旧高松宮

旧高松宮

故宣仁親王は、明治38年1月3日、大正天皇の第3皇男子として東京・青山の東宮御所でご誕生になりました。御名を宣仁(のぶひと)、ご称号を光宮(てるのみや)と称されました。昭和5年2月4日に故徳川慶久の第2女子喜久子様とご結婚になりました。

故宣仁親王は、宮中行事等のご公務をお務めになるほか、国際親善、厚生、美術工芸、スポーツなど多彩な部門の団体の総裁に就任され、妃殿下とご一緒に記念式典や大会にご臨席になるなどして関係者を励まされました。

昭和62年2月3日、82歳で薨去されました。

故喜久子妃は、明治44年12月26日、故徳川慶久の第2女子としてご誕生になりました。

故喜久子妃は、宮中行事等のご公務をお務めになるほか、高松宮妃癌研究基金、恩賜財団済生会の名誉総裁として、癌撲滅の運動や全国各地の病院の改築・運営にご関心を寄せられるなど医療の発展に意を注がれるとともに、福祉、文化、国際親善など広い分野にお力を尽くされました。

平成16年12月18日、92歳で薨去されました。