昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況について

平成28年9月23日

平成28年8月27日付け毎日新聞朝刊の「危機の20年」と題する記事の中で,原武史氏は「平成になると,宮中祭祀に天皇と皇后がそろって出席するようになったばかりか,行幸も皇后が同伴する行幸啓となり,」と述べています。

昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況については,これまでも宮内庁ホームページで事実関係を説明してきたところでありますが,こうした事実と異なる認識が依然として見られることから,改めてこの点についての事実関係を説明します。

香淳皇后は,ご晩年の20年近くは,ご高齢とご健康上の理由により,行事への御臨席が困難となられましたが,昭和52年に腰を痛められるまでの戦後約30年間の長きにわたり,昭和天皇と共に多くの宮中祭祀にお出ましになり,また,行幸啓を共になさっています。

宮中祭祀について見ますと,昭和21年から51年までの恒例の祭祀で,かつ,天皇皇后両陛下のお出ましが予定された364件のうち,昭和天皇とお揃いでのお出ましは213件(58.5%)を占めています。ちなみに,昭和30年以降で見ますと66.7%となります。

また,地方ご訪問について見ますと,昭和21年に開催された国体には,昭和22年の第2回石川県大会には昭和天皇が御巡幸を兼ねてお一方で御臨席になりましたが,昭和24年に東京都で開催された第4回国体以降は,昭和51年まで毎年,昭和天皇は香淳皇后とご一緒に御臨席になっています。また,植樹祭には,十勝沖地震のため御臨席を取りやめた昭和43年の第19回を除き,昭和25年の第1回から御不例となった昭和52年まで毎年春,昭和天皇とご一緒に御臨席になりました。なお,昭和21年から昭和29年までにわたる戦災復興状況御視察のための御巡幸は,当時,香淳皇后をお迎えできるような宿泊施設等が整っていなかったこともあり,昭和天皇がほぼすべてをお一方でなさっていますが,最終回の北海道御巡幸には第9回国体が北海道で開催されたことから,国体御臨席を兼ねて昭和天皇と香淳皇后のお二方でお出ましになりました。こうした戦後間もない御巡幸は別としても,昭和21年から51年までの地方へのお出まし78件のうち,昭和天皇とお揃いでのお出ましは73件(93.6%)を占めています。

このように,宮中祭祀や地方ご訪問については,戦後から既に天皇と皇后がお揃いでなさっておられ,御成婚後の今上両陛下は,これをそのままに受け継がれ,昭和,平成とお続けになっておられるものであり,平成になってから,宮中祭祀や地方ご訪問を両陛下でなさるように変わったという事実は全くありません。

以上のことについては,過去にも宮内庁ホームページで事実関係を詳しく説明し,繰り返し注意を喚起してきたところ(「昭和時代における香淳皇后の御活動について(平成21年12月4日)」及び「昭和時代(戦後)における昭和天皇・香淳皇后の御活動状況について(平成25年4月3日)」)でありますが,未だにこうした基本的な事実を確認せずに皇室について議論がなされることは遺憾であり,第三者の対談ではありますが,この点の事実関係の誤認については毎日新聞社にも伝えました。