ブラジル・アルゼンチンご訪問に際し(平成9年)

記者会見

ご訪問国:ブラジル・アルゼンチン(アメリカ合衆国・ルクセンブルクお立ち寄り)

ご訪問期間:平成9年5月30日~6月13日

会見年月日:平成9年5月16日

会見場所:宮殿 石橋の間

記者会見をなさる天皇皇后両陛下
記者会見をなさる天皇皇后両陛下
(写真:宮内庁)

宮内記者会代表質問

問1 両陛下にお尋ねいたします。ブラジル,アルゼンチン,ルクセンブルク各国についての印象と,訪問を前にしての抱負をお聞かせください。公式訪問地であるブラジルとアルゼンチンについては陛下の皇太子時代にも訪問されていますが,強く印象に残っている出来事,場所などがあれば,あわせてお聞かせください。
天皇陛下

ブラジル,アルゼンチン両国大統領閣下のご招待により両国を訪問し,往路ルクセンブルクに立ち寄ることになりました。両国大統領閣下並びに大公殿下のご配慮に深く感謝しております。ブラジルとは一昨年修好100周年を迎え,両国で様々な記念行事が行われ,昨年,カルドーゾ大統領閣下が令夫人と共に国賓として日本をご訪問になりました。ブラジルは,日系の人々が130万人を超え,最も日系の人々の多い国であります。アルゼンチンとは来年修好100周年を迎える古くからの友好国であり,日系人もブラジル,米国,ペルーに次いで多くの人々が住んでいます。メネム大統領閣下も即位の礼に来てくださいましたし,また,3年ほど前に公式実務訪問の賓客として日本をご訪問になりました。このような関係にある両国の人々と,日本の人々との相互理解と友好関係の増進に資するよう努めていきたいと思っております。

ブラジルを訪問しましたのは,ペルー,アルゼンチンを訪問したちょうど30年前と,19年前に日本人移住70周年の記念式典に出席するため訪問した時との2回になります。最初に訪問した時は,ちょうどブラジリアが首都としての機能を始めたころの事で,赤土の広野に新しく建てられた建物が印象に残っております。2回目の時はブラジリアが大きくなり,近郊の農業地帯も豊かになったと感じました。この時には北部ブラジルも訪れ,アフリカ系ブラジル人や,インディオ系ブラジル人に接し,ブラジルの多民族性を実感しました。式典が行われたのは,サンパウロとパラナ州のローランジアで,ガイゼル大統領ご夫妻と共に出席しました。盛大な式典であり,日系ブラジル人が様々な分野で社会に貢献し,活躍していることを頼もしく思いました。

アルゼンチンの訪問では,パレルモ公園を中心にしたブエノスアイレスの美しさや,ブエノスアイレスの南方にあるアセライン農場に向かう途中の広大なパンパスが印象に残っています。アセライン農場での過ごした二晩も懐かしく思い起こされます。

ブラジルを訪問してからほぼ20年,アルゼンチンを訪問してから30年がたちました。今日の両国は軍政から民政に変わり,様々な困難を克服して発展することを目指している現状に触れ,理解を深めていきたいと思っております。

ルクセンブルクについては,12年前,アフリカのザンビア,タンザニア,ケニアを訪問した時の途次立ち寄り,大公ご夫妻の温かいおもてなしを受けました。アルデンヌのなだらかな丘陵地帯や,そこの農家に立ち寄ったことが懐かしく思い起こされます。皇太子であった大公ご夫妻にお会いしましたのは,英国の女王陛下の戴冠式に参列した時であり,以後,度々お会いしております。即位の礼にも来ていただきました。また,皇太子殿下は,度々,経済使節を率いて日本をご訪問になり,経済関係がそれによって深められております。この度の訪問で,大公ご夫妻,皇太子ご夫妻に再びお目にかかるのを楽しみにしております。

皇后陛下

先ほどは陛下のお話の間に咳をしてしまって,お聞きづらくはなかったでしょうか。失礼をいたしました。

陛下のブラジル,アルゼンチン公式ご旅行に随伴し,その途次にはルクセンブルクを訪問することになりました。思い起こしますと,私が初めてブラジルとアルゼンチンを訪れましたのは,ほぼ30年前,当時ブラジリアは,まだ建設の途上にありました。その時,どこまでも広いブラジリアの空の下で見た大統領官邸や三権広場,あれはなんて申しましたかしら,大聖堂,大聖堂と申しましたかしら…。

天皇陛下

何…。

皇后陛下

教会は何て…。

天皇陛下

さあ。ちょっと…。

皇后陛下

教会の建物など懐かしく思い出されます。大聖堂て言ったらよろしかったでしょうか。大聖堂の建物など懐かしく思い出されます。各地でブラジル国民の温かい歓迎を受け,また,笠戸丸以来次々と海を渡った日系の方々とお会いした経験は,それに数年先立つハワイ,北米での経験とあいまって,私がその後の生活の中で海外の日系社会に心を寄せていく上での大きな基盤になりました。

アルゼンチンでの前回の旅も思い出深いものでした。この時,一世の方から記念にいただいたオンブーの盆栽は,その後,赤坂御所の庭に下ろし,今では大きく育って,夏には沢山の葉を茂らせます。少女時代に読んで忘れられない1冊に,ハドソンの「はるかな国遠い昔」というパンパスの生活を描いた本がございましたが,そのころ,夢のように想像していたパンパスをその時現実に訪れ,陛下のお後について草原に馬を走らせたことも良い思い出となっています。

ルクセンブルクには昭和58年アフリカ訪問の途次立ち寄り,大公殿下,大公妃殿下からお手厚いおもてなしを受けました。その後,両殿下には,昭和天皇の御大喪,今上陛下の御大典にいち早く参列の意を表してくださり,それぞれの機会に私どもの身近にあって,細やかなお心配りを示してくださいました。昭和58年の訪問の折には,ルクセンブルクの市内や,先ほど陛下もおっしゃったアルデンヌの農家をご案内いただいた事など,今も懐かしく記憶しております。

この度訪問いたします3か国は,私にとり,いずれも懐かしい再訪の国になりますが,前回の訪問から長い年月がたっていることですので,また,新しい気持ちでそれぞれの国の現況を学び,心を尽くして親善に努めてまいりたいと思っております。

問2 両陛下にお尋ねいたします。今回の訪問の中で,特に興味をお持ちの点や,楽しみにされている訪問先などはありますでしょうか。アマゾン地域の訪問,川下りなども予定されているようですが,陛下はこの地域の自然や環境保全運動などにもご関心をお持ちでしょうか。
天皇陛下

私がブラジルを訪問したのは,先ほども話しましたように,ほぼ20年前であり,アルゼンチンへの訪問は30年前になります。したがって,同じ地域を訪問しても随分変わっている面もあることかと思います。また,私の方の見る目も違ってきていると思います。そういう意味で,それぞれの地域の現状に触れ,また,人々と話し合って理解を深めていくのを楽しみにしております。

アマゾン地域についての自然や保全運動についてのことですが,私は,アマゾン地域に限らず,自然や環境保全運動には深い関心を持っております。この問題については,住民の福祉や開発の問題が,広い視野から考えられてこなければならないものと思っております。かつて生物の種が人々の無思慮な活動によって絶滅した過去の経験を十分にいかしていくことが必要と思っております。

皇后陛下

楽しみと申しますと,やはりそれぞれのお国で私どもを招いてくださった元首の方々を始めとし,各所でいろいろと準備をして私どもを待っていてくださる方々にお会いすることではないでしょうか。心待ちにしている再会もあり,また,沢山の新しい出会いに対する楽しみな期待もあります。ただ,南米2か国に関しましては,何分にも最初の訪問から30年という長い年月がたっておりますので,当時お会いした一世の方々の多くはすでに物故しておられ,そのことは寂しいことに思われます。

それぞれの土地で,初期の移住者として苦労された人々をしのび,冥福を祈ってまいりたいと思います。

問3 天皇陛下にお尋ねいたします。予定されている日程では,日系人との交流を中心にスケジュールが組まれているようです。日系人について,陛下のお考えをお聞かせください。特に,海外に在住している日系人の中には,皇室に対して日本国民とは違う気持ちもあるのではないかとも思われます。日系人との交流に臨まれるにあたり,現代の皇室のどのような面をアピールしたいとお考えでしょうか。
天皇陛下

日系人については,日本国籍の人も,ブラジル国籍の人も,アルゼンチン国籍の人も含まれております。日系ブラジル人や,日系アルゼンチン人にお会いする時は,ブラジル人,アルゼンチン人ということを念頭に置いてお会いしていますけれども,それとともに同じ日本人の血を分けた人々ということで深い親しみを感じております。日系の人々がそれぞれの社会に貢献し,活躍している姿は非常に誇らしく,うれしく思っております。

アピールについては,考えたことがありません。

問4 陛下にお尋ねいたします。ブラジルの隣国でもあるペルーで起きた日本大使公邸人質事件は,異例の長期化の末,強行突入という形で一応の終結を見ました。改めてこの事件についてのお考え,お気持ちをお聞かせください。
天皇陛下

私の誕生日を祝うレセプションで多くの人々が人質となり,その中の72人は4か月以上に及ぶ人質の厳しい生活を耐えなければならないことになったことに対して,深く心を痛めていました。この事件は終結しましたが,4か月人質として耐えてきたペルーの最高裁判事と,救出に当たった2人のペルーの軍人が亡くなったことは本当に残念なことであり,遺族の気持ちが察せられます。また,4か月以上に及ぶ厳しい人質としての生活に耐えてきた人々を深くねぎらいたく思います。この事件の解決に当たって,ペルー側関係者,日本側関係者,保証人委員会,赤十字がそれぞれの立場から一生懸命事件の解決に向かって努力していたことに深く感謝しております。

問5 両陛下にお尋ねいたします。両陛下の外国ご訪問は約2年8か月ぶりということになりますが,そのことについて何かご感想はお持ちでしょうか。外国ご訪問を中断されていた間,皇室の外国ご訪問についてお考えを新たにされた点などあればお聞かせください。また,15日間のハードな日程になりますが,肉体的,精神的な面から健康維持のために心掛けていらっしゃるなどあれば,あわせてお聞かせください。
天皇陛下

戦後50年という年は,戦争によって亡くなった多くの人々を悼み,遺族の上を思って過ごそうと,外国訪問は考えていませんでした。ところが,不幸にもその年の1月に阪神・淡路大震災が起こり,翌年も外国訪問は控えることにしました。多くの亡くなった人々,また,家を失い,不自由な生活をしている人々のことを思って過ごした心の重い2年間でした。外国訪問については,訪問国の人々との友好関係に資するよう心を努めていきたいと思っております。15日間の忙しい日程ですけれども,健康に十分気を付けて務めを果たしていきたいと思っています。

皇后陛下

しばらく日本にとどまっておりましたので,久しぶりの長旅に少し心配な気持ちもしております。しかし,今,陛下も仰せになりましたように,戦後50年の年を国内で過ごすということは,陛下のお心からのご希望でございましたし,たまたまその年が大震災で明け,少なくとも2年間は国内にとどまるべきではないかと思われました。この間,外国旅行についての考えを特に新たにしたということはございません。また,健康維持については,いつも同じようなお答えになってしまいますが,できるだけ毎日早朝に外を歩くということ以外,特別なことは余りいたしておりません。

天皇陛下

その外国訪問のことを考えたらどうかという質問のことですけれども,同じく考えていませんでした。

在日外国報道協会代表質問

問6 陛下にお聞きします。ブラジルの日系社会では世代交代が進み,三世や四世の若い世代の方が多くなっています。陛下の日系人主催の歓迎行事などを取り仕切っているのも,ブラジル生まれの若い方々だと思います。このように世代交代が進む中,日本ではここ10年間に,在日ブラジル人の数は約2千人から約20万人に増えています。このように大勢のブラジル人が日本国内で働いていることをどう思われますか。
天皇陛下

この前ブラジルを訪問した時には,このように大勢の日系ブラジル人が日本に働きに来るとは考えてもいませんでした。このことが両国民の良い交流の機会になればうれしいと思います。日本の滞在が実り多く,そして,良い友を得て故国に帰られるよう願っています。

問7 両陛下にお聞きします。両陛下があまり公共の前にお姿をお見せにならない,お見えになる時も事前準備が行き届き過ぎていて,両陛下が人々と自然な交わりをお持ちになる機会が余りないようにお見受けします。そして,お会いになる人々が必ずしも一般の国民とは言えない,ごく限られた方々に制限されているという意見があります。このような意見に対して,どのように思われますか。お聞かせください。
天皇陛下

この問題については,具体的に考えていくことが良いと思います。公共の前とか,もう一つ何でしたかしら,自然な交わりとか,一般の国民とか,そのようなことが具体的に示されれば,それを宮内庁の方で検討してもらおうと思います。

現在,外での行事はそれほど多くはありませんが,宮殿での行事はかなり多くなっています。外国関係の行事は,ソヴィエト連邦の崩壊に関連して多くの新しい国が生まれ,信任状捧呈式も多くなってきています。さらに,国と国との交流が近年一層盛んになり,この1週間の間にも韓国の国会議長夫妻,国連事務総長夫妻,リトアニア大統領にお会いしました。外国の賓客を迎えることは,私にとりましても世界に目を向けることで意義深いことと思っております。国と国民統合の象徴という立場がどうあるべきかということを,常に念頭に置きつつ務めていきたいと思っています。

皇后陛下

公共の場に出る姿を見せる回数が少ないのではないかという質問がありましたので,改めてここ1か月ほどの日程がどんなものであったか調べてもらいました。福祉施設への訪問,赤十字や助産婦会などの記念式典,点字新聞や対人地雷撤去のためのチャリティーコンサートなど,私がこの1か月に公共の場に出ましたのは12回ということでしたが,これは,私の平均的な1か月の外出としてはむしろ多い方で,通常はもう少し少ないのではないかと思います。他方,私どもの仕事の中には,このように公共の場に出るということ以外に外務省,厚生省など日本の各省庁や,各種の民間団体からの申出を受け,御所や宮殿で行う行事があり,回数からいたしますと,そちらの方が私どもの外出の回数をはるかに上回ります。それは,ある時は外国の賓客や,内外の大使の接遇であり,ある時は日本の各分野で働く人々との接点を持つ行事であると言ってよろしいかと思います。その時その時の人数によって,謁見という形で陛下から一同に対するねぎらいのお言葉を頂くもの,レセプションのような形で一人一人の人から仕事についての話を聴くもの,着席の上懇談をするものなど形式は様々ですが,このような余り人目に触れない行事も過去をねぎらい,それを良い未来につなぐという皇室にとっての重要な仕事であり,私はこのこうした方面の仕事も欠かさずに保ち,これからも続けていきたいと思っております。そのような観点から,私どもの公共の場に出る回数を大幅に増やすということは,物理的にもやや困難なことに思われますが,これからも接するすべての人々を大切にし,その人々を通じ,できるだけ人々の生活を広く深く知り,皇室が少しでも人々の心の支えになり,安らぎとなれるよう務めていきたいと思っております。

関連質問

問1 皇后陛下にお伺いしたいのですけれども,先だって皇后陛下の御歌集を拝見することが出来まして,大変感銘を受けている次第でございます。前回のご訪問の時も御歌を詠まれていらっしゃるというようにありましたけれども,今回お忙しい日程の中でですね,お久しぶりで訪問されて歌を詠まれるようなことになるのかなというような心持ちがあるのかどうかということと,何かお心を寄せているような場所があるのかなということをお伺いしたいと思います。
皇后陛下

今度の旅行で。歌はなかなかできないのでございますよ。それでも私どもは月次の御題をいただきますので,本来は題詠ということばかりではいけないのでしょうけれど,やはり忙しく暮らしておりますと,せめて題詠だけでも果たしたいという気持ちがございますから,御題を頂きますと一生懸命その御題に寄せて物を見たり考えたりいたします。大体歌は,そのようにして作ったり,また時によるとある場面で思いがけず歌の方から落ちてきてくれるということもございますけれども,そういうことは,何年に一度くらいしかございません。やはりこの度のような旅行でございますと,きっと遠いお国で活動する人々のこと,また,必ずしも日系人ではなくても日本を遠く離れて出会う人々に触れて,心が動くこともあると思いますけれども,なかなかそれが歌に結び付くかどうかはまだ分かりません。

問2 今回のご訪問先の中で,ブラジル,サンパウロに日系人の方々の福祉施設「憩いの園」がございますが,こちらをご訪問になられた時の何か思い出に残られるお話がございましたら,簡単にお一言ずつで結構ですが,お聞かせいただけないでしょうか。
天皇陛下

この前訪問した時の,シスター・マルガレータが去年亡くなられたことを本当に残念に思っております。この「憩いの園」が,日系のお年寄りのために果たしてきた役割は大きなものであったと思います。ちょうど,去年の秋に日系の,あれなんて言いました,日系ボランティアって言いましたか。

皇后陛下

そうでございましたね。日系社会…。

天皇陛下

日系社会ボランティアって言いましたかね。あの,ボランティアの中で日系の社会ボランティアって言いましたかね,人に会いました時に,そこで働いていた人でしたので,改めてこの施設の意義というものを感じました。

皇后陛下

やはり一世の方々,非常に大きな苦労をされたと思いますのは,やはり移住の後に,自分の子供さん方には,まずブラジルの教育をしっかりと受けさせたいと思われたと思いますので,また,二世の人たちも一日も早くブラジルの社会に溶け込んで,それからの生活を支えることに努力をされましたので,本当に,避けることのできなかった形として,一部で日本語が失われるという事態もあって,一世の人たちの老後が,そのために寂しいものになるのではないかということを,二度目の旅行の時に深く感じておりました。そのためにも「憩いの園」のような施設があったことは,大変に良かったことだと思いますし,今,陛下が名前をお挙げになったマルガリーダ・ワタナベさんのことは,本当にいつも深い感謝を持って思い出しております。この度の旅行でお会いすることを,本当に楽しみにしておりました。先年,紀宮が参りました時に「また近く,会うのを楽しみにしている」という言付けを頂いておりましたので,私も楽しみにしておりましたので,それを前にして,亡くなられたということを本当に残念に思います。先ほど,各地で亡くなられた方々の冥福を祈りたいと申しましたが,マルガリーダさんのことも当地に参りましたらば,また,深く思いを致すことだと思っております。