昭和51年歌会始お題「坂」

御製(天皇陛下のお歌)
ほのぐらき林の中の坂の道のぼりつくせばひろきダム見ゆ
皇后陛下御歌
もちつつじの花咲く坂をくだりつつかなたに琵琶の(うみ)を見()けぬ
皇太子殿下お歌
みそとせの歴史流れたり摩文仁(まぶに)の坂平らけき世に思ふ命たふとし
皇太子妃殿下お歌
いたみつつなほ優しくも人ら住むゆうな咲く島の坂のぼりゆく
正仁親王殿下お歌
ぎふてふの姿求めてわれは行くかたくりにほふ高尾の坂を
正仁親王妃華子殿下お歌
ひとたびはオホーツク海にふれたしと砂坂くだりて指を浸しぬ
雍仁親王妃勢津子殿下お歌
ともなはれ歩みしかの日しのびつつ乙女峠の坂のぼりゆく
宣仁親王殿下お歌
七十路の坂を越えきてとことはに帰らぬことの惜まるるかも
宣仁親王妃喜久子殿下お歌
老杉のおほふ坂みち白山のみやしろさしてまゐのぼりゆく
崇仁親王殿下お歌
ゆめのごと六十路の坂は越えぬれど学びの道はけはしくはろけし
崇仁親王妃百合子殿下お歌
坂下りて古城のあとへ行く道のかなたに鈍くネス湖光れり
寬仁(ともひと)親王殿下お歌
新雪の深くつもれる奥志賀の無人の坂をすべりゆくわれ
宜仁親王殿下お歌
遠山に雪白けれど登りゆくこの坂道には春の草もゆ
容子内親王殿下お歌
いろは坂のぼりてゆけばいただきに雪まばらなる男体の山
憲仁親王殿下お歌
シールつけてのぼりし坂の新雪をすべりいだしぬ夜のあくるころ
召人 高崎英雄
ふりかへりふりかへり見る坂のうへ吾子はしきりに手をふりてをり
選者 太田兵三郎
大藏經もとめて玄(じやう)が越えにけむパミールの雪の幾山坂を
選者 佐藤佐太郎
神島の女坂より雲と濤かすけき伊良湖水道は見ゆ
選者 山本友一
降り積みし雪に雪飛ぶ坂下の灯の連なりよ恋ほしきまでに
選者 香川進
水晶の層をもとめてかの坂をのぼりゆきたる人もまぼろし
選者 宮肇
忍坂(おつさか)の山ふところを新しき古き嘆きを偲びつつのぼる

選歌(詠進者生年月日順)

石川県 市田壽々子
犀川の水の響きを寂しみて二人の住みし坂の()の家
東京都 福本冨貴子
坂下門のお堀の土手のまんじゅしゃげ赤々と燃え両陛下お留守
石川県 元谷一郎
兵われが砲車曳きたる坂にいま葉柳のかげ孫を歩ます
アメリカ合衆国カリフォルニア州 檜垣和子
日当りのよき坂の畑日本に空輸の苺入念に摘む
和歌山県 宮本房一
(うな)坂をはるけく来たるタンカーのいま泊てむとす月照る湾に
兵庫県 平澤省吾
海よりも低きに住まひ海へ出る坂を画きて児の夏終る
福島県 大方一義
検診を受けし老いらがうちつれて西日黄に照る坂帰りゆく
大分県 深井庸雄
坂の()ゆ吾が見下ろせば夕焼の空に音なき山なみ続く
レバノン共和国 渡部毅
テヘランは坂の町なりその坂の並木に沿ひて水ひたはしる
東京都 渡邊幸江
家々を護りて厚き石垣に触れつつ島の坂登りゆく

佳作(詠進者生年月日順)

宮崎県 大岐祐秋
藪梅の蕾ふくらむ野路の坂巡回文庫が上り行きたり
長野県 關谷一雄
塩を負ふ馬つらなりし塩坂の羊歯茂るまま細くつづけり
福島県 小沼幸次
ひとしきり峠の坂に降る雨は葛の花びら押し流しゆく
大分県 日名キヌ
慰霊塔つづく摩文仁(まぶに)の坂道を今の静けさかみしめ下る
福島県 鈴木栄寿
杖による日課の試歩の長坂を今日はやうやく登りつめたり
和歌山県 堅田良知
逢阪のたをりを来れば谷の杉思ひきり高し日に煙るまで
大分県 衞藤浪江
雪どけの坂道のぼり山に来て椎茸のこま夫とうちこむ
東京都 伊達一義
からまつの落葉ちりつむ峠路の坂のぼりつつしぐるるを聴く
島根県 石川雅子
坂の道見えずなるまで這ふ葛の紅き立房日に向かひ咲く
福島県 伊藤文子
桐の花匂ふ坂道朝々を幼等の待つ職場に急ぐ
神奈川県 善波正夫
(うな)坂はしらしら明けて沖網をしめにゆくらし曳船の見ゆ
大分県 佐藤スミヱ
産卵に坂のぼりゆく亀のあとつけてあゆめば朝の日暑し
山形県 金丸清三郎
陽のあたる坂に向き合ふ家々の簀囲ひ厚く村は雪待つ
群馬県 黒澤實
注連(しめ)張りし水源の水あふれゐて坂のひとところ山葵(わさび)田青し