や考え方があり,この問題は,それらを踏まえて,宮内庁が扱っていますので,私からこれ以上触れることは控えたいと思います。
世界の国々が国旗,国歌を持っており,国旗,国歌を重んじることを学校で教えることは大切なことだと思います。
国旗,国歌は国を象徴するものと考えられ,それらに対する国民の気持ちが大事にされなければなりません。
オリンピックでは優勝選手が日章旗を持ってウィニングランをする姿が見られます。選手の喜びの表情の中には,強制された姿はありません。国旗,国歌については,国民一人一人の中で考えられていくことが望ましいと考えます。
今タラの話が出ましたけれども,今日の質問へのお答えにも二人ともタラを挙げたように,それぞれタラへの訪問は思い出深いものがありました。ただ,あのときは雨の後だったと思いますけれども,そこで転んでしまったのでそれが今のハプニングということになったんではないかと思います。
ノルウェーの皇太子殿下とのお話ということですが,まずやはり,国王陛下のご健康のお話を伺いました。それから,皇太子殿下がどのようなことを今なさっているかということもお話を伺いました。先ほど,ノルウェーでは国王が閣議を主宰するということに触れましたけれども,これもそのときのお話に出たことで,帰るとすぐ閣議に出なければならないということを言ってらっしゃいました。